埋木帖

政策をテーマにエッセイをつらつら書きます

高等教育無償化を検証する ~第2回 政府による費用負担の正当性(外部効果)~

にわかに政治的トピックスにあがった「高等教育の無償化」。

果たして、この政策ありきで進めていってよいのか?シリーズで見ていきます。

第2回目の今日は、昨日に続き、この政策の目的を考えていきます。

 

前回までのまとめ

検討が進められている高等教育の無償化は、その目的として「高等教育への機会均等の確保」が謳われています。

しかし、全体の傾向としては授業料が上昇しても進学率は増えており、経済的に厳しい生徒も奨学金制度が拡充され、希望すれば受けられるようになっており、高等教育への機会均等は確保されていると言えます。

しかし、現在の奨学金を中心とした仕組みは、実質的には個人に費用負担を求めています。

もし、今回の高等教育無償化が、この「個人の費用負担」から「政府による費用負担」への転換となるのであれば、意味はありそうですが、そこまでして高等教育への機会均等は確保されなければならないのでしょうか?そもそも、高等教育への機会均等を確保して何が良いのでしょうか?

 

なぜ、教育は政府によって供給されるのか?

現状でも、奨学金という個人の実質的負担によって成り立っている高等教育への機会均等ですが、これを“わざわざ”政府の負担によって確保する必要性とは何なのでしょう?

それを考えるに、まず「そもそも、なぜ政府が教育サービスを供給するのか」を考えていきましょう。

 

普通の財・サービス(例えば、ミネラルウォーターや宅配便)は、民間企業によって供給されています。基本的には、政府がミネラルウォーターを供給することはありません。市場で企業と消費者のやりとりによって供給されます。

このような普通の財・サービスは、それらを消費する人に“のみ”その利益がもたらされます。

ミネラルウォーターは、買ったら飲めますが、買わなかったもちろん飲めません(飲んだら犯罪です)。宅急便も、そのサービスに対し料金を払うから希望する先に運んでくれるのであって、料金を払わなかったら運んでくれませんし、希望しないところに運ばれることもありません。

このような財・サービスであれば、市場で決定される価格と数量に基づけば、無駄なく人々に供給されます。これが、市場の効率性です。

もし、すべての財・サービスが、このような性質をもっていれば、政府がわざわざ何らかの財・サービスを供給する必要はありません。市場に任せておけば効率よく供給してくれるからです。

 

外部効果

しかし、一部の財・サービスは、市場に任せておくと効率よく供給されず、むしろ無駄が生じてしまいます。

では、市場に任せておくと無駄が生じる財・サービスの特徴は何でしょうか?

厳密にいうと、そのような財・サービスの特徴はいくつかありますが、今回取り上げたいのは、「財・サービスを消費した人以外にも利益がもたらされる財・サービス」です。

「は?商品やサービスに料金を払ったら、払った人にしか利益はいかないやろ」とお思いになるかもしれません。

確かに、ほとんどの財・サービスは、そうです。

しかし、一部の財・サービスは消費した人以外にも利益をもたらします。

例えば、駅の開業です。

本来、駅の開業は、鉄道利用者にのみ利益をもたらします。

しかし、駅の開業は、その地域の地価の上昇や利用客増加による周辺の商店の売り上げ増加など様々な利益を鉄道利用者以外の人々にももたらします。

また、ほかの例として農業も上げることができます。

田んぼでコメを作り、それを販売することは、本来、農家と消費者のみに利益をもたらします。しかし、田んぼは景観の維持や生物多様性の確保、そして治水機能など役割も果たします。これらによる利益は、農家とコメの消費者以外の近隣住民にももたらされます。

 

このような、生産者と消費者以外に(市場を介さず)利益をもたらすことを「外部効果外部経済)」と言います。

逆に、利益ではなく、ほかの人に不利益をもたらす(例えば、公害)ことを「外部不経済」と言います(こちらのほうが、なじみがあるかもしれません)。

 

教育の外部効果

そして教育も、この外部経済があるサービスの一つです。

ちょっと、極端な例を考えましょう。

ここに、識字率0%の国があったとしましょう。誰も字を読み書きできません。

こうなってくると、意思疎通は直接やるしかありません。そのため、外国企業が工場を作り、この国の人々に作業手順を教えようにも、マニュアル化はできず、すべて直接教えるしかありません。これでは、あまりに非効率です。生産性が悪すぎます。

しかし、識字率が100%ならどうでしょう?このように直接手取り足取り教えずともマニュアルである程度対応できますし、従業員もメモを取るなどして、より早く作業手順を習得できるかもしれません。そうであれば、効率的ですし、生産性も上がります。

つまり、人々の知識のレベルを上昇させることは、社会全般に様々なメリットをもたらすのです。

教育サービスは、先生(供給側)が提供し、生徒(需要側)が消費し、生徒のみが利益を得る(知識を得る)だけではなく、その知識を持った人が社会で多くなることで、様々な利益をもたらします。

つまり、教育には外部効果があるのです。

 

外部効果をもつ財・サービスの供給に政府が介入する理由 

これで、外部効果については分かっていただけたと思いますが、では、なぜ外部効果をもつ財・サービスは政府が供給する必要があるのでしょうか?

ここからはグラフを使いながら説明しましょう。

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普通の財・サービスの場合、市場において、需要曲線(右下がりの青線)と供給曲線(右上がり橙線)の交点(ここでは(4,4))で均衡価格均衡量が決定されます。

 

そもそも、需要曲線とは「これだけ買うのに、これだけのお金を出してもいい」と考えている消費者の傾向を全体的に表したものです。この場合なら、例えば、価格が5なら、この社会で数量2だけ売れます。また、価格が1なら、数量10だけ売れます。

一方、供給曲線は「この値段なら、これだけ売ってもいい」と考えている企業の傾向を全体的に表したもので、同様に、価格3なら、数量3だけ、価格が7なら、数量7だけ売ってもいいと考えています。

この供給曲線は、基本的に「その価格で生産可能な量」を表しています

つまり、価格が3なら、社会全体で数量3だけの生産が可能だということを表しているのです。この「その価格で生産可能な量」を表した曲線を「限界費用曲線」と言います。(ここでは、供給曲線の別名と考えてもらって差し支えありません。)

 

さて、前述の通り、このような需要曲線と供給曲線によって、市場における価格と数量が決まります。

しかし、これが最適な資源配分なのかどうかは分かりません。

これを測るためにある考え方が「余剰」です。

今回は、価格4、数量4だけ市場で取引されることになりました。

しかし、需要曲線を見てみると、価格が5でも数量2分、売れていました。

これは、「価格が5で、数量2分買ってもよい」と考えていた消費者がいたことを表します。

このような消費者にとっては、市場価格が4だったので、当初の支払い意欲5より、1“お得”に変えたことになります。このような消費者の“お得”の合計を「消費者余剰」といい、グラフの青い部分で表されます。

 

同様に生産者も、価格が2でも、数量2分生産できましたが、価格が4になったので、さらに生産が増えました。ここでも、生産者は“お得”になったのです。

このような生産者の得の合計は「生産者余剰」と言い、グラフのオレンジの部分で表されます。

 

そして、「消費者余剰」と「生産者余剰」の合計を「総余剰」といい、社会全体でどれだけ得をしたのかを表します。

総余剰が大きければ大きいほど社会全体で多く得をしたことになりますから、これはもちろん、いいことです。

 

外部効果をもつ財・サービスの市場均衡

以上は、普通の財・サービスの場合です。

では、外部効果をもつ財・サービスはどうでしょうか?

外部効果をもつ財・サービスの市場取引では、需要曲線は特に変わりませんが、供給曲線(限界費用曲線)が少し変わってきます。

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限界費用曲線は、通常、企業内の生産活動のパフォーマンスを表します。ですから、先ほども述べたように、「この価格なら、これだけ生産できる」ことを表します。

しかし、外部効果をもつ財・サービスの場合、最終的に社会に利益をもたらします。そのため、社会全体で見たときの限界費用は、当初、生産にかかった限界費用から外部効果分の利益を差し引くことができます

そのため、社会全体で見たときの限界費用曲線は、企業だけで見た限界費用曲線より下に位置することになります。

企業だけの限界費用曲線を私的限界費用曲線といい、社会全体で見たときの限界費用曲線を社会的限界費用曲線と言います。

社会的限界費用曲線は私的限界費用曲線から外部効果の分だけ下に位置していますから、社会的限界費用曲線と私的限界費用曲線の差が外部効果を表します。

ちなみに、外部効果は社会にとっての得なので、総余剰に含めます。

 

では、外部効果をもつ財・サービスの場合の市場均衡を考えましょう。

まず、政府がなにもしない(つまり、市場に任せておく)場合はどうでしょうか?

 

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企業は、私的限界費用曲線に基づき生産します。また、需要曲線は変わりません。

一方で、外部効果は総余剰に含まれますので、政府が介入しなかった場合の総余剰はグラフの着色部になります(青色が消費者余剰、オレンジ色が生産者余剰、灰色が外部効果)。

均衡価格4、均衡量4となります。

 

しかし、外部効果を勘案した社会的限界費用曲線を見てみると、需要曲線(青色の右下がりの線)とは、数量6のところで交わっています。

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つまり、本来、最適な供給量は6ですが、市場に任せておくと、それより少ない4しか供給されなくなります。

つまり、過小供給に陥っているのです。

また、別の見方をすれば、本来、黄色の部分だけの総余剰が社会にもたらされるはずでした。しかし、市場に任せておくと、それより小さい総余剰しか実現できていないのですから、その分、無駄が生じているとも言えます。

 

これをなんとかするのが政府の役割です。

今回、過小供給に陥っている原因は、企業が私的限界費用曲線に基づいて生産活動を行っているからです。

ここで、例えば政府が企業に外部効果分の補助金を出したらどうでしょうか?

企業の私的限界費用曲線は社会的限界費用曲線と同じになるので、最適な供給量が実現します。

このように、社会にとって最適な供給量を実現するために政府が介入する必要があるのです。

 

外部効果から見て高等教育無償化は正当化されるか

このように外部効果をもつ財・サービスの特性を鑑みると、教育も市場に任せておくと過小供給に陥る可能性があります。そのため、政府が補助金などで外部効果分を補填してやり、最適な供給量を確保するのです。

しかし、これを見て分かるように、政府が補填すべき補助金は、外部効果とイコールです。

つまり、外部効果が大きければ、その分補助金を多く出すことは正当化されますが、外部効果が小さければ、出す補助金も少なくなります。

 

これを今回の高等教育について考えていきましょう。

もし、高等教育によってもたらされる外部効果が大きければ、それに応じた歳出増加は許容されます。しかし、高等教育の外部効果が小さければ、大規模な歳出増加は許容されません。

ここで、ポイントとなるのは「高等教育分だけの外部効果の大小」です。

前述の識字率0%という顕著な例であれば、外部効果は大きいでしょう。

しかし、日本は既にほとんどすべての人が高校を卒業しています。そのうえで、高等教育がもたらす外部効果は、やや限定的なものにならざるを得ませんし、今の大学教育がすばらしい外部効果を有しているとも正直思えません。

また、これらの指摘は理論や経験レベルのものですが、実証的にも高等教育の外部効果を具体的に計算された研究を私は知りません。

 

理論的にも、実証的にも決して外部効果が大きいとは言い切れない状況において、おもいきった財政出動をともなう高等教育の無償化は、あまり正当化できないでしょう。

 

高等教育無償化を検証する ~第1回 無償化の意味~

今朝の新聞にこのような記事がありました。

 

 高等教育無償化、2案に絞り検討 数兆円規模の財源課題

(2017年8月18日付 朝日新聞

www.asahi.com

安倍政権が掲げる大学などの無償化について、政府は、有力な2案に絞って検討を進める方針を固めた。全国民を対象に在学中は授業料を取らず、卒業後に所得に応じて拠出金の形で納付する案と、一定の所得制限をした上で給付型奨学金を拡張する案の二つ。ただいずれの案でも、数兆円規模で必要ともされる財源の確保策には現時点では踏み込んでおらず、検討が難航する可能性も残る。

 

今年の5月3日の憲法記念日改憲派の集会へのビデオメッセージで安倍首相が初めて言及して以来、政府与党のアジェンダとして取り組まれている「高等教育の無償化」ですが、この記事を見る限り、だいぶ具体的に検討が進んできているようです。

 

時の首相が「高等教育無償化」という特定の政策について言及したため、この政策ありきで事が進むのは当然のことです。

しかし、本当に高等教育無償化ありきで進めてしまって大丈夫なんでしょうか?

今回は、高等教育無償化政策について、シリーズで検証していきます。

 

第1回目の今日は、高等教育無償化の目的について考えていきます。

 

高等教育無償化の目的は何か?

今回、取り上げられている高等教育無償化は、「大学や専修学校にかかる費用負担をなくす」政策です。これは、いわば手段です。

しかし、政策は社会問題を解決するための方法であり、手段には何らかの目的があるはずです。

つまり、今回の高等教育無償化政策にも解決を意図している社会問題(目的)があるはずです。

では、高等教育を無償化することによって解決される社会問題(高等教育無償化の目的)は何でしょうか?

先ほど引用した記事によると

 

意欲があれば大学や専修学校に進学できるようにし、高等教育への機会均等の確保を図るのがねらい。

 

 

つまり、高等教育無償化の目的は「高等教育機会の均等」だということです。

これ、裏を返せば「現在、高等教育機会は不均等である」ということになります。

なぜなら、現状でも教育機会の均等が確保されていれば、わざわざ高等教育無償化政策を導入する必要はないからです。

 

ここまでをまとめると、

 

  • 現在、高等教育への機会均等が確保されていない
  • 高等教育無償化を行う
  • 高等教育への機会均等が実現する

 

・・・と政府は考えているはずである、ということになります。

(いや、安倍首相が憲法改正への布石を真の目的としている可能性もありますから)

 

確かに、無償化すれば、進学を希望している人は経済的理由で進学できないという事態は回避されますから、機会均等は実現しそうです。

 

しかし、ここで2つの疑問が生じます。

  1. 本当に今は高等教育への機会均等が確保されていないのか?
  2. 高等教育への機会均等が確保されて何がよいのか?

 

検証していきましょう。

 

現在、高等教育への機会均等は確保されていないのか?

まず、現在、高等教育への機会均等が確保されていないのかを見ていきましょう。

以下では、話を単純にするため、「経済的理由で進学できないこと」を機会均等が確保されていないとします。

まず、大学の授業料の推移を見ていきましょう。

 

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出典:文部科学省資料

http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/__icsFiles/afieldfile/2015/12/25/1365662_03.pdf

 

ご覧のように、1975年から2014年にかけて大学授業料は上がり続けています。

確かに、授業料が上がれば、進学は難しくなるかもしれません。

 

次に、大学進学率を見ていきましょう。

 

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出典:武庫川女子大学教育研究所

http://www.mukogawa-u.ac.jp/~kyoken/13.pdf

 

これを見てみると、大学授業料が上昇している一方で、進学率も上昇していることが分かります。

本来、大学の高額な授業料が教育機会の均等を阻害しているなら、大学授業料が上昇すれば、進学率は減少するはずです。

しかし、現実にはそうなっていません。

これは、すでに高額な授業料を払うだけの価値を高校生(あるいは、その保護者)が感じているからかもしれません。

 

いずれにせよ、全体的な傾向としては、経済的理由が高等教育への機会均等を阻害しているとは言い切れません。

このことは、全員を対象とする高等教育無償の必要性を大きく減じます。

 

しかし、これはあくまでマクロの話であり、ミクロな話で見るとどうでしょうか?

つまり、ひとり親や家庭の経済状況が厳しく、やはり授業料を支払えず、進学を断念している人々が存在しているのかという話です。

結論から言えば、もちろん存在します。

 

例えば、2010年に全国の高校の進路指導担当教員を対象としたアンケート調査で「大学進学を断念した理由で多いものは」との質問に対し、76.3%が学費などの費用を、その理由として挙げています。

 

また、あしなが育英会が行った調査では、親を失って就職を希望する高校生のうち50%が経済的理由で進学を断念したとの結果が出ています。

 

(引用:https://www.pref.shizuoka.jp/bunka/bk-130/documents/01siryou-09.pdf

 

確かに、このようなケースに対応する意味では、政策は必要かもしれません。

しかし、今年度から要件が緩和され、希望者全員に奨学金が支給されています。

 

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出典:日本学生支援機構資料

http://www.jasso.go.jp/about/ir/minkari/__icsFiles/afieldfile/2017/03/14/29minkari_ir.pdf

 

すなわち、既にすべての人に高等教育への機会均等が実現していると言えるのです。

 

高等教育への機会均等が実現されると何がよいのか?

とはいえ、現状の機会均等の実現は、あくまで奨学金によるものです。

奨学金は、将来的に返済をしなければならないので、実質的には個人が負担しているにすぎません。

今回の高等教育無償化政策は、(文字通りに受け取れば)学費の負担を個人から、政府の負担に変えるという見方もできます。

確かに、政府によって実質的にも費用負担をしてもらえるのであれば、さらに進学へのハードルは下がるでしょう。

 

しかし、政府が費用負担をしてまで機会均等を図る必要性はあるのでしょうか?

これを考えると、2番目の疑問「高等教育への機会均等が確保されて何が良いのか?」という疑問にも、つながってきます。

 

ちょっと、ここの話は長くなるので、次回で見ていきます。

児童扶養手当2か月ごと支給の意味

先日、このような報道を見つけました。

 

児童扶養手当、2カ月ごとに 支給時期細分化へ(2017年8月14日付 中日新聞

www.chunichi.co.jp

 

低所得のひとり親家庭向けの児童扶養手当について、厚生労働省は十三日、支給方法を見直す方針を決めた。現在は四カ月ごとにまとめて支給しているが、二カ月ごとにすることを検討している。

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つまり、4か月分をまとめ支給していたものを、2か月分のまとめ支給にする、いわば、それ“だけ”の制度変更です。

イメージ図にもあるように支給総額が増えるわけでもありません。

この制度変更に一体どんな意味があるのでしょうか?

 

社会保障の「まとめ支給」問題

児童扶養手当は主にひとり親世帯向けの社会福祉給付の一つです。児童扶養手当は、親の収入によって支給額が変化しますが、子どもが一人の場合、1か月ごとに1~4万円ほど支給されます。

では、児童扶養手当は一般的な給与振り込みのように毎月支給されるかと言えば、そうではなく、記事中でも言及されていたように、4か月に1回、4か月分をまとめて支給されます。

このような数か月分の支給額を一括して支給されることを「まとめ支給」と言い社会保障ではよくとられる手法です。

例えば、年金は2か月に1回、偶数月に2か月分まとめて支給されています。

 

多くの場合、このような社会保障給付は指定の口座に振り込まれる形をとります。

この方式だと手数料や手続きの手間が生じるため、1か月ごとではなく、このように数か月分をまとめて支給し、コストの削減を図るのです。

 

支給する側にとっては合理的な方法と言えます。

 

しかし、この「まとめ支給」、当の支給を受ける側にとっては、なかなか厄介な仕組みです。

 

よくあるケースは、支給された直後に過剰に消費してしまい、次の支給日まで生活が苦しくなってしまうことです。

例えば、8~11月分(4か月分)の児童扶養手当の支給は12月に行われます。

1月あたり4万円の支給を受けている場合、12月に16万円を一気に振り込まれます。

12月は物入りですから、12月だけで4万円より多く使ってしまうかもしれません。

そうすると、当たり前ですが、次の支給月の4月まで、4万円未満/1か月でやりくりをしなければなりません。

イメージとしては、給料日直後に使いすぎて、給料日前に厳しくなる状態に近いでしょう。

1か月のやりくりですら、大変な訳ですから、4か月分のやりくりがもっと大変なのは想像に難くないでしょう。

 

今回の支給時期を4か月から2か月にするのは、このようなやりくりの大変さを軽減する目的があるのです。

 

「計画性」の問題か

しかし、ここまでの話だけだと「そんなの計画性がないだけじゃないか」と突っ込みたくなるかもしれません。

確かに、先ほどの例でも支給月に使いすぎなければいいだけの話で、きちんと1か月ごとに1か月分を使ってやりくりをすれば、支給前でも大変な思いはしなくて済みます

前述の通り、もともと毎月支給しているとコストがかかるから、まとめ支給をしているのであって、支給時期の細分化はコスト増につながります。

「計画性のない人間のためにコストを増やす」と考えると釈然としないでしょう。

 

しかし、人間がそもそも無計画だと考えるとどうでしょうか?

例えば、今すぐに1万円もらえるのと、1年後に1万100円もらえるとしたら、どちらをあなたは選択するでしょうか?

おそらく、多くの人は、今1万円をもらいたいと考えるでしょう。

しかし、額だけ比較しても、1年後の1万100円のほうが多いわけですから、1年後に1万100円をもらった方が、明らかに合理的です。

それでもなお、私たちが目先の利益を優先してしまうのは、1年後の1万100円より、今の1万円に大きな満足を得ているからです。

 

このような、目先の利益を優先してしまう行動特性を「現在バイアス」と言い、行動経済学ではよく知られています。

この社会保障給付と現在バイアスを考える先行研究として、Stephens and Unayama (2011)があります。

この研究では、年金の制度変更を利用し、支給月とそれ以外の月の消費行動を検証しています。

前述のように、現在の年金は偶数月に2か月分まとめ支給がされています。しかし、こうなったのは1990年以降の話で、それ以前は3か月分をまとめ支給していました。

この制度変更を利用して、その前後の月ごとの消費額の変化を見てみます。

季節によって消費額の増減はあるため、その月ごとの変化は均一にはなりません。

しかし、もし、人々が合理的な消費行動をしているなら、月ごとの変化があったとしても、制度変更前後で消費の傾向は変わっていないはずです。

 

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グラフの実線が制度変更前で破線が制度変更後です。

見てみると、制度変更前後で消費の傾向が違うことが分かります。

特に、制度変更前は年金の支給月ではなかった、4,6,10月は制度変更後に消費が増えているのが分かります。

この変化は、統計的にも優位な差であり、この結果から、人々は支給月に消費を増やしていると言え、現在バイアスの存在を確認できます。

 

また、支給時期が細分化されたことにより、消費の変動も小さくなっています。

すなわち、これは支給時期細分化によって支給月前のやりくりの大変さを軽減した可能性も示唆しています。

 

このように、現在バイアスは多くの人が持っている、いわば人間の性(さが)のようなものであり、「現在バイアスがある」ことを前提として制度設計を行ったほうが良いのではないでしょうか。

そういった意味で、今回の児童扶養手当の支給時期細分化は、被支給世帯の生活を安定化させる効果が期待できます。

 

しかし、この知見が、本当に児童扶養手当にも当てはまるかは確定的ではありません。

今後、制度変更前後でどのような変化があったのか検証していくことも必要です。

 

参考文献

大竹文雄(2016)「社会保障制度に行動経済学を活かす」日本経済研究センター

https://www.jcer.or.jp/column/otake/print837.html

厚生労働省「児童手当について」

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/osirase/100526-1.html

宇南山卓(2011)「ライフサイクル・恒常所得仮説の検証とマクロ経済学の発展」社会科学研究第63巻第1号、pp.73-90.

http://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/jss/pdf/jss6301_073090.pdf

Stephens, Melvin, and Takashi Unayama (2011) "The Consumption Response to Seasonal Income: Evidence from Japanese Public Pension Benefits." American Economic Journal: Applied Economics, 3(4): 86-118.

https://www.aeaweb.org/articles?id=10.1257/app.3.4.86

「シン・ゴジラ」で学ぶ行政学 ~第5回 小塚都知事の苦悩 中央と地方自治体~

シン・ゴジラ」を通して、行政学を学ぶ本シリーズ、今回は「東京都」について見ていきます。

 

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実働部隊・地方自治

シン・ゴジラ」の劇中描写は、政府(つまり、中央)が中心でした。

しかし、一部で描写されていた他の行政組織に「地方自治体(地方公共団体)」があります。

その中心が、東京都です。

劇中では、光石研演じる小塚東京都知事が政府の対応にイライラしている描写がありましたが、あまり描かれている場面は多くありません。

しかし、ゴジラへの対応という意味では、むしろ東京都のほうが大きな役割を果たしていたと言っても過言ではないでしょう。

政府が、いわば企画立案機能を主として担うのであれば、東京都のような地方自治体が担うのは実働です。

 

災害対応のメインは自治体

我が国の、災害対応の基本を定める災害対策基本法では、第5条にこのような規定がされています。

 

第5条 市町村は(略)地域に係る防災に関する計画を作成し、及び法令に基づきこれを実施する責務を有する。

 

つまり、災害対応は市町村が実施する責務があると規定しています。

一方、都道府県は「(前略)市町村及び指定地方公共機関が処理する防災に関する事務又は業務の実施を助け、かつ、その総合調整を行う責務を有する」(同法4条)、国については、「地方公共団体、指定公共機関、指定地方公共機関等が処理する防災に関する事務又は業務の実施の推進とその総合調整」(同法3条2項)と規定されています。

つまり、メインは市町村が対応して、それを応援する形で都道府県、さらに必要なら国が出てくるという役割分担をしています。

つまり、災害対応の第一義的責任は市町村が負うことになるのです。

 

実際、災害対応の最前線で活躍する消防は市町村が管轄する業務です。

例えば、横浜市であれば「横浜市消防局」という消防組織を自前で用意しています。

また、昨今の過疎化で、市町村が単独で自前の消防組織を維持することが困難になってきている地域では、「一部事務組合」という形で、周辺の市町村と共同で消防組織を設置しています。

 

ゴジラ災害対応の東京都の役割

では、今回のゴジラへの対応は、どうだったのでしょうか?

1回目の上陸では、大田区・品川区という東京都特別区の地域に被害をもたらしました。

では、大田区や品川区の消防組織が動いたのかといえば、そうではありません。

 

実は、大田区や品川区は消防組織を持たなければならない市町村にはあたらないため、自前の消防組織を持っていません

 

同様に他の東京23区も消防組織を自前で持っていません。これは、特別区を一人前の市町村として法律上見なしてこなかったからです。

 

例えば、通常の市町村であれば、固定資産税の徴税権を持っています。

しかし、東京23区には固定資産税の徴税権はありません。徴税権は東京都が握っています。

 

近年の地方分権改革により、一昔前と比べればだいぶ東京23区も普通の市町村と同じような権能を有するようになってきましたが、通常であれば市町村が持っている権能を東京都に未だ握られています。

 

消防は、その代表例でしょう。

 

東京都の場合、東京23区の消防を担うために、「東京消防庁」という、東京都の組織が設置されており、これが東京23区の消防機能を担います。

劇中、小出恵介が「新たな避難場所の指定を乞う、どうぞ!」と発言しているシーンがありますが、小出恵介東京消防庁の職員、すなわち東京都の職員です。

このような住民の避難誘導や被災後の救援活動は、このような消防という地方自治体の組織によって担われているのです。

 

消防について、東京23区は、いわば「レアケース」でしたが、同じく災害時に地方自治体の組織として重要な役割を果たす組織に「警察」があります。

警察は、すべての都道府県で都道府県が管轄しています。

大阪府警」「福岡県警」というように、通常、その都道府県名が名前に入っています。

ただ、東京の場合は「東京都警」ではなく、「警視庁」という名前の警察組織が警察業務を担っています。

 

この警視庁のトップが、警視総監で劇中でも恩地警視総監が「現場には交通統制を徹底させます」と発言しています。このような交通整理も都道府県警、すなわち自治体の仕事です。

 

このように見ていくと、私たちの身近なところで実際に動いてくれる行政の仕事の多くが地方自治体によって担われているということが、よくわかると思います。

 

自治体を国もサポート

先ほど、災害対策基本法の条文を見たように自治体が災害対応ではメインの役割を果たしますが、国もサポートは怠りません。

たとえば、市町村で災害対応のため、人手が足りなくなると県や国から人を回します。

また、彼らは本来所属している県や国との連絡役としても機能します。

特に、連絡・調整役として派遣される職員を「リエゾン」と呼びます。

 

劇中で、リエゾンが出ていたシーンがあります。

それは、小塚都知事が自衛隊の派遣を求める際に、「治安出動」による派遣か、「防衛出動」による派遣かについて職員が言い争っていたシーンです。

象徴的なシーンなので覚えている方も多いと思います。

あの議論が行われていた場所としては、東京都庁のオペレーション・ルームですが、あの議論をしていたのは、都庁職員ではなく、各中央省庁から派遣されたリエゾンたち、つまり国家公務員です。

リエゾンは、通常、その身元が分かるように派遣元の役所名が書かれたビブスを着用していますが、劇中でもよく見ると「警察庁」とビブスに書かれています。

警察庁」は、「警視庁」などの各都道府県警を所管する中央官庁です。

このシーンの最後、リエゾンの一人が「でも、総理は渋るよな」と嘆息をついていますが、これは日ごろ首相と近い場所で仕事をしている警察庁職員ならではの発言と言えます。

 

このようなリエゾンたちが、派遣先の自治体でその業務について法令解釈に照らし合わせ判断を行ったり、派遣元との連絡調整をしたりしながら自治体の災害対応のサポートを行うのです。

 

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今回で、「シン・ゴジラ」で学ぶ行政学の最終回としたいと思います。

また、ちょうどいい題材が見つかったら随時更新します。

 

画像出典:http://imagenavi.jp/search/detail.asp?id=10018543

「シンゴジラ」で学ぶ行政学 ~第4回 描かれざる“泉ちゃん”の活躍「事前審査制」~

シン・ゴジラ」を通して、行政学を学ぶ本シリーズ、今回は「まずは君が落ち着け」で一躍人気者になった「泉ちゃん」こと、泉修一保守第一党政調副会長(演・松尾諭)を通して、日本の政治・行政の最大の特徴ともいえる「事前審査」を学びます。

 

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ゴジラ対策にも法律の裏付けが必要

劇中で描かれた巨災対自衛隊の働きは、まさに「政策の実施」に他なりません。

後半になると、民有の高層ビルを破壊したり、車両を爆弾代わりに使ったりとだいぶ無茶なことはしていますが、いずれも法律による裏付けがあったはずです。

 

行政が行うことは、すべて法律による規定、またはその解釈によって妥当な範囲で行われます。これが「法律による行政」という近代官僚制の原則です。

 

なぜ、行政の行動に法律の裏付けが必要なのでしょうか。

ポイントは、「民主的正統性」です。

例えば、政治家の場合は、選挙に立候補して、当選しなければ政治家にはなれません。つまり、国民の代表としてふさわしいかを、国民自身が選択しています。

しかし、公務員の場合は、公務員試験を通れば公務員になれます。この採用について、国民がその人が公務員になるにふさわしいかと判断することはありません。

このように試験のみで公務員の登用を決める仕組みを「資格任用制」と言いますが、資格任用制による登用では公務員の民主的正統性は確保されないのです。

しかし、公務員は政策の立案、実施など国民生活に関わる重要な業務を行いますから、なんとかして公務員を民主的にコントロールしなければなりません。

そのための方法の一つが、この「法律による行政」なのです。

法律は、立法機関(国会)で決定されます。

この立法機関の構成員は、民主的に選ばれた政治家です。

民主的正統性が担保された政治家が決めた法律であれば、法律にも民主的正統性があると見なします。

そして、この民主的な法律で規定されたことしか公務員ができないようにすれば、間接的に公務員の民主的正統性が担保される、という考え方が「法律による行政」です。

 

このような観点から、行政は法的根拠がなければ政策実施はできません。

しかし、法律がすべての事態に対処しているかと言えば、そうとも言えません。

「想定外」の事態は、やはり、どうしても起こり得ますし、まして映画のような「ゴジラの出現」への対応策は、法律で十分規定されていないと考えるのが妥当です。

 

では、行政組織は指をくわえて静観しているのかと言えばそうではありません。

対応する法律がないのなら、作ればいいのです。

 

議院内閣制の下での法案提出

法律を作るのが立法で、実施するのが行政なのだから、政府が法律を作るのはおかしいのではないか?」と思う方もいるかもしれません。

確かに、厳密な三権分立を前提とすれば、その考え方は正しいです。

実際、厳格な三権分立を採用しているアメリカでは、行政府の長である大統領に議会への法案提出権はありません。

しかし、日本は、このような厳格な三権分立ではなく、議院内閣制を採用しています。

議院内閣制とは、議会によって首相を指名し、議会と行政(内閣)がともに協力するという形です。議院内閣制は「立法と行政の融合」とも言えます。

議院内閣制の最大のメリットは、円滑な政権運営です。

議会の多数派の支持によって、内閣は成立しているので、基本的には、議会多数派と内閣の間に意見対立は生じません。そうすることで、多数派が必要としている法律を通し、それを実施することが円滑に進めることができるのです。

逆に、厳格な三権分立をとっているアメリカでは、議会と大統領の間で意見対立がおこることはしょっちゅうです。例えば、トランプ大統領は「オバマ・ケア」の見直しを訴えていますが、議会で支持が得られていないため、結局、オバマ・ケアの見直し法案は廃案となっています。

議院内閣制では、このような事態は、まず起こらないのです。

 

議院内閣制の特徴としては、政府提出法案(内閣提出法案、閣法)の割合が高いことです。

日本の場合、法案提出権は、もちろん議員にもありますが、政府にも提出権があります。

そして、提出される法案、そして成立する法案の多くが政府提出法案で、議員提出法案の割合は大きくありません。

これは、議院内閣制下では当たり前ともいえる現象です。

なぜなら、議会の多数派によって内閣が成立しているわけですから、内閣が提出した法案は議会の多数派の意見と同じはずですし、多数派なので可決します。

このような閣法の割合の高さは同じく議院内閣制をとっているイギリスなどでもみられる現象であり、自然なことと解釈した方がよいでしょう。

 

つまり、議院内閣制のもとでは、閣法が、むしろ通常ケースと言えます。

では、閣法はどのように作られるのでしょうか?

基本は、その法案を担当する各省庁の担当課が作成します。

しかし、1つの法案が、1つの担当課の管轄だけで完結するとは限りません。

例えば、ヒアリなどの外来生物の侵入阻止のために新たな法律を作ろうと思ったら、担当する環境省の課だけでなく、港湾関係で国土交通省の担当課や人が被害にあってしまった場合を想定して厚生労働省の担当課とも調整が必要になるでしょう。

また、運輸業界や医療機関、自治体との連携も欠かせませんから、その当事者たる事業者や関係自治体との事前調整も欠かせません。

このような霞が関や利害関係者との調整を経て、最終的に法律案の形としてまとめられ、閣議決定され、国会に提出されます。

 

閣議決定書は、劇中でも描写があったように、総理大臣とすべての国務大臣の花押(サイン)が書かれます。閣議も、「サイン会」と言われるように、この花押を書くのが中心で、大臣間で議論らしい議論は行われません。

首相官邸HPには、閣議の議事録が公開されていますが、見ていただくと分かるように、基本的に報告しかされていません。

これは、閣議前に関係者との事前調整がすべて完了しているためです。

 

ここまでをまとめると、行政は法律によって規定されたことしかできない。しかし、行政として対応が迫られる状況になったときには、議院内閣制の利点を活かし、内閣提出法案をまとめ、国会を通過させ、新たに行政ができることを加えていきます。

内閣提出法案の作成は、中央官庁の担当課が、関係する部署や事業者や自治体など利害関係者と調整をしながらボトムアップ型で作成します。その結果、閣議は事実上、最終確認の場としての機能しか持っていません。

 

このようにして作られた内閣提出法案は国会で、今度は政治家たちによって審議がなされます。しかし、国会中継などをご覧いただければ分かるように、居眠りをする与党議員は多く、野党も中身の審議というよりは日程戦術によって、法案を通過させないようにしているばかりで、実質的な審議はあまり行われていない印象を受けます。

なぜなら、与党議員は、国会で真剣に審議するインセンティブがないからです。

 

事前審査制

 

ようやく、ここで登場するのが「政調」です。

以下では、自民党を想定して説明していきますが、ほかの党でも、同様の仕組みをとっているところが多いです。

 

さて、私は「与党議員が国会で真剣に審議するインセンティブがない」と言いましたが、別にこれは与党議員が怠け者と言いたいわけではありません。

あくまで、「国会で」やる必要がないと言っているだけで、真剣に法案を審議することはしています。むしろ、選挙で応援してくれた有権者や業界団体の考えをできるだけ政策の形に落とし込むため、非常に熱心に法案を見ます。

しかし、その場は「国会」ではなく、「政調」なのです。

 

政調は正式には「政務調査会」と言い、党の正式な会議体の一つです。

政策調査会は、その下に「部会」と言われる、いわば委員会のような会議体があり、「厚生労働部会」「法務部会」「国土交通部会」のように基本的に各省庁と対応する形で設置されています。党に所属する国会議員は、最低2つの部会に所属し、ここで各省庁から提出される法律案の「ご説明」を受けます。

例えば、厚生労働省がたばこの規制法案を提出しようと思えば、この政務調査会の下にある「厚生労働部会」で、担当する官僚が部会に所属する国会議員らに「ご説明」を行います。

しかし、単なる一方的な説明では終わりません。所属する国会議員らは、それぞれの意見や要望を担当者にぶつけます。

そして、あまりに国会議員らの反発が大きければ、法案提出が見送られます。先のたばこ規制法案はまさに厚生労働部会で猛反発をくらった法案です。

もちろん、今回のような例ばかりではありません。担当課も、国会議員の先生方に反発されると分かり切った法案をご説明に行くわけではありませんから、ある程度「忖度」した法案を持っていくはずです。

ただ、部会を通過しても、この次に政務調査会が待っていますので、ここでも同様に国会議員の了承を得る必要があります。

部会と政務調査会は原則、全会一致です。全体的に反発を食らうまでいかなくとも、一部の議員が反発する場合はほどほどにあるでしょう。

このような場合には、部会長や政調会長の腕の見せ所です。

すなわち、政調の役職者が説得にあたるわけです。これが、政調会長が「党内の調整役」と言われる所以です。場合によっては、将来のポストをちらつかせて説得するといったこともあるようです。

 

劇中では、泉ちゃんは政調副会長の任にありましたから、こういった党内調整を行い、ゴジラ関連法の成立に尽力していたのでしょう。

割烹料理屋も、議員の説得のため行っていたのかもしれませんね。

 

そして、このような政調の議論が終わったのちに、今度は総務会に法案はあげられ、ここで了承されると、国会の審議にあたっては、党議拘束がかけられます。すなわち、国会の採決の場で、反対することが許されなくなるのです。

 

このような、国会提出前の与党による調整を「事前審査制」と言います。

つまり、与党の国会議員たちは、この部会や政調といった「事前審査」の場で、意見を既に言って、盛り込んでもらって、あるいは、なんらかの見返りをもって納得しているので、なにも国会でまじめに審議する必要もないのです。

 

しかし、裏を返せば、せっかく国会提出までした法案は、すでに与党の了承をもらっているのですから、廃案になるという事態も避けられます。

事前審査制によって、行政組織も円滑に仕事を進められているのです。

 

しかし、事前審査制は問題があります

それは、審査過程の不透明さです。

国会での審議であれば、議事録は残りますし、今時中継もネットで見られますから、どのような審議を経て、法律ができたかを検証することができます。

しかし、事前審査制の場、すなわち部会や政調会は公開の場ではありませんから、どのような議論が行われたのかは外部の人間が検証することができません。

もしかすると、ある政治家が特定の業界の利益を誘導し、法案を成立させようとした可能性だってありますが、それすら表には出てきません。

 

諸外国でも、このような事前審査制のようなシステムはありませんし、官僚と政治家との接触を規制する国もあるくらいです(イギリスなど)。

むしろ、事前審査制によって利益を被るのは官僚、政治家、そして一部の利益団体のみで、国民全体から見れば、むしろ弊害の方が大きいのではないでしょうか。

 

画像出典:http://www.asahi.com/articles/photo/AS20160830003201.html

 

「シン・ゴジラ」で学ぶ行政学 ~第3回 ヤシオリ作戦の裏側 「グレーゾーン組織」~

シン・ゴジラ」を通じて行政学を学ぶシリーズ、今回は「ヤシオリ作戦」の裏で、劇中では描かれていないながらも活躍したであろう「グレーゾーン組織」について学びます。

 

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巨災対だけでは「ヤシオリ作戦」成功はなかった

巨災対は、ゴジラ対応への専従調査班として首相官邸に設置された機関ですが、彼ら・彼女らが全ての実務作業を担ったわけではありません。(さすがに、人手が足りなさすぎます)

巨災対の仕事の中心は、あくまで「ゴジラ対応プランの企画立案」と「そのための調整」で実際にゴジラのサンプル調査や凝固剤の精製等をしたわけではありません。

しかし、これらは誰かがしなくてはならない仕事です。

では、こういった実務は、巨災対メンバーでない公務員がやったのかといえば、それも違います。

 

例として、サンプルの調査分析を考えましょう。

 

ゴジラが初めて上陸した後、ゴジラの正体を探るため、現場に落ちていた身体組織の一部を採取して、調査・分析することになりました。

ゴジラの弱点は何なのか」を探るためには、生物学的な調査が必要な仕事です。

しかし、このような専門的な調査・分析は公務員しかやれない仕事でしょうか?

確かに、専門的な知識や設備は必要でしょうが、それらさえあれば民間の大学や研究機関でも十分できますから、何も「公務員がやる必要」は、あまりないでしょう。

その一方で、今回のゴジラの分析は機密性の高い仕事とも言えますので、そこらへんの民間研究所に分析を頼むのも気が引けます。

そこで、劇中で調査分析を委託されたのが、「理研」です。

 

公的グレーゾーン組織① 独立行政法人

理研の正式名称は、「国立研究開発法人理化学研究所」です。

この「国立研究開発法人」とは、「独立行政法人」の一種です。

独立行政法人(独法)」は名前だけなら聞いたことがあるかもしれません。

独立行政法人とは、簡単に言えば「公務員がやる必要があるわけではないが、完全な民間組織に頼っては提供されないであろう業務を行うための組織」と言えます。

確かに、理研が行っている基礎的な研究開発は、その成果は大変公益性の高いものですが、すぐにビジネス化できるものではないので、民間企業では行えない業務です。

さらに、研究開発自体は、公務員がやる必要性も特にありません。

そこで、この独立行政法人という形で、基礎研究を行っているのです。

独立行政法人は、純粋な民間組織とも行政組織とも言えません。

いわば、「グレーゾーン」な組織です。

独立行政法人の職員の身分は、公務員ではありません。

(職員の身分が公務員である「特定独立行政法人」という独法もあります)

また、資金調達についても国は保証してくれませんし、納税の義務があります。

しかし、政府が野放しにしているかといえば、そうではありません。

独立行政法人は、法律(独立行政法人通則法)の規定に基づき、所管官庁の大臣から「中期目標」という、独法が達成しなければならない、目標が提示され、各独法は中期目標を達成するための、「中期計画」を作成し、大臣から計画の認可を得ます。

独法は、この認可された計画に基づき、運営を行いますが、計画期間が終われば、今度は官庁からの評価を受けなければならず、場合によっては、独法が廃止されます。

このような組織の存廃のかかった評価がなされるため、独法には効率的な組織運営を求められる訳です。

このように政府は、独法をコントロールしながら、効率的に業務を行っているのです。

 

独法は、理研のほかにも、年金の運用を行っているGPIFや奨学金を扱っている日本学生支援機構など様々なものがあり、現在87法人(2017年4月1日時点)あります。

参考:独立行政法人一覧

http://www.soumu.go.jp/main_content/000408998.pdf

 

劇中では、文部科学省が所管している理研によって、公務員でやる必要性はないが、民間に任せるには気が引ける「ゴジラのサンプル分析」業務が行われたわけです。

独法は、名前こそ「独立」ですが、計画の審査や評価がなされる所管官庁の影響は強くうけざるを得ません。

劇中の裏では、文部科学省理研に「この調査分析を最優先でやれ」と指示したのではないでしょうか?

 

公的グレーゾーン組織② 特殊法人

理研のような独立行政法人は、2001年から始まった比較的新しい組織形態です。

しかし、このような政府とも民間とも言い難い組織、「グレーゾーン組織」は、ずっと昔からありました。

その代表格が、「特殊法人」です。

特殊法人の最も身近な例は、JRではないでしょうか。

そう、ヤシオリ作戦の山場の一つである無人在来線爆弾や無人新幹線爆弾。

あれらは、間違いなくJRの協力がなければ実現できなかったはずです。

 

特殊法人とは、個別の法律に基づき設置された法人のことです。

全ての法人に適用される通則法がある独法とは、やや異なります。

また、運営面は独法よりも、かなり所管官庁の影響を受けます

独法は、言っても所管官庁の影響は中間目標、中間計画の認可、事業評価くらいでした。

しかし、特殊法人の場合は事業計画だけでなく、予算や資金調達、長の任命権まで所管官庁の大臣が持っており、官庁の子会社と言っても過言ではないでしょう。

このように、特殊法人は独法よりも、政府の影響力が強いと言えます。

しかし、影響の強さは、裏を返せば、政府による保護とも言えますので、その運営の効率性については批判が続いていました。

独法は、その批判を受け、評価を通じて効率性を確保しようとした新しいグレーゾーン組織なのです。

この結果、かつては113法人あった特殊法人行政改革や独法制度の開始により、数は減少し、今は33法人(2017年4月1日時点)しかありません。

とはいえ、残っている特殊法人はなじみ深いものが多いです。

NTTやJT日本たばこ産業)、日本年金機構中央競馬会は特殊法人です。

参考:特殊法人一覧

http://www.soumu.go.jp/main_content/000411477.pdf

 

また、前述したJRについても、JR北海道JR四国JR貨物特殊法人です。

一方で、JR東日本JR東海JR西日本JR九州は、もとは特殊法人でしたが、完全民営化を果たし、今は特殊法人ではありません。

しかし、完全民営化したとはいえ、JR東や東海は経営層に旧国鉄出身者も残っていますから、政府とのつながりは深いと言えるでしょう。

在来線爆弾はJR東日本、新幹線爆弾はJR東海の協力なくしては実現しませんでした。

おそらく、国交省関係者が頼み込んだのではないでしょうか。

 

ちなみに、公的なグレーゾーン組織として、独立行政法人特殊法人のほかにも、認可法人と言われる政府が直接やるにはなじまない事業を私企業の形態で行っている法人があり、日本赤十字社(政府がやっては、無差別の救援にはなじまない)や日本銀行(金融政策の独立性を担保するため)などが、その例です。

 

私的グレーゾーン組織・業界団体

ここまでは、政府によって設立されながらも、政府とも民間とも言えない組織を見てきました。

しかし、グレーゾーン組織は、これだけではなく、形としては民間が設立したグレーゾーン組織もあります。

それが業界団体です。

例えば、自動車メーカーの業界団体には日本自動車工業会、電力会社には電気事業連合会があります。これらは、形としては、民間企業が集まってできた組織であり、純粋な民間組織に思えます。

しかし、業界団体の多くは、かつて通商産業省など官庁の指導により設立されたものです。

高度経済成長期、日本は護送船団方式と言われる協調体制で経済を回してきました。

このため、政府は民間企業を指導する(よりハッキリ言えば、コントロールする)必要性がありました。

そこで、逐一各企業に指導するよりも業界団体を作り、そこを通じてコントロールしようとしたのです。

また、反対に民間企業としても、業界団体を通すことで政府に要望を伝えやすくするというメリットがあったので、これに応じる形になりました。

今では、官庁による業界の指導権限は縮小したので、官庁側の「コントロールする」という機能は小さくなったと考えられますが、政策立案に際しては、官庁は業界団体を通すことで関係者の意見を聞きやすいですし、逆に企業が業界団体を通じて意見要望を伝える機能は健在です。

 

シン・ゴジラ」の劇中では、ヤシオリ作戦のために必要になった、血液凝固剤の効用試験は厚生労働省を通じて、民間製薬会社に行ってもらっていますし、効果が確かめられた血液凝固剤の精製には経済産業省を通じて化学メーカーに行ってもらい、その輸送や高圧ポンプ車の確保は国土交通省経済産業省を通じて民間各社に行ってもらっているようです。

おそらく、これらの事業が迅速に行われた背景には、日頃からの業界団体を通じた官庁と民間企業との、いわば“協力関係”があったと考えられます。

 

以上、見てきたようにヤシオリ作戦」の成功の裏には、公務員たちの努力とともに、独立行政法人や業界団体など、純粋な政府組織でも民間組織でもない「グレーゾーン組織」の活躍もあったと推測できます

劇中では、この関係が良い方向につながっています。

現実でも、よい面(例えば、独法による効率的な業務運営)もありますが、その一方で、行政の仕事をグレーゾーン組織の行わせることによって、見かけだけ行政のスリム化をしているという指摘があったり、業界団体との強い結びつきは時に、消費者の利益よりも業界の利益を優先させる政策決定につながる可能性があったりするなど課題が多いのも事実です。

 

画像出典:

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-2e-94/hafnersteig_7/folder/1200947/04/70709904/img_10_m?1471045624

 参考文献:真渕勝(2009)『行政学有斐閣

「シン・ゴジラ」で学ぶ行政学 ~第2回 巨災対メンバーから見る国家公務員~

シン・ゴジラ」を通して、行政学を学ぼうということで、第2回の今日は巨災対メンバーを通して、国家公務員のキャリアについて考えていこうと思います。

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そもそも巨災対とは?

まず、「巨災対」とは、ゴジラへの対応策を立案するための組織として設置された「巨大不明生物特設災害対策本部」の略称です。

主人公である矢口蘭堂内閣官房副長官(政府担当)は、この巨災対の事務局長に就任し陣頭指揮にあたります。

 

この巨災対、おそらく首相官邸に設置された「政策会議」の一つだろうと考えられます。

通常、政策の立案は所管官庁の原課(〇〇省××局~課)で行います。

しかし、内閣として特に重要な政策については、総理大臣がよりリーダーシップを発揮しやすい「政策会議」という形で、また別に検討の場を設置します。

例えば、内閣府に設置されている「経済財政諮問会議」は、総理大臣を議長とする会議体で財政に関する基本方針を示す場となっています。

シン・ゴジラ」における巨災対も、おそらく重要な政策として、首相官邸に設置された「政策会議」と考えられます。

実際、実務を担っている矢口は「事務局長」という肩書にとどまっていますが、形式的に大河内総理が「本部長」となっていると考えられます。

 

ちなみに、この「政策会議」は、近年になって特に活用されるようになってきています。

古くは、橋本内閣における第二臨調や小泉内閣経済財政諮問会議は、その典型例ですが、第二次安倍内閣は、政策会議の活用がより顕著で、「日本経済再生本部」「産業競争力会議」など様々な政策会議が設置され、政策の立案を行っています。

 

巨災対のメンバーは何者か

さて、巨災対は、政治家である矢口が事務局長となっていますが、現場を動かしているのは、基本的に国家公務員たちです。

 

例えば、

・・・などです。

 

ここで注目したいのは、彼らの国家公務員としての種別です。

国家公務員には、「総合職と一般職」「事務官と技官」という2つの軸があります。

いずれも、採用形態による違いです。

 

まず、「総合職」は将来の幹部候補として採用される区分で、実際の政策の企画立案を担います。(旧の国家公務員第Ⅰ種試験合格者にあたります)

一方、「一般職」は主に事務処理を担当する区分です。(旧国家公務員第Ⅱ種試験合格者)

総合職は、幹部候補なので昇進のスピードは速く40歳になると基本的に課長になります。対照的に、一般職が課長になるのは定年間際で、課長が事実上の出世の最高位です。

 

また、「事務官と技官」は採用試験の試験科目の違いです。

 

事務官」は「法律」「行政」「経済」などの、いわゆる文系科目の試験を受けて合格した人たちで、国家公務員のトップである事務次官は基本的に総合職の事務官が就任します。

一般的にイメージする「官僚」は、この総合職で採用された事務官でしょう。

 

一方、「技官」は、法律等以外の試験区分「土木」「機械」「建築」などの、いわゆる理系科目の試験で受かった人たちです。

技官は、専門的な知識を使って政策立案に寄与することを求められており、人事異動に際しても同じような部署間を移動していき、専門知識をより深めていきます。

しかし、出世の面では事務官に比べると冷遇されており、基本的に省の事務次官に技官が就任することはありません。

 

しかし、技官にも例外があります。森課長の「医系技官」です。

医系技官は、医師・歯科医師免許を持ち、一般の国家公務員試験とは違う試験によって採用され、課長級までの昇進が約束されています。また、最近になって厚生労働省事務次官級の「医務技監」というポストが設置され、総合職の事務官並みの出世コースが用意されています。

医系技官の特徴としては、やや年長であることです。彼らは医学部や歯学部出身者なので、18歳で大学に入学しても、6年間の課程を経て、24歳になっています。さらに医系技官の多くは大学採用後7~8年たった人も採用されるので、30歳前後での入省となります。総合職の事務官が最年少で、22歳で入省するのと比べるとその差は明らかです。

 

巨災対のメンバーを見てみると、明らかに生物学やエネルギーなど専門知識を有しており、多くが技官と推測されます

また、比較的若いにも関わらず課長や課長補佐に昇進しているので総合職採用と考えられます。

政策の企画立案は総合職採用の課長補佐クラスが主に担当するので、巨災対のメンバーは本来の所属先でも、政策の企画立案を担っていると考えられ、巨災対は専門的知識を駆使して政策対応を行う総合職・技官の集団であると考えられるのです。

未曽有の災害への対策を立案するという意味では最適なメンバーと言えるのではないでしょうか。

 

まとめると、巨災対は本部長を大河内総理とする官邸に設置された政策会議の一つで、実務は政治家の矢口と総合職で採用された技官を中心とする国家公務員によって担われていると考えられます。

 

画像出典:巨災対が示した成功するチームの作り方:日経ビジネスオンライン