埋木帖

政策をテーマにエッセイをつらつら書きます

加計学園は「問題」か?

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出典:http://www.sankeibiz.jp/macro/photos/160318/mca1603181823013-p1.htm

 

最近のワイドショーは、松居一代か、加計学園くらいしかやっていない感じですね。

松居一代は本当にどうでもいいんですが、加計学園はどうでしょう?

最近の内閣支持率は低下傾向にあり、加計学園が影響しているとも見ることができます。

加計疑惑をどう扱えるかで、今後の安倍内閣政権運営も変わってきそうです。

昨日、今日との2日間わたって行われた閉会中審査での安倍首相の説明を世論がどう受け止めるのか?注目すべきポイントです。

 

このように、政局の観点から見れば加計疑惑は重要です。

しかし、この疑惑は「問題」といえるのでしょうか?

今回は加計疑惑を通じて、そもそも「問題」とは何かを考えていきます。

 

問題とは?

早速ですが「問題」を定義してください。

こう言われると、少し答えに詰まりますよね?

私たちは普段から「問題」という言葉を、あまり意識せずに使っているようです。

おそらく、物事に対してネガティブな感情を抱くと「それは問題だ」と思うでしょう。

しかし、ネガティブな感情だけを“問題が問題たる理由”にすると、価値観が違う人にはそれが問題だと共感してもらえません

 

ちょっと、問題を定義してみましょう。

ここでは、「問題」を「理想状態と現実とのギャップ」と定義します。

 

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ある企業の売上を例に考えています。

この企業は、300万円の売上をあげています。

この300万円が現実です。

 

しかし、この企業の社長は売上500万円が理想状態、あるべき姿だと考えています。

 

社長の「売上500万円が理想状態」とする考えに乗ると、500万円が理想にもかかわらず、現実の売上は300万しかないことになります。

この500万円と300万円のギャップが「問題」ということになります。

 

もう一つ、違う例を考えましょう。

ある駅前の放置自転車を考えます。

この駅前には放置自転車がいつも置かれています。これが現実です。

しかし、多くの人がこの状況を問題だと思っています。

なぜなら、多くの人が「駅前に放置自転車がない状態」を理想状態と考えているからです。

つまり、「放置自転車がある現実」と「放置自転車がない理想状態」とのギャップ、放置自転車の存在が「問題」となります。

 

イメージをつかんでいただけたでしょうか?

 

これを問題の定義とすると、問題を考えるポイントは「理想状態」です。

現実については、見たり聞いたり調べたりすれば、誰でも理解・納得できます。

売上が300万円であることは帳簿を見れば分かりますし、放置自転車がある駅前も見れば分かりますし、丁寧に調べるなら台数を数えてみてもいいかもしれません。

いずれにせよ、「いや、現実はこうじゃない!」と言い出す人はいない(はず)です。

 

しかし、「理想状態」は厄介です。

理想状態は現実には発生してないことですから、全員が納得できるような「理想状態」を考えなければなりません。

例えば、最初の企業の売上の例でいけば、社長は理想状態を500万だと考えていましたが、常務は現実と同じ300万でいいと思っているかもしれません。この場合、現実と理想状態の間にギャップはないので、問題はないことになります。

 

つまり、理想状態をどう定義するかで問題の程度だけでなく、問題の有無まで決まってくるのです。

 

では、今回の加計疑惑はどうでしょうか?

詳細は私も追い切れていませんが、ざっくりと言ってしまえば

獣医学部の新設にあたって、安倍首相が便宜を図ったか、否か

という案件です。

では、これを以上の定義に沿って整理してみると、こんな感じでしょうか

 

現実:安倍首相が行政手続きにおいて便宜を図った(かもしれない)

理想状態:行政手続きにおいて便宜を図ってはならない

➡ギャップ:安倍首相が便宜を図った(かもしれないという)こと 

 

今回は、現実も便宜を図ったんだか図ってないんだか分かりませんが、

仮に「図った」ということにします。

では、理想状態については、どうでしょうか?

確かに、近代官僚制の原則は「公平・中立」です。

行政府の長である首相が私的理由で便宜を図ったのであれば、「公平・中立」に反します。

 

しかし、この原則、実際のところはどうでしょうか?

例えば、あなたが、あなたの家の前に街灯が欲しいと思ったとします。

このとき、あなたが地元の市議会議員のところを行き「家の前に街灯を付けてほしい」と頼みました。

その結果、実際に市議会議員が担当者に要望を伝え、市が街灯を設置したとします。

これはどうでしょうか?

 

市民が政治家を通じて要望を伝え、それが実現したというのは、政治家の使い方として正しいでしょうし、この手の話は実際、よくある話です。

もちろん、政策決定・実施(この場合、街灯を設置することを決め、設置を行ったこと)にあたっては、「〇〇さんから頼まれたから」という理由ではなく「夜間における交通の安全性確保、治安対策、周辺住民からの要望」とかそんな感じの理由で行われます。

行政当局も、完全な私益のためには動けません。

しかし、そこに公益的理由を見いだせるのであれば、その実現に向け動くのが普通です。

 

私も今回の加計疑惑については、おそらく便宜を図ったんだろうなとは思っています。

しかし、私にとっての理想状態は「(厳格な)公平中立な行政運営」ではなく、

「納得できる理由があれば国民の要望に柔軟に答える行政運営」なので、現実と理想状態の間にギャップはありません。

つまり、加計疑惑は問題ではないのです。

 

もちろん、原理原則に則って、加計疑惑を「問題だ!」とする考え方はアリだと思います。流石に、「行政は私利私欲によって運営されていい」という考えは受け入れられません。

 

この疑惑、安倍さんへの嫌悪感や擁護などが混ざり、ぐちゃぐちゃしていますが、異物を取り除き煎じ詰めれば、ようは「現実的な運用に基づいて理想状態を考えるのか、あるべき姿を追い求めて理想状態を考えるのか」という、現実主義と理想主義の価値観対立だと思います。

 

「社会として、どちらの価値観に立脚すべきか」が本来のあるべき議論ではないでしょうか。