埋木帖

政策をテーマにエッセイをつらつら書きます

「エビデンス」のひとり歩き

あけましておめでとうございます。翠光です。

旧年中はお世話になりました。本年も何卒よろしくお願いいたします。

さて、昨日宣言した通り、今年はコンスタントに投稿をしていきたいと思いますので、早速元日から記事をアップします。

 

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出典:pr.nikkei.com/campaign_event/2017_sangokushi/

今回のテーマは「エビデンス」。

最近、よく耳にする機会が増えたという方もいらっしゃるのではないでしょうか?

ここ数日の間にも、某新聞社の方の「エビデンス? ねーよそんなもん」という言葉が話題になっていました。

www.nikkan-gendai.com

 

実は昨年は、この「エビデンス」という言葉が政策立案の観点から結構、注目された年でもあったんです。

 

ことのはじまりは昨年2月、官邸に「統計改革推進会議」が設置されたことです。

この会議はGDP統計など国の政策のもととなる各種統計の改革等について検討された会議です。この統計改革推進会議がとりまとめた報告書の中で強調されたのが「EBPM推進体制の構築」でした。

EBPM」とは「Evidence based policy making」の略で「エビデンスに基づく政策立案」「エビデンスに基づく政策形成」と訳されます。

つまり、EBPMとはエビデンス(科学的・客観的な証拠)を判断材料として、ある政策案が効果的かどうかを検討しながら政策立案(政策形成)をしていこうという動きのことです。実際の最終とりまとめでは「エビデンス」を「証拠」と訳して「証拠に基づく政策立案」と表記されています。

 

このEBPMを推進していくために具体策として各府省内に新たに「EBPM推進統括官(仮称)」を設置することが決まり、この統括官らがEBPM推進を担うこととなりました[1]。また、まずはやってみようということで、11月には秋の行政事業レビューでは、EBPMを意識した行政事業評価が試験的に行われました[2]

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出典:https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS13H15_T11C15A1AM1000/

このようにEBPMが注目されるようになった背景には、いくつか理由があります。

まずは、諸外国におけるEBPMの普及です。

特にイギリスやアメリカでは、EBPMが積極的に進められており、政権によって温度差はありますが、EBPMの担い手として経済学の専門家を政府スタッフとして登用したり、予算編成の際に高いレベルのエビデンスを要求したりするそうです。

 

また、日本特有の事情としては財政制約の高まりが挙げられます。

ご存知のように日本は多額の公的債務を抱えており、来年度予算でも歳入のうち約3分の1は国債の新規発行によって賄われるような状況です。一方で高齢化の進展にともない社会保障費は増加の一途をたどっています。

そのような状況下では「いかに費用を抑えながら、高い効果のある政策を実行していくのか」という視点が求められるようになっていきます。

このような文脈において、経験や思い込みによる不確実性の高い政策立案ではなく、しっかりと科学的・客観的な証拠に基づいた政策立案が必要ということで、EBPMが注目されるようになってきました。

 

以上ような理由でEBPMが注目されているわけですが、ここで一つ疑問が出てきます。

今になって「エビデンスが大事」と言われていますが、今までは「エビデンスに基づく政策立案」が行われていなかったのでしょうか。

実際、従来から政策立案を担ってきた霞が関の中の人たちに言わせれば「昔からエビデンスに基づいた政策立案を行ってきたのに、なにを今さら」という意見も少なくないようです。

確かに、ある政策を新たに始めようと思ったら、行政組織内部でも相当、慎重な検討がなされますし、それが終わっても国会で取り上げられるわけですから、一切の根拠なしに政策立案ができるわけがありません。

では、従来の政策立案と今、叫ばれているEBPMは何が違うのでしょうか。

 

一言でいえば、「エビデンス」という言葉の定義の違いです。

 

先ほどから、「エビデンス」という言葉は「根拠」や「科学的・客観的な証拠」と訳しています。日本語で「証拠」と言えば、専門家の意見などの文章情報から統計やアンケート調査のようなデータなど広い意味で使われます。しかし、EBPMの文脈で言われる「エビデンス」は、このような広い意味ではなく、データを駆使し科学的な手法によってまとめられた極めて客観性の高い、いわば証拠能力の高い証拠のことを指します。

つまり、「エビデンス」と一言で言っても、その証拠能力にはレベルがあるのです。

 

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出典:三菱UFJリサーチ&コンサルティング資料(www.murc.jp/thinktank/rc/politics/politics_detail/seiken_160212.pdf)より


 

この図は、エビデンスのレベルをまとめたもので、上位に位置するほど証拠能力の高い証拠(EBPMで求められるエビデンス)と言えます。

これを見てみると、専門家の意見などは相当レベルの低いエビデンスとされています。また、省庁の資料でよく使われる比較研究(ある政策を実施した地域とそうでない地域の比較や、ある政策を実施した前後での比較)や相関研究(指標間の相関関係をしらべたもの、相関関係があっても因果関係があるとは限らない)も、エビデンスレベルとしては低いものです。

つまり、今まで政策立案で使われてきた「エビデンス」は、EBPMでいうところの「エビデンス」とは似ても似つかない「質の低いエビデンス」というわけです。

 

一方、EBPMの文脈で言われる「エビデンス」とは、どんなものがあるのでしょうか?

図で一番上位のエビデンスとされているのは「RCTのメタアナリシス、系統的レビュー」です。RCTとはランダム化比較試験の略で、社会実験と捉えてもらえれば、ひとまず大丈夫です。メタアナリシスとは、複数の分析をまとめ、さらに検証を加えたものです。つまり、エビデンスレベルが最も高いエビデンスとは複数の社会実験をまとめたものです。

確かに、いくつもの社会実験で「この政策は効果がある」とされているのであれば、積極的に政策に取り入れてもよさそうです。

 

このように、エビデンス」という言葉は、日常的には広い意味で使われていますが、実際にはレベルがあり、「質の高いエビデンス」と「質の低いエビデンス」とがあるのです。

ここを意識しなければ、「EBPM?もう、うちはエビデンスに基づいて政策立案しているから、大丈夫だよ」と言いながら、質の低いエビデンスに基づき、政策効果もない、コストだけ大きい“意味のない政策”を続けてしまいかねないのです。

 

EBPMは、今後の日本社会にとって大切な取り組みとなっていくのは間違いないことだと思います。そのためにも多くの方に「エビデンス」という言葉を知っていただくこともいいことだと思います。しかし、一方で「エビデンス=証拠」と捉え、本来のEBPMとは違う“なんちゃってEBPM”がまかり通るようになってしまっては元も子もありません。

 

各方面で既に指摘されていますが、日本におけるEBPMは諸外国と比べ大きく遅れを取っています。しかし、日本こそEBPMが重要視されなければならない状況にあります。「エビデンス」という言葉を正確に理解し、EBPMが推進されていく。そんな2018年になることを願っています。

 

[1] https://www.kantei.go.jp/jp/singi/toukeikaikaku/pdf/saishu_gaiyou.pdf

[2] http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/gyoukaku/H27_review/H29_fall_open_review/1.pdf