埋木帖

政策をテーマにエッセイをつらつら書きます

老後2000万円 事実は事実として受け止めよ

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出所:https://news.livedoor.com/article/detail/16596480/

今月10日、参議院の決算委員会が開かれ、金融庁が公表した報告書がやり玉にあげられた。

 

野党からは「100年安心と言っていたのに、いつの間にか年金は当てにするな、と。国家的詐欺に等しい」(日本共産党小池晃氏)、「国民が怒っているのは100年安心が嘘だったことだ。自分で2000万円をためろとはどういうことか」(立憲民主党蓮舫氏)といった批判が相次ぎ、4時間弱の審議のほとんどが年金に充てられた。

 

正直、不毛な批判であると言わざるを得ない。

 

野党側が問題視しているのは「政府が『100年安心』と謳ったにもかかわらず、老後の生活費を年金だけで賄えない。不足分は自分の努力でなんとかしろというのは政府の責任放棄だ」ということであろう。

 

しかし、そもそも『100年安心』というキャッチコピーは、国民にとって安心(特に老後の生活費を年金だけで十分に賄える)などという意味は含まれていない。

『100年安心』は、あくまで「一定の年齢になったら一定のお金が支払われるしくみ」が100年後も続くことを保障するという意味に過ぎない。

『100年安心』は、きわめて制度的な触れ込みでしかないのだ。

 

そのようなキャッチフレーズの本当の意味を知ってか知らないでか、このような批判をするのは、まったく生産的ではない。

例えて言うのであれば、商品の宣伝文句を勝手に誤解して、商品にケチをつけるクレーマーのようなものだ。

 

とはいえ、政府側の姿勢も、まともなものとは到底言えまい。

 

そもそも『100年安心』というキャッチフレーズ自体も、誤解を招きやすいものであるのは間違いない。

また、答弁も野党側が国民生活の観点から「安心ではなかった」と言っているにもかかわらず、政府側はひたすら制度運営の観点から「いや安心だ」と言っているだけであった。

 

十分な給付と制度の持続可能性という相反する立場から、それぞれ自分たちの言いたいことを言うのは、もはや議論ではない。

 

さらに政府側は金融庁報告書の2000万円という数字を「誤解や不安を広げる不適切な表現だった」(安倍首相)としているが、これは半分正しいが、半分正しくない。

 

金融庁報告書の2000万円という数字の根拠は、高齢夫婦無職世帯(65歳以上かつ無職の世帯主と、その配偶者のみからなる世帯)が毎月5万円程度の赤字(資産の取り崩し)を行っているというデータである。

 

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出所:金融審議会(2019)

つまり、平均寿命の延伸によって老後生活が30年程度になる(65~95歳)と、月5万円×12か月×30年で1800万円程度の資産が必要になる(報告書で2000万円としたのは年金の目減りや備えを考慮した者だろう)という極めて単純な計算に基づくものである。

そのため、2000万円という数字をどこまで一般化できるかは不透明な部分がある。

 

さらに、根拠となった高齢夫婦無職世帯の約5万円の赤字という数字も、少し慎重に見る必要がある。

 

数字の基となった統計は総務省「家計調査」と思われるが、この5万円という数字は、あくまで「高齢夫婦無職世帯」の条件に当てはまった世帯の平均値に過ぎない。

そして、平均値は、はずれ値に引っ張られるという特性がある。

 

例えば、高齢夫婦無職世帯の定義に当てはまる世帯が5世帯あり、それぞれが毎月

 

3万・5万・5万・5万・7万円

 

の赤字を出していたとすれば、平均は

 

(3+5+5+5+7)÷5 = 5万円となる。

 

 

しかし、5世帯の赤字が

 

1万・1万・1万・1万・21万

 

であったとしても、平均値は (1+1+1+1+21)÷5 で同じ5万円である。

 

このように平均値は、1世帯でも異常に大きな値があると、その影響を大きく受けてしまうのである。

 

高齢夫婦無職世帯の毎月5万円の赤字に違和感を抱いた人も少なくなったと思われるが、その違和感の正体は、平均値の特性から来るものと思われる。

 

そう考えると、この毎月5万円という数字から機械的にはじき出した2000万円という数字にどれほどの意味があるかは分からない。

確かに「誤解や不安を広げる不適切な表現だった」と言えよう。

 

しかし、少子高齢化が進むなかで年金だけで月々の生活費全額を賄えるわけがない。

そのため、資産を取り崩しながら老後を過ごすのは、いくら耳の痛い話といえども、まぎれもない事実である。

 

資産形成の必要性を訴えた金融庁報告書の根幹は、まったくもって正しいのである。

 

もちろん、野党のような視点に立てば、資産形成が十分にできない人をどうするのかという政策的な議論は非常に重要で、考えなければならない論点である。

 

実際、高齢者世帯で生活保護を開始した理由を見てみると「貯金等の減少・喪失」が最も多くなっており、割合にすると41.2%(2015年)に上る。

 

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出所:国立社会保障・人口問題研究所(http://www.ipss.go.jp/s-info/j/seiho/seiho.asp)より作成

現在の年金制度は、事実上の賦課方式を採用している。

すなわち、一人一人が払った年金保険料を貯めておき、それぞれが高齢になったら、貯めておいた保険料から年金を支払う方式(これを積立方式という)ではなく、今生きている現役世代が支払った年金保険料は、そのまま今生きている高齢者世代の年金として使われる方式が採用されている。

 

この方式は、高齢者世代より現役世代の人口が多いと、現役世代の保険料負担が軽くても、高齢者世代に十分な年金給付を行うことができる。

 

しかし、既に日本は超高齢社会に突入し今後、現役世代と高齢者世代の人数比は、ほぼ1:1になっていく。

このままでは現役世代の保険料負担があまりに大きくなってしまう。

 

残された道は、現役世代に大きな保険料負担を求めるか、高齢者世代に年金の削減を求めるかの、どちらしかない。

 

そして、日本は後者を選んだ。

 

2004年に行われた年金改革では保険料水準固定方式が導入された。

つまり、年金保険料負担の上限を設定し、それ以上の保険料負担は求めず、年金給付は固定された保険料収入をもとに決定されるしくみになった。

 

このような仕組みになっている以上、今後の日本で年金が少なくなっていくのはやむを得ない。

 

金融庁報告書は、この年金減少という耳が痛い。けれども、まぎれもない事実を所与としたうえで、我々がどうしていくべきかを示したものである。

 

耳の痛い話ではあるが、事実は事実として受け止める必要があるし、耳の痛い話だからと言って、それを無視するのは最悪の結末を招くだけであろう。

 

臭いものに蓋をしてはならない。

 

私が、今回の騒動で最も懸念するのは今後、政治家が耳の痛い事実を官僚に言わせないようにさせまいか、ということだ。

 

今回の報告書は、金融庁の審議会である金融審議会から出された。

これに対して、野党が批判を行い、政府与党は金融庁報告書を「誤解を招く」ものとして、その責任を役所の側に着せようとしている感がある。

 

news.tbs.co.jp

 

「老後に2000万円の蓄えが必要」などと指摘した金融庁の報告書をめぐり、自民党の二階幹事長は金融庁の担当者を呼び、報告書の撤回を含め抗議したことを明らかにしました。

「2000万円の話がひとり歩きしている状況で、国民の皆さんに対して、誤解を与えるだけではなく不安を招いていて。金融庁には撤回を含め、自民党として厳重に抗議している」(自民党 二階俊博幹事長)

 

 

www.nikkei.com

麻生太郎金融相は11日の閣議後記者会見で、金融庁が夫婦で95歳まで生きるには約2000万円の資産が必要だとの試算を示した報告書について、「正式な報告書として受け取らない」と金融庁に対して事実上の撤回を求める考えを明らかにした。公的年金制度を巡る表現に関して「政府の政策スタンスとも異なる」とも述べた。


報告書は金融庁有識者会議が高齢社会の資産形成を促す目的で3日にまとめた。夫が65歳以上、妻が60歳以上の無職世帯だと、年金収入に頼って生活設計するケースで毎月約5万円の赤字が出ると試算した。退職金や貯蓄額は考慮していない。報告書は金融審議会の総会を経て正式文書となる見込みだったが、金融庁は今回の指示を受けて今後の政策立案には報告書を活用しない方向だ。

 

こんなことを行っていけば、そのうち官僚側は「耳の痛い話をしないようにしよう」となるのは当然であろう。

しかし、そんなことをすれば政治家にも、国民にも「耳の痛い事実」は聞かされず、耳障りのいい話しか入ってこなくなる。

耳が痛くとも事実は事実であり、事実をもとに政策決定を行わなければ、その決定は誤ったものとなり、悲惨な結末を迎えることとなる。

 

先の大戦でも、米国との兵力差など耳の痛い事実を政策決定者が邪険にしたがために、悲惨な結末を迎えるに至った。

 

この国は、また同じ轍を踏むのではないか。そう思えてならない。

年金は「100年安心」でなくなったわけではない 金融庁レポートへの誤った反応

今月3日、金融庁の審議会である金融審議会が「高齢社会における資産形成・管理」と題する報告書を公表しました

 

www.fsa.go.jp

この報告書では、現在の高齢夫婦無職世帯(夫が65歳以上で無職、妻が60歳以上のみからなる世帯)が毎月平均して5万円の赤字が発生しており、その差額は資産の取り崩しで対応していることを指摘したうえで、平均寿命が延び、老後が30年にわたれば約2千万円(=5万×12か月×30年)の資産が必要になるため、投資などを活用し資産形成を勧めています。

 

この報告書の内容を聞いたときに、私は「何をいまさら、分かりきったことを」というくらいで受け止めていました。

しかし、私の受けとめとは反対に報告書公表直後からネットを中心にひどく情緒的・煽動的な発言が蔓延し、さらには野党まで、よくわからない反応をし出したので、ひどく驚きました。

 

今回は、この金融庁レポートにどのような反発が出て、その反発がなぜ誤っているのかを解説したいと思います。

 

どのような反発が出てきたのか

金融庁レポートの内容は、冒頭に述べた通りですが、これに対し、どのような反発が出てきているのでしょうか。いくつか記事を見てみましょう。

 

this.kiji.is

 

立憲民主党や国民民主党など野党は6日、金融庁の金融審議会が95歳まで生きるには夫婦で2千万円の蓄えが必要との試算を示したことに対し、金融庁の担当者らから意見を聴取した。金融審議会は投資信託などの運用による資産形成が重要だと指摘したが、野党議員は「政府が自己責任の投資を促すのはおかしい」と批判した。

 

もう少し、踏み込んで批判しているのが立憲民主党辻元清美氏です。

www.asahi.com

 

国民に対し、老後は年金だけでは暮らせないから、投資も含め2千万円かかるぞ、と。政治の責任を放棄したと言わざるを得ない。また、それに対して麻生さん(太郎財務相)の(閣議後会見での)「人生100年になったんだろ」と。だから仕方ないと言いたいのでしょうが、まず謝れよ国民に。申し訳ないと。一方で消費税を増税しておきながら、2千万円とは、どうつじつまがあうのですかね。

 

以上を見る限り、批判の主な内容は「年金は100年安心と喧伝しておきながら、実際には老後の生活を支えてくれない。国は国民の老後の生活の面倒を見ることを放棄している」といったところでしょうか。

 

批判に対して抱いた違和感

このような批判を聞いて、私はひどい違和感を抱きました。いえ、厳密に言うと、この発言の前提に違和感を抱きました。

金融庁レポートに対する批判は端的に言えば、「政府は老後の面倒を見てくれない(だから、問題だ)」ということですが、これは「年金を通して老後の面倒を見ることは政府の責任だ」という考えが前提にあります。

そして、その前提が金融庁レポートで崩れた(ように見えた)から、このような批判が出てきているわけです。

 

ただ、私はこの「老後は年金ですべて生活を支えてくれる」という前提に違和感を抱いたのです。

 

年金は老後の生活費“全部”を賄うためのものじゃない

年金がいくらもらえるのかを表す数字に「所得代替率」というものがあります。

所得代替率とは、簡単に言うと「もらえる年金が現役世代の所得に対して何割に当たるかを示したもの」です。

つまり

 

所得代替率=もらえる年金額/現役世代の所得

 

です。

※厳密に言うと、いろいろ違うのですが、ここでは便宜的にこう定義します。

 

所得代替率は、5年に一度行われる年金の財政検証の際に公表されます。

2019年は、その財政検証の年に当たりますが、現時点では公表されていませんので、前回(2014年)の所得代替率を見てみると、62.7%となっています。

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https://www.mhlw.go.jp/nenkinkenshou/report/pdf/h26_01.pdf

 

つまり、年金は最初から所得を100%保障するものとして設計されているわけではありません。

 

そして、既に今の高齢者世帯も貯蓄を取り崩しながら(つまり、赤字を出しながら)消費を維持しています。

 

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出所:総務省「家計調査」より作成

赤字幅は、年間収入や消費水準によって変わってきますが月4~7万円程度です。

65歳で引退して85歳で亡くなるとすると、老後は20年。

今の状況でも、1000~1600万円程度は資産が必要と言えそうです。

 

老後30年を想定すると1500~2500万円になりますから、金融庁レポートの「2000万円」も妥当な水準です。

 

耳の痛い話ではありますが、現状を受け止めた方がいいでしょう。

 

「100年安心」の意味するところ

ちなみに2014年時点では100年後の2114年でも所得代替率は50%を切らないとしています。

この100年後にも所得代替率が50%を下回らない状態(かつ、積立金も1年分の年金給付ができるくらいに残っている状況)を政府は「100年安心」と言っています。

金融庁レポートでは、別にこの給付水準が財政検証より悪化するといった類いのことを言っているわけではないので「100年安心じゃなかったのか」という批判は、定義づけをよくわかっていない方が印象だけで発せられた妄言と言った方がいいでしょう。

 

経済学で使える統計ソフト6選

計量分析や因果推論・EBPMが流行っているおかげでしょうか。

最近、回帰分析やデータの種類について解説した記事のアクセスが伸びてます。

ありがとうございます。

 

umoregicho.hatenablog.com

 

もちろん、こういう解説記事で計量分析について学んでいただくのは重要なことだと思います。とはいえ、この分野は、やや「習うより慣れろ」という感もあるので、「実際に統計ソフトを使ってもらったほうが学習効果は高いのかなあ」と個人的には思います。

 

そこで今回は計量経済学分野で用いられる統計ソフトを6つ、ご紹介します。

(よろしかったら、使っていただきたいと思います。)

 

0.統計ソフトの見取り図

統計ソフトと一言で言っても、種類は結構あります。

とはいえ、分野によって、よく使われるもの、使われないものがあります。

今回は、経済学(や社会科学)分野で使用されることが多い、統計ソフトを6つご紹介します。

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今回紹介する統計ソフト6つ

今回は、①有料か無料か、②操作の難易度、の2つの軸で見ていきたいと思います。

 

有料ソフト

1.Stata(ステータ、スタータ)

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計量経済学を学術的な研究としてやっている方の間では、最もメジャーな統計ソフトと言ってもいいと思います。また、医学・疫学分野でも使用されているそうです。

読み方については、「ステータ」「スタータ」の2種類が存在している感じです。

stataの強みは、何と言ってもミクロデータ(マイクロデータ、個票データ)の処理です。

一般的に、世に出ているデータは調査を基に集計したデータです。

しかし、詳細な分析を行うには、集計したデータではなく、ありのままのデータ(Aさんの回答、Bさんの回答、、、のようなイメージ)を使う必要があります。

このような「ありのままのデータ」をミクロデータと言い、stataは、このミクロデータの処理を得意としています。

ただ、操作はコマンドを入力するタイプなので、慣れるまではしんどいと思います。

(そもそも、一般の方がミクロデータを扱う機会に恵まれることは多くないかと・・・)

 

2.EViews(イービュース、イービューズ)

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stataが、アカデミアで広く使用されているのに対して、官公庁や民間シンクタンクで使用されることが多い統計ソフトです。

なぜ、EViewsが実務の場面で使われることが多いのか?それは、EViewsが①時系列分析を得意としている、②操作が簡単、という2つの特徴を持っているからです。

まず、時系列分析というのは、2000~2018年までの日本のGDP日経平均株価といった時間ごとのデータを使った分析のことです。

この時系列分析は、なかなか独自の体系を持っており、特殊な処理を必要とする場面が多々あります。

しかし、時系列データは、ミクロデータと異なり、広く公表されているため、データを集めること自体は簡単です。

官公庁や民間シンクタンクでは、このような比較的集めやすい時系列データを用いる場面が多いため、時系列分析を得意とするEViewsを使うことが多くなるのだと考えられます。

ただ、時系列分析は、前述の通り、特殊な処理を必要とします。そのため、コマンドを使用するような操作だと、難しいです。

しかし、EViewsは、コマンドでも操作できますが、ボタンをポチポチするだけで分析をしてくれるので、Stataなどと比べると、操作自体は易しいです。

このような点も、実務の場面でEViewsが活用されている理由でしょう。

 

3.SPSSエスピーエスエス

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SPSSもEViews同様、ポチポチ型の統計ソフトです。

ただ、正直、経済学分野で使用することはあまり多くありません。むしろ、計量政治学社会学、心理学で用いられているイメージです。

SPSSの強みは、社会学や心理学などで用いられるクラスター分析や因子分析などを得意としていることでしょう。

これらの分析は、経済学分野で用いられることは、あまり多くないので、経済学徒の間でのSPSS使用率が低くなっているのだと推測されます。

 

無料ソフト

以上、有料ソフトを紹介してきました。

いろいろ書いてますが、有料ソフトは全般的に、高度なことを(比較的)簡単にやれるので、使い勝手がいいです。

ただ、どの有料ソフトも価格がバカ高いので、大学やなんらかの機関に属していない方が使うにはハードルが高いです。

そこで、ここからは無料で使える統計ソフトを紹介していきます。

 

4.Excel(エクセル)

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表計算ソフトとしておなじみのExcelです。

Microsoft officeの中に入っています(office自体は有料ですが、多くの場合、デフォで入っているので、無課金ソフトとでも言う方が正しいかもしれません)

Excelでも、設定をいじれば、簡単なデータ分析(回帰分析とか)は可能です。

 

設定のいじり方

support.office.com

 

とはいえ、やれることは、あくまで「簡単な分析」に限られるので、「試しにやってみよう」という場面での使用を想定するくらいがいいかもしれません。

 

5.R(アール)

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言わずと知れた、無料の統計ソフト。

無料統計ソフトの王様と言ってもいいかもしれません。

Rは無料にもかかわらず、高度な分析が行えるので、利用者が多いです。

また、それに合わせてRを使った計量分析を解説するネット記事や書籍も多いです。

ちょっと検索するだけでも、出てきますので見てみてください。

ただ、RはStata同様、コマンドを使うので計量分析初心者には、ややハードルが高いと思います。ただ、できるようになると広く使えると思うので、根気強くやれる方は是非、触ってみてください。

 

6.gretl(グレーテル)

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「Rはむずい!」「根気強くない!」「ちょっといじってみたいだけ!」という方には、こちらのgretlがおすすめです。

(正直、gretlを紹介したいがために、今回の記事を書いている感じなくらいです。)

 

知名度は、あまり高くありませんが、試しに計量分析をやってみたい初心者にはgretlが一番いいと思います。

gretlは、計量経済学での利用に特化した無料ソフトで、(データさえあれば)ミクロデータの分析(クロスセクションはもちろん、パネルデータ分析も可能)も時系列分析も可能です。

また、Rと違い、gretlはポチポチ型の統計ソフトなので、Rより操作が簡単です。

 

難点を挙げるとすれば、解説書や解説のネット記事が少ないことでしょう。

 

ひとまず、やってみたいという方は、こちらを見るといいかもしれません。

www.ic.daito.ac.jp

 

また、書籍としては一応、こちらがあります。

日本語の解説本としては、ほぼ唯一でしょう。

 

www.amazon.co.jp

このように解説は、やや少ないですが、gretlは初心者が計量分析をやってみるには最も良い統計ソフトだと思うので、是非試してみてください。

公共政策大学院という選択

ブログの更新が相当滞ってしまいました。

私の近況を少し交えつつ、一定のニーズがありそうなので表題について記事を書こうと思います。

 

私が、このブログを立てたのが2017年7月で、当時、私は都内の私立大学に通う学部4年生でした。その後、昨年度(2018年度)から「公共政策大学院」という大学院に進学し、うまくいけば20年3月に修了し、社会人になる運びです。

 

さて、この「公共政策大学院」という大学院、あまり馴染みのない方も多いと思います。

また、ネット上でも、そこまで情報が多いわけでもなく、実際、私も進学の際は情報収集に苦労しました。

そろそろ、国家公務員総合職試験も佳境を迎え、もしかすると、納得のいく結果にならなかった方の中には、この公共政策大学院という選択肢を検討される方もいらっしゃると思います。そのような方に情報提供する意味でも、この記事を書こうと思った次第です。

 

専門職大学院とは

公共政策大学院は、専門職大学院の一種です。

では、専門職大学院と通常の大学院は何が違うのでしょうか[1]

学校教育法には、このように規定されています。

第九十九条 大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめ、又は高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培い、文化の進展に寄与することを目的とする。

 

② 大学院のうち、学術の理論及び応用を教授研究し、高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うことを目的とするものは、専門職大学院とする。

少し分かりにくいので、イメージ図を

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専門職大学院は、大学院に内包される仕組みで大学院の一種です。

大学院は、その目的として①研究者の養成、②高度専門職業人の養成、という2つがあります。特に、通常の大学院では、①研究者の養成に重きが置かれます。

ただ、通常の大学院に進学しても、修士課程までで大学の外に出る方は多いので実態としては②高度専門職業人の養成という目的もあり、学校教育法上もそれを認めています。

それに対して、専門職大学院は、その目的を「高度専門職業人の養成」としており、研究者の養成は基本的に想定していません。

もちろん、専門職大学の修了後、博士課程に進学することは出来ますし、する方もいますが少数派です。

 

専門職大学院の代表例は、法科大学院ロースクール)でしょう。

法科大学院とは、基本的に法曹(裁判官・検察官・弁護士)を目指す人が通う大学院です。法科大学院生は、法曹になるため基本的に司法試験の合格を目指し、勉強をします。このように法科大学院は、法曹という高度に専門性を持った職業人を養成すること目的としています。また、通常の大学院(法学研究科など)とは異なり、法学者を養成することに主眼は置かれていません。

 

このように、通常の大学院と比較すると分かるように、専門職大学院は高度に専門性をもった人材の養成を目的とし、修了後は大学院に残るよりも、社会に出て活躍することを想定した大学院と言えます。

 

そのため、専門職大学院の教育内容は、通常の大学院より実践的なものが多いと思います。

もちろん、通常の講義もありますが、ワークショップ形式の授業や外部講師による授業が多いです。専門職大学院のもう一つの代表例であるMBAコースなどでは、実際の企業の事例を使った双方向型の授業も行われるそうです。

 

公共政策大学院とは

そのような専門職大学院の一種が、公共政策大学院です。

公共政策大学院は、その名の通り公共政策にかかわる高度専門職業人の養成を目的としています。そのため、修了後の就職先は、公務員や独立行政法人などの公共部門やシンクタンクコンサルティングが多いです。

例えば、国内の公共政策大学院で最も古く[2]、最も人数が多い東京大学公共政策大学院の2018年度修了生の進路を見ると、36%が公務員であり、公共性の高い職種(公務員+コンサル・シンクタンク、独法、研究機関)では約60%に上ります(東京大学公共政策大学院2019)。

 

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出所:東京大学公共政策大学院(2019)より筆者作成

また、公共政策大学院は社会人入学者も(多少、学校ごとに異なりますが)少なくないです。

文部科学省(2017)によれば、おおむね30%台後半で推移していることが分かります。

 

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出所:文部科学省(2017)より筆者作成

社会人でも特に多いのが官公庁や自治体から派遣されているパターンです。省庁によっては、毎年一定数を公共政策大学院に派遣しているところもあるようです。

そのため、大学やコースによっては、学卒者より社会人の方が多いというところもあります。

もし、学卒で公共政策大学院に進学するなら、きちんと社会人の方とコミュニケーションが取れた方がいいでしょう。

 

公共政策大学院は現在、国立大学では、東京大学のほかに北海道大学東北大学一橋大学京都大学の5校、私立大学では早稲田大学明治大学の2校に設置されており、全国で7校です(文部科学省2018)。

 

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出所:文部科学省(2018)

ちなみに、かつて専門職大学院であった徳島文理大学の公共政策大学院は、2016年度に廃止され、通常の研究科になりました(徳島新聞2015)。

また、大阪大学大学院国際公共政策研究科は専門職大学院ではなく、通常の大学院です。

 

公共政策大学院の実態について

さて、ここまでは公表されている情報をもとに公共政策大学院について見てきましたが、せっかくなので、公共政策大学院に籍を置く者の一人として公共政策大学院の私見を述べようかと思います。

まあ、正直、そんなに褒めるつもりはないです(笑)

 

まず、公共政策大学院について、よく聞く「公務員予備校化している」という話について取り上げようかと思います。

すなわち、公共政策大学院は国家公務員総合職に合格できなかった人たちが集まり、予備校化しているのではないかという批判です。

 

これについては正直、反論しかねます。

実際、私の周りでも最初から公共政策大学院進学を考えていたという人は少数派です。

多くの場合、国家公務員総合職試験ないし官庁訪問で思うような結果が出ず、公共政策大学院に転がり込んできたという感じです。

また、中にはモラトリアムの延長として来ている人もいるようです。

 

そのため「公共政策について、きちんと学ぼう」と思って公共政策大学院に入ってくると、周囲との温度差を感じることになるかもしれません。

もちろん予備校化現象は、どの大学か、どのコースかによって程度の濃淡はあります。

 

また、予備校化自体も、見方を変えれば決して悪いことではないでしょう。

官僚を目指したけれども、うまくいかなかったという場合に、つなぎ的な意味で公共政策大学院に進むことは、むしろ賢明な選択であるように思えます。

もし、通常の大学院(修士課程)に進むとなると、研究活動に相当なリソースを持っていかれるので、試験勉強が思うように進まないリスクがあります。

一方、公共政策大学院の場合、もちろん学部に比べれば大変であるのは間違いないですが、普通の修士課程と比べれば、取られるリソースは少なく、試験勉強をしたいのであれば、公共政策大学院はいい選択だと思います。

 

また(こちらはより根深い問題ですが)公共政策大学院で専門性を身につけるというのは、あまり期待しない方がいいかもしれません。

 

「専門職」大学院といっても、そもそも公共政策大学院で扱う公共政策学というのは、法学、政治学、経済学など様々な社会科学系の学問の複合分野、あるいは学際的な分野と言えます。

確かに、実際の政策形成においても法学的な知見、経済学的な知見など様々な観点が求められるため、公共政策学が複合的・学際的分野であることは致し方ないでしょう。

しかし、公共政策大学院は、所詮2年間の課程です。法学や経済学などの特定の学問的なバックグラウンドがない状況で、学際分野を学んでも、浅い知識が身につくだけで結局、なんの専門性も確立できないリスクがあります。

もちろん、やる気があるのであれば、きちんと分野を定め、他の研究科のプログラムを利用しつつ、専門性を身につけようと努力することはできるでしょう。しかし、そうであるなら、最初から法学研究科なり経済学研究科なりに進んだ方がよいと思います。

公務員試験や就職活動があるなら、修了要件に含められない授業をとる余裕はないと思った方がいいです。

 

ただ、これも幅広く学びたいという方にはちょうどいいでしょうし、各大学もコースを設けて、法学や行政学、経済学の基礎を叩きこもうとしている場合もあります。

 

月並みですが、公共政策大学院の進学を検討する場合は「自分は何のために大学院へ進むのか」をよく考えて、大学院・研究科・コースを選ぶ方が良いと思います。

 

ここまで、公共政策大学院について相当、批判的に書いてきましたが、あくまで公共政策大学院に合う人と合わない人がいるという話に過ぎません。

もし、あなたが公共政策大学院進学を考え、このブログを読み、やはり公共政策大学院に行きたいと思われるなら、それはよい選択肢だと思いますし、もし私にお手伝いできることがあるなら遠慮なく、ご相談ください。

 

参考文献

 

 

[1] 以下、文部科学省(2017)を参考にした。

[2] とはいえ、専門職大学院の歴史自体がそこまで古くないので2004年の設置です。

死刑に抑止力はあるのか(後編)

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東京拘置所の刑場、2010年に初めて公開された(出典:http://www.news24.jp/articles/2010/08/27/07165553.html

日本の抑止効果研究

日本における死刑の犯罪抑止効果を統計的に分析した主な研究は3つあります。松村・竹内(1990)、秋葉(1993)、村松他(2017)です。そして、それぞれの結論は抑止効果ありが1つ、なしが2つです。もう少し、詳しく見ていきましょう。

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日本における主要な死刑の犯罪抑止効果研究

結論が異なる2つの研究

松村・竹内(1990)は、日本で初めて死刑の犯罪抑止効果を分析した研究です。

それまでアメリカの研究でよく使われていた「アーリック・モデル」というモデルを日本に適用し、死刑の犯罪抑止効果の検証を行いました。アーリック・モデルは、基本的に経済学の考え方に基づいたモデルで「犯罪者は自らの効用を最大化するために犯罪を行う」と仮定しています。

この研究のモデルでは、殺人件数の決定要因として、検挙率・殺人で有罪判決を受けた者の内死刑判決を受けた者の割合・平均収入・失業率・生活保護者比率・20代男性の人口比率・高等教育在学者比率を使用しています。

また、細かい話ですがlogをとったパターン、指数型関数での推計など計4パターンのモデルで推計を行っています。

そして、この分析の結果、どのパターンでも「殺人で有罪判決を受けた者の内死刑判決を受けた者の割合」の係数(つまり、死刑の係数)は統計的に有意なだけのマイナスの値をとりませんでした。(それどころか、統計的に有意ではありませんが、係数はプラスの値をとっていました。

つまり、死刑の犯罪抑止効果は認められませんでした。

この松村・竹内(1990)と逆に死刑の抑止力を認めた研究が秋葉(1993)です。

秋葉(1993)でも、アーリック・モデルを使用し日本における死刑の犯罪抑止効果を検証していますが、この研究では死刑の係数が統計的に有意でマイナスの値を出しています。

こちらの研究では、松村・竹内(1990)と比べ、より多くの要因を加えてこそいますが推計期間は、ほぼ同じ。参考にしたモデルも同じにもかかわらず正反対の結果を導いています。

なぜ、このような逆の結果になったのか。結局、死刑に抑止力はあるのか、ないのかについて長らく分析は行われてきませんでした。

なぜ逆の結果になったのか

しかし、最近になって、ようやく研究が行われるようになりました。

まず、松村・竹内(1990)と秋葉(1993)で、なぜ逆の結果が導かれたのかについて森(2016)が分析を行いました。

森(2016)は、2つの研究を再現し、さらに推計期間をもとの研究より拡大し、再度分析を行いました。その結果、実は両研究で使われてたデータの定義が若干異なっていたことが判明しました。また、秋葉(1993)のモデルを使用して推計期間を拡張した結果、死刑の抑止効果が消えてしまう、つまり秋葉の研究で見られた抑止効果は、あまり頑健な結果ではなかったということも明らかになりました。

また、森は両研究とも「多重共線性」の問題を抱えている可能性を指摘しています。多重共線性とは、要因間の相関があまりに大きいと発生する問題で、多重共線性があると本来プラスになるべき係数がマイナスになったり、またその逆になったりすることがあります。

森(2016)は多重共線性が発生しているか否かの指標を用いて、この可能性を指摘しています。

抑止効果研究の難しさ

ここまで見てきて言えることは死刑の抑止効果に関する統計分析は非常に難しいということです。松村・竹内(1990)も秋葉(1993)も同じモデルを参考にして推計を行いましたが用いたデータの定義が若干異なったり、推計期間が変化したりするだけで死刑の抑止効果が「ある」という結論も「ない」という結論も導きうるわけです。

このように、モデルのわずかな違いで結果が大きく変わる死刑の抑止効果研究は、時に不思議な結論も出してきました。

Sakamoto et al.(2001)では、日本における死刑報道と犯罪件数について分析を行い、死刑には殺人を増加させる効果があるという結論を導き出しました。

このような死刑の犯罪 “増加” 効果は、アメリカの研究でも報告されており「brutalization effect(残忍化効果)」として知られています。この残忍化効果の説明としては、「死刑を行うことで人を殺してもいいという規範を国家が示し、人々が模倣する」というような説明がなされます。

しかし、この説明はまったく直感的ではないですし、実際に「自分も国をまねて人を殺そうと思った」という犯罪者が報告された事例は聞いたことがありません。おそらく、この残忍化効果もモデルのわずかな違いがもたらした結果に過ぎないのではないかと個人的には考えています。

日本の最新研究

日本における死刑の犯罪抑止効果研究で最も新しい研究が村松他(2017)です。

※「松村」と「松村」で紛らわしいですが別の方です

村松他(2017)では、これまでの松村・竹内(1990)や秋葉(1993)とは少し異なる推計手法を用いています。時系列分析でよく使用されるVARモデルというものです。

そもそも、日本のように死刑と犯罪について時系列データしかない場合、時系列分析を行う必要があります。しかし、時系列分析は、それだけで本が一冊出来上がるほど、クロスセクション分析やパネル分析とは手法が異なります。村松他(2017)では、使用するデータの特性を考慮しVARを選択したようです。

そして、この研究の結果は「死刑に犯罪抑止効果はない」というものでした。

日本における主だった死刑の抑止効果研究のうち、松村・竹内(1990)と秋葉(1993)がモデルに問題を抱えている以上、日本における最も信頼のおける研究は現時点では村松他(2017)ですから、現時点で日本においては死刑に犯罪抑止効果は確認されていないという暫定解が適切です。

また、3つの研究を同列に考えたとしても、抑止効果を認めた研究は秋葉(1993)しかなく、その秋葉も森(2016)による再検証の結果、抑止効果は確認できなかったわけですから、やはり抑止効果はないと言わざるを得ないでしょう

抑止力を規定する唯一の要素

とはいえ、外国の研究を見てみると、やはり死刑の犯罪抑止効果を認めている研究も存在します。結局、死刑に犯罪抑止効果があるのか否かは個々の研究を見るだけでは何とも言えません。

そこで、参考にすべきなのはメタアナリシスです。メタアナリシスとは、複数の研究を統合して分析する手法のことです。

Gerritzen and Kirchgässner (2016)では、1975年から2013年の間に刊行された109の先行研究を用いてメタアナリシスを実施し、死刑の犯罪抑止効果を規定する唯一の要因を明らかにしました。

それは筆者の職業です。

つまり、109の先行研究を分析した結果、死刑に犯罪抑止効果があると結論付けた論文の共通項は、使用したデータの種類や分析手法、どのような要因をモデルに組み入れたかといった技術的なものではなく、筆者が経済学者であったことでしかなかったのです。

ようは、経済学者が死刑の犯罪抑止効果研究を行うと抑止力があると結論づけ、経済学者以外(法学者や社会学者など)が分析を行うとないと結論付けていたのです。

この結論について筆者らは「経済学者は人々の行動をインセンティブで説明するため、人々は死を恐れて犯罪に走らないと仮定し、抑止効果を認めたのだろう」と説明しています。

実に元も子もない結論ですが、死刑の抑止効果研究については現段階でも、この程度のものに過ぎないのでしょう。

2012年にアメリカの学術機関である「全米研究評議会」は死刑の抑止効果研究について報告書を出し以下のように述べています。

現在までの死刑の抑止効果に関する研究は、死刑が果たして殺人率を減少させるか、増加させるか、あるいは無関係であるかについて意味のある情報を提供できない

さらに報告書では、今後抑止力を根拠に死刑議論を行うべきではないと結論づけています。

刑事司法政策分野でもEBPM(科学的根拠に基づく政策形成)が叫ばれる中、死刑制度を存続させるなら何を根拠とするのか考える必要性がありそうです。

参考文献

  • Gerritzen, B. and Gebhard Kirchgässner (2016) “Facts or Ideology: What Determines the Results of Econometric Estimates of the Deterrent Effect of the Death Penalty? A Meta-Analysis” http://file.scirp.org/pdf/JSS_2016062814100929.pdf
  • National Research Council(2012) ”Deterrence and the Death Penalty. Committee on Deterrence and the Death Penalty”, edited by Daniel S. Nagin and John V. Pepper, The National Academics Press.
  • Sakamoto A, Sekiguchi K, Shinkyu A, et al. (2001) “Does the media coverage of capital punishment have a deterrence effect on the occurrence of brutal crime? An analysis of the Japanese Time-Series Data from 1959–1990,” Kuo-Shu Yang, Kwang-Kuo Hwang, Paul B. Pedersen, Ikuo Daibo ed. Progress in Asian social psychology : conceptual and empirical contributions, pp.277-290.
  • 秋葉弘哉(1993)『犯罪の経済学』多賀出版
  • 松村良之・竹内一雅(1990)「死刑は犯罪を抑止するのか -アーリックの分析の日本への適用の試み」『ジュリスト』No.959,pp.103-108.
  • 村松幹二・デイビッド・T・ジョンソン・矢野浩一(2017)「日本における死刑と厳罰化の犯罪抑止効果の実証分析」浜井浩一編『シリーズ刑事司法を考える第6巻 犯罪をどう防ぐか』岩波書店、pp.157-182.
  • 森大輔(2016)「日本の死刑に関する2つの計量分析の再検討」2016年度法と経済学会

死刑に抑止力はあるのか(前編)

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死刑執行が行われる東京拘置所(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/東京拘置所

窮地に立たされた死刑存置

先日、学生や社会人が参加するディベートの大会が行われました。論題は「日本は死刑制度を廃止すべきである」。大会では、参加したチームが「廃止すべき」と「廃止すべきでない」という肯定・否定の2つの立場に分かれて議論を行い、審判が「どちらの議論の方が説得的であったか」で勝敗を決めます。このようなディベートの大会では、どのチームが肯定側をやるか否定側をやるかはあらかじめ決まっているわけではなく、その試合ごとに立場が変わります。そのため、参加するチームは「死刑を廃止すべき」、「死刑を廃止すべきでない」という両方の主張を準備する必要があります。

この「死刑論題」は、ディベートの大会では、これまでよく扱われてきた論題で、肯定・否定どちらが有利ということはありませんでした。しかし、今回の大会では否定側が苦戦を強いられ、決勝戦でも肯定側「死刑を廃止すべき」という立場で議論を行ったチームが勝利しました。つまり、これまで「死刑を廃止すべき」という立場でも「死刑を廃止すべきでない」という立場でも試合に勝つことは可能だったのですが、今回の大会では「死刑を廃止すべき」という立場が有利になったのです。

死刑に抑止力はない?

なぜ、死刑廃止派が有利になったのか。それは、これまで死刑存置派の有力な主張であった「死刑の犯罪抑止効果」が最新の研究で否定されることが多くなったためでした。「人々は死刑という命を奪われる刑罰を恐れて凶悪犯罪を思いとどまっている。そのため、死刑を廃止すれば、その抑止力がなくなり、犯罪が増加する。凶悪犯罪から国民を守るためにも死刑は廃止すべきではない。」という死刑存置派の主張は、なかなか納得度の高い主張です。しかし、この主張を統計的に分析してみると、「死刑に抑止力はないようだ」という結論が出ることが多くなってきたようです。

今回は、統計分析についての解説と日本における死刑の犯罪抑止効果研究を紹介しながら、死刑と抑止力について考えてみたいと思います。

日米の研究蓄積の差

死刑と犯罪抑止力について統計的手法を用いて分析した研究はアメリカで盛んです。その一方で、日本におけるこのような研究は現時点で3件ほどしかありません。この背景には、死刑や犯罪に関する継続的な情報公開が行われていたか否かという問題もありますが、統計分析の観点から言うとアメリカの方が統計分析に必要な条件を満たしやすいということも影響しているでしょう。それを説明するため、まず統計分析がどういうものか見ていきましょう。

抑止力を確認する最良の方法

死刑に犯罪抑止効果があるかどうかを確かめる一番確実な方法は「実験」です。2つの国を用意して、一方は死刑を残し、もう一方は死刑を廃止します。そして、その後、犯罪件数がどう変化したのかをこの2国間で比べれば、死刑の犯罪抑止効果があるかどうかが分かります。しかし、この実験結果が正しくなるためには、この2つの国が死刑の有無以外すべて同じ状況でなければなりません。人口や年齢構成はもちろん政治体制や経済状況、文化まで犯罪の要因になり得そうな要素すべてが同じでなければ、仮に一方の犯罪件数に変化があったとしても、それが死刑によるものか、それとも他の要因によるものか判断できないからです。したがって、このような2つの国が用意できれば死刑の抑止効果の有無を確認できます。

しかし、読者の皆さんはお気づきだと思いますが、こんな実験を実際にやることは不可能です。死刑の有無以外、すべての状況が同じ国などありませんし、たくさんの人を巻き込むこのような実験は倫理的に問題です。

統計分析の考え方

では、死刑の犯罪抑止効果について何も確かめようがないのかと言えばそうではありません。実験に比べれば精度は落ちますが、特徴が似ていて死刑があったりなかったりする地域が複数あれば統計的な分析が可能です。例えば、文化や経済状況などが比較的似ている50の地域があり、それぞれの地域で死刑がなかったり、逆に死刑執行をたくさんしていたり、そんなにしていなかったりしたとしましょう。このとき横軸に1年間に行われた人口1000人あたりの死刑執行数、縦軸に1年間に発生した人口1000人当たりの殺人件数をとって、プロットしてみましょう。

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※このデータは架空のデータです

どうも執行数が多いほど、殺人係数が少ない傾向がありそうです。ここで、こういう式を考えてみましょう。

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これは執行件数が殺人係数に影響を与えていると仮定した式です。このような式をモデルといい、殺人件数が原因、執行数が結果となります。そして、統計分析の手法を使うと、実際にこの式のαやβに実際の数字を当てはめることができます。実際に当てはめてみたものがこれです。

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※このデータは架空のデータです

この式を解釈してみましょう。もし、ある地域の執行数が10件の場合、このモデルにしたがうと、殺人件数は639.7-10.3×10=536.7件となります。また、この地域が追加的にもう1件の執行を行った場合、殺人件数は10.3件減少し526.6件になることが分かります。このようにαとβを統計から推定することで、執行数が殺人に与える影響を数量的に表すことができるようになります。

これが最も基礎的な統計分析のひとつである最小二乗法による単回帰分析です。今回の分析では、βがマイナスの値をとったため、執行数を増やすと殺人件数が減るという抑止効果が確認できました。もし、このβがプラスの値をとった場合は逆に執行数を増やすと殺人件数を増やすという効果が存在するということになります。

他の要因をコントロールする

では、この結果だけで「死刑には抑止力がある」という結論を出してもいいのでしょうか?いろいろな反論はあり得ますが、重要な反論は大きく2つ存在します。

まず、考えられる反論は「本当に死刑執行数だけが殺人件数を決めているのか」という問題です。実際に犯罪は社会の複雑な要因によって発生しています。例えば、経済状況が悪ければ犯罪も増えるでしょう。死刑執行数だけが殺人件数の規定要因と考えるのはさすがに無理のある仮定と言わざるを得ません。そこで考えられる解決策としては、他にも影響しそうな要因をモデルに組み込んでやるという方法です。例えば、先ほどのモデルに経済状況を考慮させるため、一人当たりの所得を組み込むということは可能です。この場合の式は

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となります。このように殺人件数に影響を与えそうな要因をモデルに追加することは理論上、何個でもできます(実際のところ限度はありますが)。このようにして、様々な要因を考慮して、なおβ₁がマイナスの値をとれば、「他の要因をコントロールしたうえで死刑を1件追加的に執行するとβ₁件、殺人件数が減る」と言えます。

βは意味のある数値なのか

次に予想される反論は「βは本当に意味のある数字なのか」というものです。例えば、βが0.001のように非常に小さい値をとった場合、本当に影響があるのか微妙でしょう。βが0ということは、執行数は殺人件数に何も影響を与えないということになりますから、βが0に近いと実際には執行数は影響がないという可能性が出てきます。実際、βの数値はどのような数字を、どれくらい使うかによって変化します。基本的には、対象となる数(今回でいう地域の数)が増えれば、数字の信頼性が上がることが分かっています。ただ、対象となる数を増やせるかどうかは使いたい数字が存在するかどうかにもよりますし、数を増やしても、やはり0に近かったら、同様の疑念が残ってしまいます。もちろん、実際に影響は与えるけれども、その度合いは小さいという可能性もあります。

これをどう判断するのかは、p値を見れば分かります。p値とは、推定された数値が0である確率を表したもので、それぞれの推定値ごとに計算をすれば導き出せます。社会科学の分野では一般にp値が5%以下(0.05以下)であれば、βは0ではなさそうだと判断します。したがって、今回の場合でいうと、執行数の係数(β₁)のp値を計算して、0.05を下回れば統計的にも抑止効果があると言えます。以上が、統計分析の最も基礎的な考え方です。実際に論文として出される研究は、もっと複雑で精緻な手法を使っていますが、ここまで理解できれば、何を研究でやっているのかざっくりとした内容は分かると思います。

データの種類と研究蓄積の差

さて、話を日本とアメリカの研究蓄積の差に戻しましょう。これまでの説明で分かるかと思いますが、このような分析には一定数のデータが必要になります。

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データの種類(概念図)

今回の場合、ある年(例えば、2010年)のある地域での死刑執行数と殺人件数が1つのデータとなります。アメリカの場合、州ごとに法律が異なるため、ある年の州ごとの死刑執行数と殺人件数のデータが50個集まりますから、分析が可能です。このようなある時点での複数のデータをクロスセクション・データといい、クロスセクション・データを用いた分析をクロスセクション・データ分析といいます。

しかし、日本の場合、県ごとで死刑があったり、なかったりということはありませんから、2010年のデータなら1つしか存在しません。このため、日本のデータでは、クロスセクション・データ分析は行えません。もちろん、だからといって全く統計分析が行えないというわけではありません。ある年の死刑執行数と殺人件数のデータは1つしかありませんが、複数年単位(例えば、1990年から2010年)で見ていくと複数のデータを得ることができます。このような1つの対象の複数年のデータを時系列データといい、時系列データを用いた分析を時系列分析といいます。

時系列分析も適切な方法で推定を行えば正しくβを推定することは可能です。ただ、クロスセクション・データ分析や時系列データ分析よりも優れているのがパネルデータ分析です。パネルデータとは、複数の対象の複数年のデータのことで、パネルデータを使うと地域固有の効果をコントロールして純粋な因果関係を見ることが可能です。

今回の死刑と殺人件数の例で行くと、アメリカの場合、50州の複数年間のパネルデータを得ることができますが、日本の場合、時系列データしか得られません。このような分析に向いたデータの有無が研究蓄積の差につながっている可能性が高いです。

 

 

さて、ここまで死刑の犯罪抑止効果の研究を紹介する前に統計分析がどのようなものかを説明してきました。次回は、日本における死刑の犯罪抑止効果に関する先行研究を紹介し、日本において死刑の犯罪抑止効果があるのかを見ていきたいと思います。

城の復元と法令② 掛川城天守

 

umoregicho.hatenablog.com

 

 前回の記事では、福島県白河市白河小峰城三重櫓を「木造復元ブームの先駆け」として取り上げた。しかし、実際には小峰城三重櫓復元の少し前に、もう一つ“木造復元”が行われた事例がある。静岡県掛川市にある掛川城天守である。実際、『掛川城復元調査報告書』の序文には、掛川城天守の復元を「わが国最初の本格木造天守閣の復元」と書かれている。しかし、実際には他の木造復元のような評価を得ることは少ない。なぜ、このようなことになったのか。今回は掛川城天守復元を事例に城跡整備の課題を見ていく。

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掛川城天守外観

掛川城の歴史

静岡県西部に位置する掛川城は、今川家配下の朝比奈泰熙によって築かれた。しかし、その後、今川氏が徳川氏に追いやられ、1569年に掛川城も徳川配下の城となった。1590年の豊臣秀吉による天下統一がなると、徳川氏は関東へ移封され、掛川城山内一豊のものとなった。このとき掛川城は近世城郭として整備された。すなわち、現在見ることができる掛川城山内一豊によって築かれたのである。ただ、山内一豊関ケ原の戦いの功績により、土佐へ移封され、一豊による掛川支配はわずかなものであった。

その後、掛川城は松平・井伊・北条・小笠原・太田など11家26代の居城となり、明治維新を迎え、廃城となる。 

復元にむけた動き

掛川城天守明治維新を迎える前の1854年に起きた安政地震によって倒壊していた。(ただし、それまで現存していた天守山内一豊時代のものが、そのまま残っていたようである。)つまり、古写真などの天守の姿をそのままに伝える資料は残念ながら残されていなかった。しかし、それでも地元としては天守が欲しかったようだ。

戦後まもなくに起こった天守の再建ブーム(主に戦災によって焼失した天守が復興された時期)には、掛川城天守も復元に向けた動きがあったが、このときは財政難により復元の話は立ち消えとなった。その後もたびたび天守復元の話は上がったようである。

大きな転機となったのは、1987年(昭和62年)に掛川市に転入した白木ハナヱ氏が市に対し1億5千万円の寄付を行ったことだった。白木氏は、掛川市がいち早く生涯学習都市宣言を行っていたことに感銘を受け、それに関連した事業に使ってほしいということで寄付を行った。掛川市は、1年間検討を行った結果、その寄付を掛川城天守の木造復元に活用することとなった。この方針を白木氏に伝えたところ、氏は快諾し、さらに2度、追加の寄付を行い総額5億円の寄付となった。

この寄付をきっかけに掛川市掛川城天守の木造復元“ありき”で動いていく。 

建築基準法21条

掛川城天守の木造復元でも建築基準法が障壁として立ちはだかった。

前回取り上げた白河小峰城では、建築基準法21条との適合性が問題となったが、掛川城天守の場合はどうだったのか。

建築基準法21条では高さが13メートルを超える建築物について耐火基準などの安全基準を満たすことを求めている。しかし、これらの安全基準を満たそうとすると現代工法を積極的に取り入れざるを得ず、史実に忠実な復元とは言えなくなる。この基準のため、13メートルを超えた白河小峰城三重櫓は建築基準法に違反したわけだが、掛川城天守はどうだったのか。

実は掛川城天守の高さは16.18メートルで13メートルを超えている。

そのため、法令を素直に解釈するなら、掛川城天守も各種の安全基準を満たす必要が出てくる。しかし、これは史実に忠実な復元と矛盾する。この矛盾を避けるためには、白河小峰城三重櫓のように建築基準法の適用除外を受ける必要がある。しかし、掛川城天守の場合は、建築基準法の適用除外は受けていない。これでは違法建築になってしまうように思えるが、掛川城天守は適法の建築物である。

建築基準法施行令第2条6項

ここで出てくるのが建築基準法施行令第2条6項である。建築基準法施行令は、国会が定めた「法律」である建築基準法のより細かい部分を補うために行政が定めた「命令」である。この第2条6項では、建築基準法で定めている建築物の高さの定義を細かく定めている。これによると

(略)…階段室、昇降機塔、装飾塔、物見塔、屋窓その他これらに類する建築物の屋上部分の水平投影面積の合計が当該建築物の建築面積の1/8以内の場合においては、その部分の高さは、12mまでは、当該建築物の高さに算入しない。(一部省略) 

と定めている。つまり、階段室や物見塔は一定の大きさまでなら建築物の高さに含めないということである。掛川城天守は、この規定を利用した。

掛川城天守は3重4階の建築物であるが、このうち3階・4階を物見塔とそれに付随する階段階とみなすことで、法令上13メートル未満の建築物であるとしたのである。

これにより、掛川城天守は史実に忠実な復元を可能にしたのである。

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天守内部

史実に忠実とは言えない復元

しかし、実際の掛川城天守の木造復元は、とても「史実に忠実な復元」とは言えない代物である。

前述のように、実際に存在していた掛川城天守は幕末の地震により倒壊しており、その姿を伝える古写真は存在していない。一応、いくつかの絵図は存在したが、細部が分かるような資料とは言えない。

そこで、担当者は復元にあたって高知城を参考にした。高知城天守は江戸時代から残る現存12天守のひとつであり、築城者は掛川城天守と同じ山内一豊である。古文書には高知城の築城にあたって掛川城を参考にしたという旨の記述があるため、掛川城天守の復元では、逆に高知城天守を参考にしたというわけだ。しかし、だからといって掛川城天守高知城天守と本当に同じであるという確証はどこにもないため、不確かな根拠に基づく想像と言うしかない。 

壊された遺構

このように「史実に忠実な復元」とはいいがたい掛川城天守の木造復元は、さらなる問題を引き起こしていた。前述の通り、掛川城天守は各種の安全基準を満たさなくとも建築が可能である。しかし、そうはいっても一般に開放することを前提とした建築物のため最低限の安全基準は満たさなければならない。そのため、安全性を検証した結果、当時から残っている天守の下にある石垣(天守台)の上に天守を復元すると安全上問題があるとされたのだ。

掛川城天守台は、天守が倒壊した地震やその後の風化によって破壊が進んでいたものの、発掘調査の結果、ある程度、当時のまま残っていることが判明していた。

石垣は当時の土木技術の粋を集めた構造物であり、当時の石垣は極めて貴重な文化財と言っても過言ではない。しかし、この貴重な遺構の上に天守を作るとなると安全性に問題が生じることが分かったのである。

本来であるならば、木造復元工事の計画はいったんストップさせ、この貴重な天守台をいかに保全するかを検討すべきである。しかし、事業が天守の木造復元ありきで進んでいたため、この貴重な天守台を壊し、コンクリートで基礎を作り、天守の工事を進めたのである。これによって、貴重な遺構は未来永劫失われたのである。

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掛川城遠景(左手にあるのは太鼓櫓)

なぜ、無法な工事が行われたのか

1994年、掛川城天守は、わが国初の木造天守として竣工した。

しかし、以上で見てきたように掛川城天守の木造復元は多くの問題を抱えた事業であった。

なぜ、このような「無法な事業」が行われてしまったのか。

ひとつ考えられる理由としては、掛川城跡が史跡として指定されていなかったためである。

例えば、名古屋城大阪城文化財保護法で定める「史跡」である。この史跡に指定されると、史跡内の遺構を保全するために、史跡内の現状変更を行う場合には文化庁の許可が必要となる。また、県や市町村が条例によって県指定史跡等に指定した場合も現状変更には教育委員会などの許可が必要となる。このような許可は文化財の価値を損ねるような現状変更ではないかを基準に行われるため、むやみやたらな遺構の破壊や史実に基づかない建築を防ぐ効果が期待できる。

しかし、掛川城跡は当時、このような史跡に指定されていなかったため、文化財保護の観点からの規制を受けずに工事が進んでしまったのである。

 

ここまで、相当悪く掛川城について書いてきたが、掛川城はすばらしい城跡であることは指摘しておかねばなるまい。

掛川城には、日本で4つしかない御殿建築の現存例が存在しており、これを見るだけでも掛川城に行く価値はある。また、問題を抱えているとはいえ、木造によって建てられた天守は、職人の技が光る見事な建物である。そういった意味では復元された掛川城天守の価値が低いわけではない。

経済効果も相当のものであった。天守を復元するまで掛川城の来場者数は年間1万人足らずであったが、公開後7ヵ月だけで35万人の集客効果があった。2012年には総入場者数が300万人を超え、今でも年間約10万人程度が訪れている。町おこしとしての掛川城天守の木造復元は間違いなく成功であろう。

ただ、繰り返しになるが、城跡は集客装置である以前に貴重な文化財である。文化財保護と町おこし、あるいは都市景観や緑化など様々な観点を考慮しなければならないのが城跡整備事業なのである。

 

参考文献

  • 加藤理文(2016)『日本から城が消える -「城郭再建」がかかえる大問題』洋泉社
  • 掛川市教育委員会(1998)『掛川城復元調査報告書』
  • 萩原ちさこ他(2015)『“復元”名城完全ガイド』イカロス出版
  • 1994年11月13日 読売新聞
  • 2012年6月7日 読売新聞