埋木帖

政策をテーマにエッセイをつらつら書きます

死刑に抑止力はあるのか(前編)

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死刑執行が行われる東京拘置所(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/東京拘置所

窮地に立たされた死刑存置

先日、学生や社会人が参加するディベートの大会が行われました。論題は「日本は死刑制度を廃止すべきである」。大会では、参加したチームが「廃止すべき」と「廃止すべきでない」という肯定・否定の2つの立場に分かれて議論を行い、審判が「どちらの議論の方が説得的であったか」で勝敗を決めます。このようなディベートの大会では、どのチームが肯定側をやるか否定側をやるかはあらかじめ決まっているわけではなく、その試合ごとに立場が変わります。そのため、参加するチームは「死刑を廃止すべき」、「死刑を廃止すべきでない」という両方の主張を準備する必要があります。

この「死刑論題」は、ディベートの大会では、これまでよく扱われてきた論題で、肯定・否定どちらが有利ということはありませんでした。しかし、今回の大会では否定側が苦戦を強いられ、決勝戦でも肯定側「死刑を廃止すべき」という立場で議論を行ったチームが勝利しました。つまり、これまで「死刑を廃止すべき」という立場でも「死刑を廃止すべきでない」という立場でも試合に勝つことは可能だったのですが、今回の大会では「死刑を廃止すべき」という立場が有利になったのです。

死刑に抑止力はない?

なぜ、死刑廃止派が有利になったのか。それは、これまで死刑存置派の有力な主張であった「死刑の犯罪抑止効果」が最新の研究で否定されることが多くなったためでした。「人々は死刑という命を奪われる刑罰を恐れて凶悪犯罪を思いとどまっている。そのため、死刑を廃止すれば、その抑止力がなくなり、犯罪が増加する。凶悪犯罪から国民を守るためにも死刑は廃止すべきではない。」という死刑存置派の主張は、なかなか納得度の高い主張です。しかし、この主張を統計的に分析してみると、「死刑に抑止力はないようだ」という結論が出ることが多くなってきたようです。

今回は、統計分析についての解説と日本における死刑の犯罪抑止効果研究を紹介しながら、死刑と抑止力について考えてみたいと思います。

日米の研究蓄積の差

死刑と犯罪抑止力について統計的手法を用いて分析した研究はアメリカで盛んです。その一方で、日本におけるこのような研究は現時点で3件ほどしかありません。この背景には、死刑や犯罪に関する継続的な情報公開が行われていたか否かという問題もありますが、統計分析の観点から言うとアメリカの方が統計分析に必要な条件を満たしやすいということも影響しているでしょう。それを説明するため、まず統計分析がどういうものか見ていきましょう。

抑止力を確認する最良の方法

死刑に犯罪抑止効果があるかどうかを確かめる一番確実な方法は「実験」です。2つの国を用意して、一方は死刑を残し、もう一方は死刑を廃止します。そして、その後、犯罪件数がどう変化したのかをこの2国間で比べれば、死刑の犯罪抑止効果があるかどうかが分かります。しかし、この実験結果が正しくなるためには、この2つの国が死刑の有無以外すべて同じ状況でなければなりません。人口や年齢構成はもちろん政治体制や経済状況、文化まで犯罪の要因になり得そうな要素すべてが同じでなければ、仮に一方の犯罪件数に変化があったとしても、それが死刑によるものか、それとも他の要因によるものか判断できないからです。したがって、このような2つの国が用意できれば死刑の抑止効果の有無を確認できます。

しかし、読者の皆さんはお気づきだと思いますが、こんな実験を実際にやることは不可能です。死刑の有無以外、すべての状況が同じ国などありませんし、たくさんの人を巻き込むこのような実験は倫理的に問題です。

統計分析の考え方

では、死刑の犯罪抑止効果について何も確かめようがないのかと言えばそうではありません。実験に比べれば精度は落ちますが、特徴が似ていて死刑があったりなかったりする地域が複数あれば統計的な分析が可能です。例えば、文化や経済状況などが比較的似ている50の地域があり、それぞれの地域で死刑がなかったり、逆に死刑執行をたくさんしていたり、そんなにしていなかったりしたとしましょう。このとき横軸に1年間に行われた人口1000人あたりの死刑執行数、縦軸に1年間に発生した人口1000人当たりの殺人件数をとって、プロットしてみましょう。

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※このデータは架空のデータです

どうも執行数が多いほど、殺人係数が少ない傾向がありそうです。ここで、こういう式を考えてみましょう。

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これは執行件数が殺人係数に影響を与えていると仮定した式です。このような式をモデルといい、殺人件数が原因、執行数が結果となります。そして、統計分析の手法を使うと、実際にこの式のαやβに実際の数字を当てはめることができます。実際に当てはめてみたものがこれです。

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※このデータは架空のデータです

この式を解釈してみましょう。もし、ある地域の執行数が10件の場合、このモデルにしたがうと、殺人件数は639.7-10.3×10=536.7件となります。また、この地域が追加的にもう1件の執行を行った場合、殺人件数は10.3件減少し526.6件になることが分かります。このようにαとβを統計から推定することで、執行数が殺人に与える影響を数量的に表すことができるようになります。

これが最も基礎的な統計分析のひとつである最小二乗法による単回帰分析です。今回の分析では、βがマイナスの値をとったため、執行数を増やすと殺人件数が減るという抑止効果が確認できました。もし、このβがプラスの値をとった場合は逆に執行数を増やすと殺人件数を増やすという効果が存在するということになります。

他の要因をコントロールする

では、この結果だけで「死刑には抑止力がある」という結論を出してもいいのでしょうか?いろいろな反論はあり得ますが、重要な反論は大きく2つ存在します。

まず、考えられる反論は「本当に死刑執行数だけが殺人件数を決めているのか」という問題です。実際に犯罪は社会の複雑な要因によって発生しています。例えば、経済状況が悪ければ犯罪も増えるでしょう。死刑執行数だけが殺人件数の規定要因と考えるのはさすがに無理のある仮定と言わざるを得ません。そこで考えられる解決策としては、他にも影響しそうな要因をモデルに組み込んでやるという方法です。例えば、先ほどのモデルに経済状況を考慮させるため、一人当たりの所得を組み込むということは可能です。この場合の式は

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となります。このように殺人件数に影響を与えそうな要因をモデルに追加することは理論上、何個でもできます(実際のところ限度はありますが)。このようにして、様々な要因を考慮して、なおβ₁がマイナスの値をとれば、「他の要因をコントロールしたうえで死刑を1件追加的に執行するとβ₁件、殺人件数が減る」と言えます。

βは意味のある数値なのか

次に予想される反論は「βは本当に意味のある数字なのか」というものです。例えば、βが0.001のように非常に小さい値をとった場合、本当に影響があるのか微妙でしょう。βが0ということは、執行数は殺人件数に何も影響を与えないということになりますから、βが0に近いと実際には執行数は影響がないという可能性が出てきます。実際、βの数値はどのような数字を、どれくらい使うかによって変化します。基本的には、対象となる数(今回でいう地域の数)が増えれば、数字の信頼性が上がることが分かっています。ただ、対象となる数を増やせるかどうかは使いたい数字が存在するかどうかにもよりますし、数を増やしても、やはり0に近かったら、同様の疑念が残ってしまいます。もちろん、実際に影響は与えるけれども、その度合いは小さいという可能性もあります。

これをどう判断するのかは、p値を見れば分かります。p値とは、推定された数値が0である確率を表したもので、それぞれの推定値ごとに計算をすれば導き出せます。社会科学の分野では一般にp値が5%以下(0.05以下)であれば、βは0ではなさそうだと判断します。したがって、今回の場合でいうと、執行数の係数(β₁)のp値を計算して、0.05を下回れば統計的にも抑止効果があると言えます。以上が、統計分析の最も基礎的な考え方です。実際に論文として出される研究は、もっと複雑で精緻な手法を使っていますが、ここまで理解できれば、何を研究でやっているのかざっくりとした内容は分かると思います。

データの種類と研究蓄積の差

さて、話を日本とアメリカの研究蓄積の差に戻しましょう。これまでの説明で分かるかと思いますが、このような分析には一定数のデータが必要になります。

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データの種類(概念図)

今回の場合、ある年(例えば、2010年)のある地域での死刑執行数と殺人件数が1つのデータとなります。アメリカの場合、州ごとに法律が異なるため、ある年の州ごとの死刑執行数と殺人件数のデータが50個集まりますから、分析が可能です。このようなある時点での複数のデータをクロスセクション・データといい、クロスセクション・データを用いた分析をクロスセクション・データ分析といいます。

しかし、日本の場合、県ごとで死刑があったり、なかったりということはありませんから、2010年のデータなら1つしか存在しません。このため、日本のデータでは、クロスセクション・データ分析は行えません。もちろん、だからといって全く統計分析が行えないというわけではありません。ある年の死刑執行数と殺人件数のデータは1つしかありませんが、複数年単位(例えば、1990年から2010年)で見ていくと複数のデータを得ることができます。このような1つの対象の複数年のデータを時系列データといい、時系列データを用いた分析を時系列分析といいます。

時系列分析も適切な方法で推定を行えば正しくβを推定することは可能です。ただ、クロスセクション・データ分析や時系列データ分析よりも優れているのがパネルデータ分析です。パネルデータとは、複数の対象の複数年のデータのことで、パネルデータを使うと地域固有の効果をコントロールして純粋な因果関係を見ることが可能です。

今回の死刑と殺人件数の例で行くと、アメリカの場合、50州の複数年間のパネルデータを得ることができますが、日本の場合、時系列データしか得られません。このような分析に向いたデータの有無が研究蓄積の差につながっている可能性が高いです。

 

 

さて、ここまで死刑の犯罪抑止効果の研究を紹介する前に統計分析がどのようなものかを説明してきました。次回は、日本における死刑の犯罪抑止効果に関する先行研究を紹介し、日本において死刑の犯罪抑止効果があるのかを見ていきたいと思います。