埋木帖

政策をテーマにエッセイをつらつら書きます

死刑に抑止力はあるのか(後編)

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東京拘置所の刑場、2010年に初めて公開された(出典:http://www.news24.jp/articles/2010/08/27/07165553.html

日本の抑止効果研究

日本における死刑の犯罪抑止効果を統計的に分析した主な研究は3つあります。松村・竹内(1990)、秋葉(1993)、村松他(2017)です。そして、それぞれの結論は抑止効果ありが1つ、なしが2つです。もう少し、詳しく見ていきましょう。

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日本における主要な死刑の犯罪抑止効果研究

結論が異なる2つの研究

松村・竹内(1990)は、日本で初めて死刑の犯罪抑止効果を分析した研究です。

それまでアメリカの研究でよく使われていた「アーリック・モデル」というモデルを日本に適用し、死刑の犯罪抑止効果の検証を行いました。アーリック・モデルは、基本的に経済学の考え方に基づいたモデルで「犯罪者は自らの効用を最大化するために犯罪を行う」と仮定しています。

この研究のモデルでは、殺人件数の決定要因として、検挙率・殺人で有罪判決を受けた者の内死刑判決を受けた者の割合・平均収入・失業率・生活保護者比率・20代男性の人口比率・高等教育在学者比率を使用しています。

また、細かい話ですがlogをとったパターン、指数型関数での推計など計4パターンのモデルで推計を行っています。

そして、この分析の結果、どのパターンでも「殺人で有罪判決を受けた者の内死刑判決を受けた者の割合」の係数(つまり、死刑の係数)は統計的に有意なだけのマイナスの値をとりませんでした。(それどころか、統計的に有意ではありませんが、係数はプラスの値をとっていました。

つまり、死刑の犯罪抑止効果は認められませんでした。

この松村・竹内(1990)と逆に死刑の抑止力を認めた研究が秋葉(1993)です。

秋葉(1993)でも、アーリック・モデルを使用し日本における死刑の犯罪抑止効果を検証していますが、この研究では死刑の係数が統計的に有意でマイナスの値を出しています。

こちらの研究では、松村・竹内(1990)と比べ、より多くの要因を加えてこそいますが推計期間は、ほぼ同じ。参考にしたモデルも同じにもかかわらず正反対の結果を導いています。

なぜ、このような逆の結果になったのか。結局、死刑に抑止力はあるのか、ないのかについて長らく分析は行われてきませんでした。

なぜ逆の結果になったのか

しかし、最近になって、ようやく研究が行われるようになりました。

まず、松村・竹内(1990)と秋葉(1993)で、なぜ逆の結果が導かれたのかについて森(2016)が分析を行いました。

森(2016)は、2つの研究を再現し、さらに推計期間をもとの研究より拡大し、再度分析を行いました。その結果、実は両研究で使われてたデータの定義が若干異なっていたことが判明しました。また、秋葉(1993)のモデルを使用して推計期間を拡張した結果、死刑の抑止効果が消えてしまう、つまり秋葉の研究で見られた抑止効果は、あまり頑健な結果ではなかったということも明らかになりました。

また、森は両研究とも「多重共線性」の問題を抱えている可能性を指摘しています。多重共線性とは、要因間の相関があまりに大きいと発生する問題で、多重共線性があると本来プラスになるべき係数がマイナスになったり、またその逆になったりすることがあります。

森(2016)は多重共線性が発生しているか否かの指標を用いて、この可能性を指摘しています。

抑止効果研究の難しさ

ここまで見てきて言えることは死刑の抑止効果に関する統計分析は非常に難しいということです。松村・竹内(1990)も秋葉(1993)も同じモデルを参考にして推計を行いましたが用いたデータの定義が若干異なったり、推計期間が変化したりするだけで死刑の抑止効果が「ある」という結論も「ない」という結論も導きうるわけです。

このように、モデルのわずかな違いで結果が大きく変わる死刑の抑止効果研究は、時に不思議な結論も出してきました。

Sakamoto et al.(2001)では、日本における死刑報道と犯罪件数について分析を行い、死刑には殺人を増加させる効果があるという結論を導き出しました。

このような死刑の犯罪 “増加” 効果は、アメリカの研究でも報告されており「brutalization effect(残忍化効果)」として知られています。この残忍化効果の説明としては、「死刑を行うことで人を殺してもいいという規範を国家が示し、人々が模倣する」というような説明がなされます。

しかし、この説明はまったく直感的ではないですし、実際に「自分も国をまねて人を殺そうと思った」という犯罪者が報告された事例は聞いたことがありません。おそらく、この残忍化効果もモデルのわずかな違いがもたらした結果に過ぎないのではないかと個人的には考えています。

日本の最新研究

日本における死刑の犯罪抑止効果研究で最も新しい研究が村松他(2017)です。

※「松村」と「松村」で紛らわしいですが別の方です

村松他(2017)では、これまでの松村・竹内(1990)や秋葉(1993)とは少し異なる推計手法を用いています。時系列分析でよく使用されるVARモデルというものです。

そもそも、日本のように死刑と犯罪について時系列データしかない場合、時系列分析を行う必要があります。しかし、時系列分析は、それだけで本が一冊出来上がるほど、クロスセクション分析やパネル分析とは手法が異なります。村松他(2017)では、使用するデータの特性を考慮しVARを選択したようです。

そして、この研究の結果は「死刑に犯罪抑止効果はない」というものでした。

日本における主だった死刑の抑止効果研究のうち、松村・竹内(1990)と秋葉(1993)がモデルに問題を抱えている以上、日本における最も信頼のおける研究は現時点では村松他(2017)ですから、現時点で日本においては死刑に犯罪抑止効果は確認されていないという暫定解が適切です。

また、3つの研究を同列に考えたとしても、抑止効果を認めた研究は秋葉(1993)しかなく、その秋葉も森(2016)による再検証の結果、抑止効果は確認できなかったわけですから、やはり抑止効果はないと言わざるを得ないでしょう。

抑止力を規定する唯一の要素

とはいえ、外国の研究を見てみると、やはり死刑の犯罪抑止効果を認めている研究も存在します。結局、死刑に犯罪抑止効果があるのか否かは個々の研究を見るだけでは何とも言えません。

そこで、参考にすべきなのはメタアナリシスです。メタアナリシスとは、複数の研究を統合して分析する手法のことです。

Gerritzen and Kirchgässner (2016)では、1975年から2013年の間に刊行された109の先行研究を用いてメタアナリシスを実施し、死刑の犯罪抑止効果を規定する唯一の要因を明らかにしました。

それは筆者の職業です。

つまり、109の先行研究を分析した結果、死刑に犯罪抑止効果があると結論付けた論文の共通項は、使用したデータの種類や分析手法、どのような要因をモデルに組み入れたかといった技術的なものではなく、筆者が経済学者であったことでしかなかったのです。

ようは、経済学者が死刑の犯罪抑止効果研究を行うと抑止力があると結論づけ、経済学者以外(法学者や社会学者など)が分析を行うとないと結論付けていたのです。

この結論について筆者らは「経済学者は人々の行動をインセンティブで説明するため、人々は死を恐れて犯罪に走らないと仮定し、抑止効果を認めたのだろう」と説明しています。

実に元も子もない結論ですが、死刑の抑止効果研究については現段階でも、この程度のものに過ぎないのでしょう。

2012年にアメリカの学術機関である「全米研究評議会」は死刑の抑止効果研究について報告書を出し以下のように述べています。

現在までの死刑の抑止効果に関する研究は、死刑が果たして殺人率を減少させるか、増加させるか、あるいは無関係であるかについて意味のある情報を提供できない

さらに報告書では、今後抑止力を根拠に死刑議論を行うべきではないと結論づけています。

刑事司法政策分野でもEBPM(科学的根拠に基づく政策形成)が叫ばれる中、死刑制度を存続させるなら何を根拠とするのか考える必要性がありそうです。

参考文献

  • Gerritzen, B. and Gebhard Kirchgässner (2016) “Facts or Ideology: What Determines the Results of Econometric Estimates of the Deterrent Effect of the Death Penalty? A Meta-Analysis” http://file.scirp.org/pdf/JSS_2016062814100929.pdf
  • National Research Council(2012) ”Deterrence and the Death Penalty. Committee on Deterrence and the Death Penalty”, edited by Daniel S. Nagin and John V. Pepper, The National Academics Press.
  • Sakamoto A, Sekiguchi K, Shinkyu A, et al. (2001) “Does the media coverage of capital punishment have a deterrence effect on the occurrence of brutal crime? An analysis of the Japanese Time-Series Data from 1959–1990,” Kuo-Shu Yang, Kwang-Kuo Hwang, Paul B. Pedersen, Ikuo Daibo ed. Progress in Asian social psychology : conceptual and empirical contributions, pp.277-290.
  • 秋葉弘哉(1993)『犯罪の経済学』多賀出版
  • 松村良之・竹内一雅(1990)「死刑は犯罪を抑止するのか -アーリックの分析の日本への適用の試み」『ジュリスト』No.959,pp.103-108.
  • 村松幹二・デイビッド・T・ジョンソン・矢野浩一(2017)「日本における死刑と厳罰化の犯罪抑止効果の実証分析」浜井浩一編『シリーズ刑事司法を考える第6巻 犯罪をどう防ぐか』岩波書店、pp.157-182.
  • 森大輔(2016)「日本の死刑に関する2つの計量分析の再検討」2016年度法と経済学会

死刑に抑止力はあるのか(前編)

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死刑執行が行われる東京拘置所(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/東京拘置所

窮地に立たされた死刑存置

先日、学生や社会人が参加するディベートの大会が行われました。論題は「日本は死刑制度を廃止すべきである」。大会では、参加したチームが「廃止すべき」と「廃止すべきでない」という肯定・否定の2つの立場に分かれて議論を行い、審判が「どちらの議論の方が説得的であったか」で勝敗を決めます。このようなディベートの大会では、どのチームが肯定側をやるか否定側をやるかはあらかじめ決まっているわけではなく、その試合ごとに立場が変わります。そのため、参加するチームは「死刑を廃止すべき」、「死刑を廃止すべきでない」という両方の主張を準備する必要があります。

この「死刑論題」は、ディベートの大会では、これまでよく扱われてきた論題で、肯定・否定どちらが有利ということはありませんでした。しかし、今回の大会では否定側が苦戦を強いられ、決勝戦でも肯定側「死刑を廃止すべき」という立場で議論を行ったチームが勝利しました。つまり、これまで「死刑を廃止すべき」という立場でも「死刑を廃止すべきでない」という立場でも試合に勝つことは可能だったのですが、今回の大会では「死刑を廃止すべき」という立場が有利になったのです。

死刑に抑止力はない?

なぜ、死刑廃止派が有利になったのか。それは、これまで死刑存置派の有力な主張であった「死刑の犯罪抑止効果」が最新の研究で否定されることが多くなったためでした。「人々は死刑という命を奪われる刑罰を恐れて凶悪犯罪を思いとどまっている。そのため、死刑を廃止すれば、その抑止力がなくなり、犯罪が増加する。凶悪犯罪から国民を守るためにも死刑は廃止すべきではない。」という死刑存置派の主張は、なかなか納得度の高い主張です。しかし、この主張を統計的に分析してみると、「死刑に抑止力はないようだ」という結論が出ることが多くなってきたようです。

今回は、統計分析についての解説と日本における死刑の犯罪抑止効果研究を紹介しながら、死刑と抑止力について考えてみたいと思います。

日米の研究蓄積の差

死刑と犯罪抑止力について統計的手法を用いて分析した研究はアメリカで盛んです。その一方で、日本におけるこのような研究は現時点で3件ほどしかありません。この背景には、死刑や犯罪に関する継続的な情報公開が行われていたか否かという問題もありますが、統計分析の観点から言うとアメリカの方が統計分析に必要な条件を満たしやすいということも影響しているでしょう。それを説明するため、まず統計分析がどういうものか見ていきましょう。

抑止力を確認する最良の方法

死刑に犯罪抑止効果があるかどうかを確かめる一番確実な方法は「実験」です。2つの国を用意して、一方は死刑を残し、もう一方は死刑を廃止します。そして、その後、犯罪件数がどう変化したのかをこの2国間で比べれば、死刑の犯罪抑止効果があるかどうかが分かります。しかし、この実験結果が正しくなるためには、この2つの国が死刑の有無以外すべて同じ状況でなければなりません。人口や年齢構成はもちろん政治体制や経済状況、文化まで犯罪の要因になり得そうな要素すべてが同じでなければ、仮に一方の犯罪件数に変化があったとしても、それが死刑によるものか、それとも他の要因によるものか判断できないからです。したがって、このような2つの国が用意できれば死刑の抑止効果の有無を確認できます。

しかし、読者の皆さんはお気づきだと思いますが、こんな実験を実際にやることは不可能です。死刑の有無以外、すべての状況が同じ国などありませんし、たくさんの人を巻き込むこのような実験は倫理的に問題です。

統計分析の考え方

では、死刑の犯罪抑止効果について何も確かめようがないのかと言えばそうではありません。実験に比べれば精度は落ちますが、特徴が似ていて死刑があったりなかったりする地域が複数あれば統計的な分析が可能です。例えば、文化や経済状況などが比較的似ている50の地域があり、それぞれの地域で死刑がなかったり、逆に死刑執行をたくさんしていたり、そんなにしていなかったりしたとしましょう。このとき横軸に1年間に行われた人口1000人あたりの死刑執行数、縦軸に1年間に発生した人口1000人当たりの殺人件数をとって、プロットしてみましょう。

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※このデータは架空のデータです

どうも執行数が多いほど、殺人係数が少ない傾向がありそうです。ここで、こういう式を考えてみましょう。

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これは執行件数が殺人係数に影響を与えていると仮定した式です。このような式をモデルといい、殺人件数が原因、執行数が結果となります。そして、統計分析の手法を使うと、実際にこの式のαやβに実際の数字を当てはめることができます。実際に当てはめてみたものがこれです。

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※このデータは架空のデータです

この式を解釈してみましょう。もし、ある地域の執行数が10件の場合、このモデルにしたがうと、殺人件数は639.7-10.3×10=536.7件となります。また、この地域が追加的にもう1件の執行を行った場合、殺人件数は10.3件減少し526.6件になることが分かります。このようにαとβを統計から推定することで、執行数が殺人に与える影響を数量的に表すことができるようになります。

これが最も基礎的な統計分析のひとつである最小二乗法による単回帰分析です。今回の分析では、βがマイナスの値をとったため、執行数を増やすと殺人件数が減るという抑止効果が確認できました。もし、このβがプラスの値をとった場合は逆に執行数を増やすと殺人件数を増やすという効果が存在するということになります。

他の要因をコントロールする

では、この結果だけで「死刑には抑止力がある」という結論を出してもいいのでしょうか?いろいろな反論はあり得ますが、重要な反論は大きく2つ存在します。

まず、考えられる反論は「本当に死刑執行数だけが殺人件数を決めているのか」という問題です。実際に犯罪は社会の複雑な要因によって発生しています。例えば、経済状況が悪ければ犯罪も増えるでしょう。死刑執行数だけが殺人件数の規定要因と考えるのはさすがに無理のある仮定と言わざるを得ません。そこで考えられる解決策としては、他にも影響しそうな要因をモデルに組み込んでやるという方法です。例えば、先ほどのモデルに経済状況を考慮させるため、一人当たりの所得を組み込むということは可能です。この場合の式は

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となります。このように殺人件数に影響を与えそうな要因をモデルに追加することは理論上、何個でもできます(実際のところ限度はありますが)。このようにして、様々な要因を考慮して、なおβ₁がマイナスの値をとれば、「他の要因をコントロールしたうえで死刑を1件追加的に執行するとβ₁件、殺人件数が減る」と言えます。

βは意味のある数値なのか

次に予想される反論は「βは本当に意味のある数字なのか」というものです。例えば、βが0.001のように非常に小さい値をとった場合、本当に影響があるのか微妙でしょう。βが0ということは、執行数は殺人件数に何も影響を与えないということになりますから、βが0に近いと実際には執行数は影響がないという可能性が出てきます。実際、βの数値はどのような数字を、どれくらい使うかによって変化します。基本的には、対象となる数(今回でいう地域の数)が増えれば、数字の信頼性が上がることが分かっています。ただ、対象となる数を増やせるかどうかは使いたい数字が存在するかどうかにもよりますし、数を増やしても、やはり0に近かったら、同様の疑念が残ってしまいます。もちろん、実際に影響は与えるけれども、その度合いは小さいという可能性もあります。

これをどう判断するのかは、p値を見れば分かります。p値とは、推定された数値が0である確率を表したもので、それぞれの推定値ごとに計算をすれば導き出せます。社会科学の分野では一般にp値が5%以下(0.05以下)であれば、βは0ではなさそうだと判断します。したがって、今回の場合でいうと、執行数の係数(β₁)のp値を計算して、0.05を下回れば統計的にも抑止効果があると言えます。以上が、統計分析の最も基礎的な考え方です。実際に論文として出される研究は、もっと複雑で精緻な手法を使っていますが、ここまで理解できれば、何を研究でやっているのかざっくりとした内容は分かると思います。

データの種類と研究蓄積の差

さて、話を日本とアメリカの研究蓄積の差に戻しましょう。これまでの説明で分かるかと思いますが、このような分析には一定数のデータが必要になります。

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データの種類(概念図)

今回の場合、ある年(例えば、2010年)のある地域での死刑執行数と殺人件数が1つのデータとなります。アメリカの場合、州ごとに法律が異なるため、ある年の州ごとの死刑執行数と殺人件数のデータが50個集まりますから、分析が可能です。このようなある時点での複数のデータをクロスセクション・データといい、クロスセクション・データを用いた分析をクロスセクション・データ分析といいます。

しかし、日本の場合、県ごとで死刑があったり、なかったりということはありませんから、2010年のデータなら1つしか存在しません。このため、日本のデータでは、クロスセクション・データ分析は行えません。もちろん、だからといって全く統計分析が行えないというわけではありません。ある年の死刑執行数と殺人件数のデータは1つしかありませんが、複数年単位(例えば、1990年から2010年)で見ていくと複数のデータを得ることができます。このような1つの対象の複数年のデータを時系列データといい、時系列データを用いた分析を時系列分析といいます。

時系列分析も適切な方法で推定を行えば正しくβを推定することは可能です。ただ、クロスセクション・データ分析や時系列データ分析よりも優れているのがパネルデータ分析です。パネルデータとは、複数の対象の複数年のデータのことで、パネルデータを使うと地域固有の効果をコントロールして純粋な因果関係を見ることが可能です。

今回の死刑と殺人件数の例で行くと、アメリカの場合、50州の複数年間のパネルデータを得ることができますが、日本の場合、時系列データしか得られません。このような分析に向いたデータの有無が研究蓄積の差につながっている可能性が高いです。

 

 

さて、ここまで死刑の犯罪抑止効果の研究を紹介する前に統計分析がどのようなものかを説明してきました。次回は、日本における死刑の犯罪抑止効果に関する先行研究を紹介し、日本において死刑の犯罪抑止効果があるのかを見ていきたいと思います。

城の復元と法令② 掛川城天守

 

umoregicho.hatenablog.com

 

 前回の記事では、福島県白河市白河小峰城三重櫓を「木造復元ブームの先駆け」として取り上げた。しかし、実際には小峰城三重櫓復元の少し前に、もう一つ“木造復元”が行われた事例がある。静岡県掛川市にある掛川城天守である。実際、『掛川城復元調査報告書』の序文には、掛川城天守の復元を「わが国最初の本格木造天守閣の復元」と書かれている。しかし、実際には他の木造復元のような評価を得ることは少ない。なぜ、このようなことになったのか。今回は掛川城天守復元を事例に城跡整備の課題を見ていく。

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掛川城天守外観

掛川城の歴史

静岡県西部に位置する掛川城は、今川家配下の朝比奈泰熙によって築かれた。しかし、その後、今川氏が徳川氏に追いやられ、1569年に掛川城も徳川配下の城となった。1590年の豊臣秀吉による天下統一がなると、徳川氏は関東へ移封され、掛川城山内一豊のものとなった。このとき掛川城は近世城郭として整備された。すなわち、現在見ることができる掛川城山内一豊によって築かれたのである。ただ、山内一豊関ケ原の戦いの功績により、土佐へ移封され、一豊による掛川支配はわずかなものであった。

その後、掛川城は松平・井伊・北条・小笠原・太田など11家26代の居城となり、明治維新を迎え、廃城となる。 

復元にむけた動き

掛川城天守明治維新を迎える前の1854年に起きた安政地震によって倒壊していた。(ただし、それまで現存していた天守山内一豊時代のものが、そのまま残っていたようである。)つまり、古写真などの天守の姿をそのままに伝える資料は残念ながら残されていなかった。しかし、それでも地元としては天守が欲しかったようだ。

戦後まもなくに起こった天守の再建ブーム(主に戦災によって焼失した天守が復興された時期)には、掛川城天守も復元に向けた動きがあったが、このときは財政難により復元の話は立ち消えとなった。その後もたびたび天守復元の話は上がったようである。

大きな転機となったのは、1987年(昭和62年)に掛川市に転入した白木ハナヱ氏が市に対し1億5千万円の寄付を行ったことだった。白木氏は、掛川市がいち早く生涯学習都市宣言を行っていたことに感銘を受け、それに関連した事業に使ってほしいということで寄付を行った。掛川市は、1年間検討を行った結果、その寄付を掛川城天守の木造復元に活用することとなった。この方針を白木氏に伝えたところ、氏は快諾し、さらに2度、追加の寄付を行い総額5億円の寄付となった。

この寄付をきっかけに掛川市掛川城天守の木造復元“ありき”で動いていく。 

建築基準法21条

掛川城天守の木造復元でも建築基準法が障壁として立ちはだかった。

前回取り上げた白河小峰城では、建築基準法21条との適合性が問題となったが、掛川城天守の場合はどうだったのか。

建築基準法21条では高さが13メートルを超える建築物について耐火基準などの安全基準を満たすことを求めている。しかし、これらの安全基準を満たそうとすると現代工法を積極的に取り入れざるを得ず、史実に忠実な復元とは言えなくなる。この基準のため、13メートルを超えた白河小峰城三重櫓は建築基準法に違反したわけだが、掛川城天守はどうだったのか。

実は掛川城天守の高さは16.18メートルで13メートルを超えている。

そのため、法令を素直に解釈するなら、掛川城天守も各種の安全基準を満たす必要が出てくる。しかし、これは史実に忠実な復元と矛盾する。この矛盾を避けるためには、白河小峰城三重櫓のように建築基準法の適用除外を受ける必要がある。しかし、掛川城天守の場合は、建築基準法の適用除外は受けていない。これでは違法建築になってしまうように思えるが、掛川城天守は適法の建築物である。

建築基準法施行令第2条6項

ここで出てくるのが建築基準法施行令第2条6項である。建築基準法施行令は、国会が定めた「法律」である建築基準法のより細かい部分を補うために行政が定めた「命令」である。この第2条6項では、建築基準法で定めている建築物の高さの定義を細かく定めている。これによると

(略)…階段室、昇降機塔、装飾塔、物見塔、屋窓その他これらに類する建築物の屋上部分の水平投影面積の合計が当該建築物の建築面積の1/8以内の場合においては、その部分の高さは、12mまでは、当該建築物の高さに算入しない。(一部省略) 

と定めている。つまり、階段室や物見塔は一定の大きさまでなら建築物の高さに含めないということである。掛川城天守は、この規定を利用した。

掛川城天守は3重4階の建築物であるが、このうち3階・4階を物見塔とそれに付随する階段階とみなすことで、法令上13メートル未満の建築物であるとしたのである。

これにより、掛川城天守は史実に忠実な復元を可能にしたのである。

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天守内部

史実に忠実とは言えない復元

しかし、実際の掛川城天守の木造復元は、とても「史実に忠実な復元」とは言えない代物である。

前述のように、実際に存在していた掛川城天守は幕末の地震により倒壊しており、その姿を伝える古写真は存在していない。一応、いくつかの絵図は存在したが、細部が分かるような資料とは言えない。

そこで、担当者は復元にあたって高知城を参考にした。高知城天守は江戸時代から残る現存12天守のひとつであり、築城者は掛川城天守と同じ山内一豊である。古文書には高知城の築城にあたって掛川城を参考にしたという旨の記述があるため、掛川城天守の復元では、逆に高知城天守を参考にしたというわけだ。しかし、だからといって掛川城天守高知城天守と本当に同じであるという確証はどこにもないため、不確かな根拠に基づく想像と言うしかない。 

壊された遺構

このように「史実に忠実な復元」とはいいがたい掛川城天守の木造復元は、さらなる問題を引き起こしていた。前述の通り、掛川城天守は各種の安全基準を満たさなくとも建築が可能である。しかし、そうはいっても一般に開放することを前提とした建築物のため最低限の安全基準は満たさなければならない。そのため、安全性を検証した結果、当時から残っている天守の下にある石垣(天守台)の上に天守を復元すると安全上問題があるとされたのだ。

掛川城天守台は、天守が倒壊した地震やその後の風化によって破壊が進んでいたものの、発掘調査の結果、ある程度、当時のまま残っていることが判明していた。

石垣は当時の土木技術の粋を集めた構造物であり、当時の石垣は極めて貴重な文化財と言っても過言ではない。しかし、この貴重な遺構の上に天守を作るとなると安全性に問題が生じることが分かったのである。

本来であるならば、木造復元工事の計画はいったんストップさせ、この貴重な天守台をいかに保全するかを検討すべきである。しかし、事業が天守の木造復元ありきで進んでいたため、この貴重な天守台を壊し、コンクリートで基礎を作り、天守の工事を進めたのである。これによって、貴重な遺構は未来永劫失われたのである。

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掛川城遠景(左手にあるのは太鼓櫓)

なぜ、無法な工事が行われたのか

1994年、掛川城天守は、わが国初の木造天守として竣工した。

しかし、以上で見てきたように掛川城天守の木造復元は多くの問題を抱えた事業であった。

なぜ、このような「無法な事業」が行われてしまったのか。

ひとつ考えられる理由としては、掛川城跡が史跡として指定されていなかったためである。

例えば、名古屋城大阪城文化財保護法で定める「史跡」である。この史跡に指定されると、史跡内の遺構を保全するために、史跡内の現状変更を行う場合には文化庁の許可が必要となる。また、県や市町村が条例によって県指定史跡等に指定した場合も現状変更には教育委員会などの許可が必要となる。このような許可は文化財の価値を損ねるような現状変更ではないかを基準に行われるため、むやみやたらな遺構の破壊や史実に基づかない建築を防ぐ効果が期待できる。

しかし、掛川城跡は当時、このような史跡に指定されていなかったため、文化財保護の観点からの規制を受けずに工事が進んでしまったのである。

 

ここまで、相当悪く掛川城について書いてきたが、掛川城はすばらしい城跡であることは指摘しておかねばなるまい。

掛川城には、日本で4つしかない御殿建築の現存例が存在しており、これを見るだけでも掛川城に行く価値はある。また、問題を抱えているとはいえ、木造によって建てられた天守は、職人の技が光る見事な建物である。そういった意味では復元された掛川城天守の価値が低いわけではない。

経済効果も相当のものであった。天守を復元するまで掛川城の来場者数は年間1万人足らずであったが、公開後7ヵ月だけで35万人の集客効果があった。2012年には総入場者数が300万人を超え、今でも年間約10万人程度が訪れている。町おこしとしての掛川城天守の木造復元は間違いなく成功であろう。

ただ、繰り返しになるが、城跡は集客装置である以前に貴重な文化財である。文化財保護と町おこし、あるいは都市景観や緑化など様々な観点を考慮しなければならないのが城跡整備事業なのである。

 

参考文献

  • 加藤理文(2016)『日本から城が消える -「城郭再建」がかかえる大問題』洋泉社
  • 掛川市教育委員会(1998)『掛川城復元調査報告書』
  • 萩原ちさこ他(2015)『“復元”名城完全ガイド』イカロス出版
  • 1994年11月13日 読売新聞
  • 2012年6月7日 読売新聞

城の復元と法令① 白河小峰城三重櫓

 今年5月、名古屋城天守の立ち入りが禁止された。名古屋市が進めている天守の木造復元に向けた動きの一環である。

名古屋城は戦前、城郭として国宝第1号に指定された文化財であった。しかし、1945年の名古屋空襲において天守をはじめとする貴重な文化財の多くが焼失してしまった。だが「尾張名古屋は城でもつ」と称された名古屋のシンボルを取り戻そうと天守の再建に向けた動きが戦後広がる。その結果、1959年に鉄筋コンクリート造りで名古屋城天守は復元された。現在の名古屋城天守はその時のものである。

しかし、コンクリートの耐用年数は40~50年と言われており、再建から半世紀を経て、名古屋城天守はその安全性が危惧されるようになってきた。そこで、名古屋市は、現在の鉄筋コンクリート造りの天守をいったん解体し、木造の天守を復元しようと計画しているのだ。

だが、木造による名古屋城天守の復元は様々な課題を解決しなければ実現し得ない。予算や材料については既によく出ている議論だが、その他の重要な論点として法令の問題が存在する。実は、この法令の問題は、既に全国各地の城跡の復元整備に際しても大きなハードルとして存在してきた。また、名古屋城と同じように戦後、鉄筋コンクリートで再建された城跡は各地に存在しているため、今後も大きなハードルとして問題になることも予想される。そこで、本ブログで何回かに分けて過去の城の復元を事例として取り上げながら、城跡の復元整備にあたっての法令上の問題を紹介していきたい。

今回は、城の木造復元ブームの先駆けとなった白河小峰城三重櫓福島県白河市)の事例を見ていきたい。

 

小峰城の概要と三重櫓復元に向けた動き

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白河小峰城(以下、小峰城)は結城親朝が興国・正平年間(1340~1369)に小峰ヶ岡に城を構えたのが始まりとされる。1632年(寛永4年)には丹羽長重が棚倉から移封され、4年の歳月をかけ現在に残るような近世城郭として小峰城を整備した。その後、小峰城寛政の改革で知られる松平定信などが居城として使ったが、1868年(慶應4年)に戊辰戦争白河口の戦いで落城し、三重櫓をはじめとする城内のほとんどの建物が焼失した[1]

しかし、白河の人々にとって小峰城は非常に愛着のある城のようで城の復元に向けた動きが何度か繰り返されてきた。

1972年(昭和47年)には白河町(当時)の教育長が中心となって小峰城復元期成同盟会を結成。近江栄(日本大学理工学部教授)に設計を委託、藤岡道夫(東京工業大学名誉教授)が監修し、三重櫓復元の見積もりまで出した[2]。しかし、翌年の石油危機によって計画は頓挫してしまった。

また、1983年(昭和58年)にも、松平定信公二百年祭を契機に小峰城等復元調査委員会が設立された。しかし、この時は小峰城跡が国史跡に指定される可能性が出てきたため、この時も活動がストップした(国史跡に指定されると、復元等の現状変更が厳しくなる)[3]

その後、白河市小峰城跡を文化財というよりは都市公園整備の一環として整備する方針を打ち出していく。

 

立ちはだかる建築基準法

1982年(昭和57年)に「城山総合公園基本計画」が策定され、都市公園整備の一環として小峰城三重櫓復元が盛り込まれた。そして、基本計画に基づき、いよいよ1987年(昭和62年)に1989年の白河市制40周年記念事業として三重櫓復元が正式決定され、翌1988年(昭和63年)には小峰城三重櫓建設委員会が発足した。

しかし、ここで法令上の問題が立ちはだかった。

史実に忠実な形で小峰城三重櫓を復元すると建築基準法に違反するのである

そもそも、建築基準法は「建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資すること」(法第1条)を目的とする法律で、“建築物”の安全基準を定めている。

しかし、伝統工法を駆使して復元する小峰城三重櫓は現代建物に求められる安全性(耐震性や防火性)を満たさない。

同法21条では「高さが十三メートル又は軒の高さが九メートルを超える建築物は、第二条第九号の二イに掲げる基準に適合するものとしなければならない。」(一部省略)と規定し、13メートルを超える建築物に各種の安全基準を満たすことを求めているが、復元される小峰城三重櫓の高さは14メートルであり、この規定に違反してしまう。

そこで白河市は、ある裏技を使う。

復元する小峰城三重櫓を「建築物」ではなく「工作物」としたのである。

建築基準法第2条第1項では「建築物」を「土地に定着する工作物のうち、屋根及び柱若しくは壁を有するもの、これに附属する門若しくは塀、観覧のための工作物又は地下若しくは高架の工作物内に設ける事務所、店舗、興行場、倉庫その他これらに類する施設をいい、建築設備を含むものとする。」(一部省略)と定義している。

つまり、土地に定着しているものを「工作物」といい、その「工作物」のうち同法で規定するものを「建築物」といい、建築基準法でその安全基準を規定しているのである。

つまり、小峰城三重櫓を「工作物」とみなせば、建築基準法で求められている基準を満たさなくとも復元が可能になる。そして、白河市小峰城三重櫓を「工作物」として建築許可を得たのである[4]

復元工事は1989年(平成元年)に着工。工事は急ピッチで進められ、1990年秋には三重櫓本体の工事が、ほぼ完了し、ライトアップ設備などの付帯工事を経て、1991年(平成3年)4月に竣工した[5]。基礎を除きすべて木造の小峰城三重櫓は初めての史実に忠実な復元事例となった。

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小峰城三重櫓の最上部(2015年撮影)

いよいよ、オープンということになるのだが、ここで「工作物」として建てたことが裏目に出る。

「工作物」として復元したために、内部に人を入れることができないのである

竣工当初は、内部を開放していたが、県から建築基準法上、内部に人を入れることはおかしいと指摘され、急遽、指導により3階構造のうち1階部分だけを「学術研究」の名目で「特別公開」することになった。

当時の新聞には「福島県白河市が再建した小峰城三重櫓が違反建築」と題した記事が掲載され「材質、形まで正確に復元したのがあだになり」とまで言われている[6]

この状態が望ましくないのは明らかである。

また、市民や観光客からも「せっかく立派に復元したのに、二、三階部分が見学出来ないのはもったいない。ぜひ開放してほしい」という要望が相次いだ[7]

市の担当者は頭を悩ませた。

 

三重櫓一般開放に向けて

光明が差したのは1993年(平成5年)に「都市計画法及び建築基準法の一部を改正する法律(平成 4 年法律第 82 号)」が施行されたことがきっかけである。

これにより建築基準法が改正、以下の条文が加わった。

建築基準法第3条第1項

この法律並びにこれに基づく命令及び条例の規定は、次の各号の一に該当する建築物については、適用しない。

一 文化財保護法(昭和25年法律第214号)の規定によって国宝、重要文化財、重要有形民俗文化財特別史跡名勝天然記念物又は史跡名勝天然記念物として指定され、又は仮指定された建築物

二 旧重要美術品等の保存に関する法律(昭和8年法律第43号)の規定によって重要美術品等として認定された建築物

三 文化財保護法第98条第2項の条例その他の条例の定めるところにより現状変更の規制及び保存のための措置が講じられている建築物(次号において「保存建築物」という。)であつて、特定行政庁が建築審査会の同意を得て指定したもの

四 第1号若しくは第2号に掲げる建築物又は保存建築物であつたものの原形を再現する建築物で、特定行政庁が建築審査会の同意を得てその原形の再現がやむを得ないと認めたもの

 

つまり、小峰城三重櫓が法第3条第1項4号に規定される「建築物又は保存建築物であつたものの原形を再現する建築物」と認められれば、建築基準法の適用が除外される。

すなわち、小峰城三重櫓を「工作物」とみなさなくてもよくなり、一般に開放することが可能になるのだ。

より厳密にいえば、①「小峰城三重櫓」という建物が規定される「保存建築物」として法律または条令によって認められること、②復元された「小峰城三重櫓」が原形を再現する建築物で、特定行政庁が建築審査会の同意を得てその原形の再現がやむを得ないと認めたものとなることが必要となる。

基準としては厳しいが、条件さえ満たせば一般公開も夢ではない。

さっそく、白河市は動き出した。

1996年(平成8年)9月に市議会で小峰城三重櫓の「構造評定」を受けるための予算1,280万円を計上。一般財団法人日本建築センターによって、小峰城三重櫓の安全性を認めてもらい、県の建築審査会で法の適用除外を受けることにした。

スケジュール通りに行けば、1997年(平成9年)7月から2,3階部分を一般公開する予定だった[8]

しかし、前例のない試みのため、そううまくはいかない。

構造評定の結果、補修が必要だと判明したのである[9]

そこで、1997年6月の市議会で補修工事のための2,957万円を盛り込んだ補正予算を提出。同時に市の「白河市都市景観条例」を制定、小峰城三重櫓を「都市景観重要建造物」に指定した[10]

同年9月に補修工事が完了、建築審査会の同意を得て、1998年(平成10年)4月に全面公開をすることができた[11]

小峰城三重櫓竣工から7年が経過してのことである。

 

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三重櫓内部(2015年撮影)

小峰城三重櫓復元の意味

このように小峰城三重櫓は建築基準法上の「工作物」となることで、復元自体は可能と

なったが、その後、大変な苦労をすることになった。この経験から学ぶことは多いだろう。しかし、白河市のこの「チャレンジ」が、のちにつながっていることも忘れてはならない。それまで、城の木造復元は建築基準法を理由に困難とされていたが、小峰城三重櫓の事例は、工夫の仕方によっては木造復元も可能であるというメッセージとなった。実際、小峰城の後、白石城大櫓(宮城県白石市、1995年)、新発田城御三階櫓(新潟県新発田市、2004年)、大洲城天守愛媛県大洲市、2004年)というように全国各地で城の木造復元が相次いだ。これは「平成の城郭再建ブーム」「木造復元ブーム」と呼ばれ、文化庁文化財保護の方針にも影響を与えることになる。現在、各地の城跡を訪れて、木造復元された城を楽しめるのは白河小峰城三重櫓の復元が行われたからとも言えるのである。

 

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[1] 白河観光物産協会HP

[2] 1990年11月21日「毎日新聞」東京朝刊、白河市教育委員会(2010)

[3] 1990年11月21日「毎日新聞」東京朝刊

[4] 1996年10月「財界ふくしま」25(11)、加藤(2016)

[5] 1990年6月「財界ふくしま」19(6)、1990年11月21日「毎日新聞」東京朝刊

[6] 1994年6月7日「読売新聞」東京夕刊

[7] 1996年10月「財界ふくしま」25(11)

[8] 1996年10月「財界ふくしま」25(11)

[9] 日本建築研究所HP

[10] 1997年6月12日「朝日新聞」朝刊(福島)

[11] 1998年3月22日「朝日新聞」朝刊(福島)

 

参考文献

加藤理文(2016)『日本から城が消える -「城郭再建」がかかえる大問題』洋泉社

白河観光物産協会http://shirakawa315.com/sightseeing/komine.html(2018年7月27日閲覧)

白河市教育委員会(2010)『小峰城跡復元報告書 三重櫓・前御門』白河市埋蔵文化財調査報告書第57集

日本建築研究所http://www.jalab.co.jp/projects/1997/337.html(2018年7月27日閲覧)

1990年6月「財界ふくしま」19(6)

1996年10月「財界ふくしま」25(11)

1990年11月21日「毎日新聞」東京朝刊

1994年6月7日「読売新聞」東京夕刊

1997年6月12日「朝日新聞」朝刊(福島)

1998年3月22日「朝日新聞」朝刊(福島)

厚生労働省 裁量労働制データ問題の“本当の深刻性”

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出典:https://www.asahi.com/articles/photo/AS20180219001504.html


通常国会が始まり1か月ほど経ちましたが、国会では厚生労働省が提出した裁量労働制に関するデータを巡り論戦が繰り広げられています。

首相の答弁撤回に端を発したこの問題ですが、私からすると“おかしな”方向に向かっているようで大変苛立たしく見ています。

今回は、この問題のポイントを概観しながら、この議論の背後にある本当の深刻性について触れていきたいと思います。

 

問題の経緯

ここまで問題が紛糾したきっかけは今月14日に安倍首相が裁量労働制にかかわる答弁を撤回したことです。

 

政府は、今国会で提出を目指す働き方改革関連法案の中で裁量労働制の適用範囲を拡大するとしています。

しかし、野党からは裁量労働制によって長時間労働が助長されるのではないかと反発の声が上がっています。

そもそも、裁量労働制とは、一定の残業時間を最初からしたとみなして給料を払う仕組みのことです。

例えば、コンサルタントのような職種は、長時間働いたからといって良い成果物ができるとは限りません。むしろ、長時間だらだらと仕事をしても成果は上がらないでしょう。このような状況では労働時間と給料が比例する賃金体系だと、短時間で効率よく仕事をする人より、長時間だらだら仕事をする人のほうが高い給料をもらうことになってしまいます。そのため、裁量労働制のような賃金体系をとると、効率よく仕事をする人は短い労働時間でもきちんと給料をもらえ、逆に非効率な人は長時間働いても給料は上がらないという状況に誘導することができます。

今回の働き方改革関連法案では、この裁量労働制の適用範囲を今より広くしようとしているのです。

しかし、この裁量労働制は「いくら働いても給料は増えない」ということでもあるので、経営者からすれば「定額働かせ放題」のような状況と捉えることもできます。そのため、野党からは、むしろ長時間労働を助長させるのではないかと反対の声が上がっているのです。

 

このような声に対して、政府は「平成25年労働時間等総合実態調査」から得られたデータをもとに「裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均的な方で比べれば一般労働者よりも短いというデータもある」と反論したのです。

それが、安倍首相が撤回した答弁でした。

 

その根拠となったデータによると、一般労働者の1日あたりの労働時間は9時間37分で、裁量労働制で働く人は9時間16~20分となっていました。

 

この答弁に対し、野党側は「調査そのものの信頼性」を中心に疑義を呈していました。

例えば、希望の党山井和則氏は「一日に二十三時間以上働く人が九人もいる。一時間も寝ていないことになる」[1]と調査によって得られたデータの中に不自然なものがあると指摘し、また時系列としては答弁撤回後になりますが、立憲民主党長妻昭氏も同調査のデータの中に87事業所117件に異常な値があったことを指摘しました[2]

 

このような指摘を受け、厚生労働省が調べなおしたところ、答弁の基となったデータは違う質問によって得られたデータであり、比較することは不適切だとして、答弁撤回に至ったのです。つまり、一般の労働者に対しては「1か月のうちの最長時間」を尋ねていた一方で、裁量労働制で働く人には「単に1日の労働時間の状況」を聞いていただけだったのです。

このように前提が違うデータを単純に比較した不適切な答弁だったのです[3]

これは調査そのものの信頼性にかかわる問題というより「データの不適切な扱い方」の問題と言えます。

 

野党のミスリード

さて、このように見ていくと、今回の問題、実は野党が問題視していた問題と答弁を撤回するに至った問題が違うということが分かると思います。

すなわち、政府が認めた誤りというのは調査を基に単純比較してはいけない2つの数値を単純に比較してしまったというデータの「使い方」の問題です。それに対して、野党が問題視しているのは、調査結果の基となったデータの中に異常な値が見られることを理由に変なデータを出しているのではないかというデータの「作り方」の問題です。

 

この2つの問題ですが、私は政府が主張するようにデータの使い方には大きな誤りがあったのは事実で大問題であると考えますが、野党が主張するようなことは全く問題ではないと考えます。

なぜなら、野党が主張するようなデータの中に異常な値が混じるのは統計調査を行う中では当たり前のことだからです。

 

もう少し丁寧に説明していきましょう。

「一般の労働者と裁量労働制で働く人、どちらの労働時間が長いのか」を調べようと思ったら何をする必要があるでしょう。

まずは、一般の労働者の労働時間と裁量労働制で働く人の労働時間を調べる必要があります。しかし、知り合いの一般の労働者Aさんと、もう一人知り合いの裁量労働制で働くBさんという2人の労働時間を比べるだけで「一般の労働者と裁量労働制で働く人、どちらの労働時間が長いのか」を調べることは出来ません。ここで分かるのはあくまでAさんとBさんの労働時間だけであってAさんの労働時間をイコールで一般の労働者の労働時間としたり、Bさんの労働時間をイコールで、裁量労働制で働く人の労働時間としたりすることは出来ません。

一般の労働者の労働時間と裁量労働制で働く人の労働時間を調べるには、もっとたくさんの人の労働時間を調べる必要があります。

しかし、アンケートの集計などをしたことがあれば分かると思いますが、たくさんの人について調べれば調べるほど変なものが出てきます。調査対象のひとりひとりについて調べる時間をしっかり確保できればいいでしょうが、たくさんの人を調べるとなるとそうもいきません。また、調査に協力してくれる人も全員が全員調査の趣旨を理解しているか分かりませんし、中には忙しいから適当に答える人も出てくるでしょう。そうすると、どうしても変な値が出てきてしまいます。

さて、では今回の場合はどうでしょう。

答弁の基となった「労働時間等総合実態調査」は、11,575の事業所を対象とした規模の大きな調査です。これくらいの規模になってくれば、おかしな数値が相当数まぎれていてもなにもおかしくありません

しかし、野党は、この相当数混じっていてもおかしくない異常な値を取り出して、「調査の信頼性にかかわる」と批判しているのです。

これは、彼ら彼女らがデータの扱いを全く知らないがゆえに出てくる批判でしょう。

(あるいは、それを知ったうえでの批判なら非難のための批判でしかありません)

 

もちろん、このような野党の声についてデータの専門家は

 

 

 

というふうにこのような批判はあたらないという見方をしています。

 

しかし、野党は今日もあって当たり前の異常値を取り出して批判を繰り返しています。

www.asahi.com

 

しかも、これに対し政府与党も「精査する」という姿勢を示しており、不毛なやり取りが続いています

 

繰り返しますが、大規模な統計調査の中に異常値が混じることは当たり前のことです。

問題は、この異常値を適切に処理したかどうかという問題です。

例えば、所得にかかわる調査でも、きちんと生活しているのに所得が0という数値が書かれているなど、おかしなデータが出てきます。そのような場合、異常な値を計上せずに各種の代表値を計算します。

今回の「労働時間等総合実態調査」で、きちんとこのような処理が行われたのかは定かではありませんので、それについて質問をするなら、まだ生産的なのですが・・・。

 

正直、野党側(最近はマスコミもですが)の批判は、問題をミスリードしているだけで百害あって一利なしです。

もう少し、データの扱いについてお勉強してもらいたい限りです。

 

データ問題の本当の問題は霞が関にデータを扱える人がいないこと

しかし、本当にデータの扱いについて勉強をしてもらいたいのは政府のほうです。

今回のデータ問題の本丸は、あくまでデータの扱い方がおかしいという問題です。

単純比較してはいけないデータを持ち出すというのは、本当に言語道断の扱い方です。

まして、重要法案への懸念の声に対する主張の根拠が、このような状況というのは、ずさんにもほどがあります。

しかも、これは氷山の一角に過ぎないと私は思っています。

政府の白書や報告書を見ていると、およそ根拠としては十分でないデータを、あたかも十分な根拠のように示している例が散見されますし、政府の取り組む重要政策の中にも科学的な根拠に基づいているのか微妙な政策がたくさんあります。

このような姿勢は、政策へ投じることができる資源(ヒト、モノ、カネ)が潤沢な右肩上がりの成長の時代なら特に問題もなかったでしょうが、今のように政策へ投じることができる資源が限られた社会においては、根拠薄弱な政策に資源を投じる余裕はありません。

政策実施にあたっては十分な科学的根拠が必要です。

 

しかし、今回のデータ問題で露呈したように、霞が関の中にはデータをきちんと扱える人が少ないようです。

科学的根拠に基づく政策形成を進めるためにも、データの扱いを分かっている人をどんどん霞が関に入れていくべきではないでしょうか。

短期的には、外部のシンクタンクへの調査委託を積極的に進めるべきでしょうし、中長期的には霞が関の“中に”データに詳しい人を入れていくべきです。

例えば、イギリスでは「政府エコノミスト」と呼ばれる社会科学の専門家が国家公務員としてイギリス政府内で常勤で働いています[4]

また、科学的根拠に基づいた政策形成を推進する動きは他にも米国などでもみられます。

これらの動きは、ほとんどの場合、トップダウンの形で進められてきました。

日本も、今回の問題を反面教師として、データの専門家を積極的に政策形成の現場に入れていくべきです。

 

[1] 2018年2月14日 東京新聞夕刊 www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201802/CK2018021402000260.html

[2] 2018年2月21日 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20180222/k00/00m/040/132000c

[3] 2018年2月19日 朝日新聞 https://www.asahi.com/articles/ASL2K049GL2JULFA033.html

[4] 詳しくは https://www.rieti.go.jp/jp/events/17121901/pdf/1-1_uchiyama.pdf や https://www.rieti.go.jp/jp/events/17121901/summary.html 参照

「君の名は。」CM論

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出典:www.tv-asahi.co.jp/kiminona/#/?category=anime

先ほど、地上波で初めて「君の名は。」が放送されました。

2016年に公開され、大ヒット。興行収入は250億円に上り、歴代4位、日本映画に限定すれば史上2位の好成績を収めた映画です。

劇場で見た方も多かったと思います。

 

さて、これを地上波初放送。しかも、1月3日という正月三が日のうちにということですから、これが高視聴率を叩き出さないはずがありません。

各社はCMに相当力を入れていました。

 

例えば、Z会新海誠監督を起用して、CMを作成。「君の名は。」の世界観そのままのCMが流れ、「CMなのか本編なのか」分からなくなった人も少なくなかったようです。

 

www.zkai.co.jp

 

 

また、ソフトバンクも「君の名は。」対応のCMを放映しました。

 

さて、このように各社が相当力を上げてCMプロモーションを展開してきて、これ自体は、さして驚きではなかったのですが、このCMには少し驚きました。

 

 

 

このCMに登場しているのは、「君の名は。」で主人公のひとり・宮水三葉を演じた上白石萌音さん。しかも、設定も田舎の高校生で、「君の名は。」の世界観そのままです。

思わず見入ってしまったという方も多かったと思います。

このCMのテーマは「society 5.0」。意味としては、今後、IoTやAIの技術革新によって起こる第4次産業革命後の社会を指す言葉ですが、いまいち通常のCMのようなメッセージが分かりません。この商品がいいだとか、この企業ブランドのイメージを上げようといった趣旨は見えてきません。

実はこのCM、普通の民間企業が提供しているものではなく、政府が提供している「政府広報」なんです。

政府広報」というと、あまり聞きなれないかもしれませんが、新聞広告やポスター、ネット上にアップされる動画など様々な媒体で、政府からのお知らせを発信しています。

ただ、今どき新聞広告を出しても、新聞購読者層が高齢者だったり、ネットで動画をアップしたとしてもアクセス数につながらなかったりと、いまいち広告効果としては微妙な印象です。実際、「最近の政府広報で、どんなことが発信されているか知っていますか?」と質問したところで誰も答えられないでしょう。

(無駄に広告費用だけかかっている状態とも言えそうです。)

 

そんな政府広報が、「君の名は。」の地上波初放送という視聴率が高そうなところに、上白石萌音を起用した政府広報を流すというのは、今まであまり見られなかった手法で、相当にマーケティングとしてうまいと思います。

また、特にsociety5.0という言葉は若い世代に知ってもらいたかった言葉でもあると思うので、適切にターゲットにリーチする可能性は高いでしょう。

(テレビ放送後に、twitterのプロモーションでも、こちらの動画が流れてきました。SNSでも展開し、リーチを確実なものにしようとする意図が見えてきます。)

実際、このCMのテーマである「society 5.0」はtwitterのトレンド入りを果たしています。

 

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2017年1月4日23:30頃の東京のトレンド



一定の広告効果があったと言えそうです。

 

政府広報は、啓発事業として重要なものではありますが、その費用対効果が見えにくく難しい事業でもあります。しかし、今回、一般の大手企業のようなプロモーション活動を行って、一定の成果を上げたというのは大変興味深い例になったと言えます。

 

「エビデンス」のひとり歩き

あけましておめでとうございます。翠光です。

旧年中はお世話になりました。本年も何卒よろしくお願いいたします。

さて、昨日宣言した通り、今年はコンスタントに投稿をしていきたいと思いますので、早速元日から記事をアップします。

 

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出典:pr.nikkei.com/campaign_event/2017_sangokushi/

今回のテーマは「エビデンス」。

最近、よく耳にする機会が増えたという方もいらっしゃるのではないでしょうか?

ここ数日の間にも、某新聞社の方の「エビデンス? ねーよそんなもん」という言葉が話題になっていました。

www.nikkan-gendai.com

 

実は昨年は、この「エビデンス」という言葉が政策立案の観点から結構、注目された年でもあったんです。

 

ことのはじまりは昨年2月、官邸に「統計改革推進会議」が設置されたことです。

この会議はGDP統計など国の政策のもととなる各種統計の改革等について検討された会議です。この統計改革推進会議がとりまとめた報告書の中で強調されたのが「EBPM推進体制の構築」でした。

EBPM」とは「Evidence based policy making」の略で「エビデンスに基づく政策立案」「エビデンスに基づく政策形成」と訳されます。

つまり、EBPMとはエビデンス(科学的・客観的な証拠)を判断材料として、ある政策案が効果的かどうかを検討しながら政策立案(政策形成)をしていこうという動きのことです。実際の最終とりまとめでは「エビデンス」を「証拠」と訳して「証拠に基づく政策立案」と表記されています。

 

このEBPMを推進していくために具体策として各府省内に新たに「EBPM推進統括官(仮称)」を設置することが決まり、この統括官らがEBPM推進を担うこととなりました[1]。また、まずはやってみようということで、11月には秋の行政事業レビューでは、EBPMを意識した行政事業評価が試験的に行われました[2]

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出典:https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS13H15_T11C15A1AM1000/

このようにEBPMが注目されるようになった背景には、いくつか理由があります。

まずは、諸外国におけるEBPMの普及です。

特にイギリスやアメリカでは、EBPMが積極的に進められており、政権によって温度差はありますが、EBPMの担い手として経済学の専門家を政府スタッフとして登用したり、予算編成の際に高いレベルのエビデンスを要求したりするそうです。

 

また、日本特有の事情としては財政制約の高まりが挙げられます。

ご存知のように日本は多額の公的債務を抱えており、来年度予算でも歳入のうち約3分の1は国債の新規発行によって賄われるような状況です。一方で高齢化の進展にともない社会保障費は増加の一途をたどっています。

そのような状況下では「いかに費用を抑えながら、高い効果のある政策を実行していくのか」という視点が求められるようになっていきます。

このような文脈において、経験や思い込みによる不確実性の高い政策立案ではなく、しっかりと科学的・客観的な証拠に基づいた政策立案が必要ということで、EBPMが注目されるようになってきました。

 

以上ような理由でEBPMが注目されているわけですが、ここで一つ疑問が出てきます。

今になって「エビデンスが大事」と言われていますが、今までは「エビデンスに基づく政策立案」が行われていなかったのでしょうか。

実際、従来から政策立案を担ってきた霞が関の中の人たちに言わせれば「昔からエビデンスに基づいた政策立案を行ってきたのに、なにを今さら」という意見も少なくないようです。

確かに、ある政策を新たに始めようと思ったら、行政組織内部でも相当、慎重な検討がなされますし、それが終わっても国会で取り上げられるわけですから、一切の根拠なしに政策立案ができるわけがありません。

では、従来の政策立案と今、叫ばれているEBPMは何が違うのでしょうか。

 

一言でいえば、「エビデンス」という言葉の定義の違いです。

 

先ほどから、「エビデンス」という言葉は「根拠」や「科学的・客観的な証拠」と訳しています。日本語で「証拠」と言えば、専門家の意見などの文章情報から統計やアンケート調査のようなデータなど広い意味で使われます。しかし、EBPMの文脈で言われる「エビデンス」は、このような広い意味ではなく、データを駆使し科学的な手法によってまとめられた極めて客観性の高い、いわば証拠能力の高い証拠のことを指します。

つまり、「エビデンス」と一言で言っても、その証拠能力にはレベルがあるのです。

 

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出典:三菱UFJリサーチ&コンサルティング資料(www.murc.jp/thinktank/rc/politics/politics_detail/seiken_160212.pdf)より


 

この図は、エビデンスのレベルをまとめたもので、上位に位置するほど証拠能力の高い証拠(EBPMで求められるエビデンス)と言えます。

これを見てみると、専門家の意見などは相当レベルの低いエビデンスとされています。また、省庁の資料でよく使われる比較研究(ある政策を実施した地域とそうでない地域の比較や、ある政策を実施した前後での比較)や相関研究(指標間の相関関係をしらべたもの、相関関係があっても因果関係があるとは限らない)も、エビデンスレベルとしては低いものです。

つまり、今まで政策立案で使われてきた「エビデンス」は、EBPMでいうところの「エビデンス」とは似ても似つかない「質の低いエビデンス」というわけです。

 

一方、EBPMの文脈で言われる「エビデンス」とは、どんなものがあるのでしょうか?

図で一番上位のエビデンスとされているのは「RCTのメタアナリシス、系統的レビュー」です。RCTとはランダム化比較試験の略で、社会実験と捉えてもらえれば、ひとまず大丈夫です。メタアナリシスとは、複数の分析をまとめ、さらに検証を加えたものです。つまり、エビデンスレベルが最も高いエビデンスとは複数の社会実験をまとめたものです。

確かに、いくつもの社会実験で「この政策は効果がある」とされているのであれば、積極的に政策に取り入れてもよさそうです。

 

このように、エビデンス」という言葉は、日常的には広い意味で使われていますが、実際にはレベルがあり、「質の高いエビデンス」と「質の低いエビデンス」とがあるのです。

ここを意識しなければ、「EBPM?もう、うちはエビデンスに基づいて政策立案しているから、大丈夫だよ」と言いながら、質の低いエビデンスに基づき、政策効果もない、コストだけ大きい“意味のない政策”を続けてしまいかねないのです。

 

EBPMは、今後の日本社会にとって大切な取り組みとなっていくのは間違いないことだと思います。そのためにも多くの方に「エビデンス」という言葉を知っていただくこともいいことだと思います。しかし、一方で「エビデンス=証拠」と捉え、本来のEBPMとは違う“なんちゃってEBPM”がまかり通るようになってしまっては元も子もありません。

 

各方面で既に指摘されていますが、日本におけるEBPMは諸外国と比べ大きく遅れを取っています。しかし、日本こそEBPMが重要視されなければならない状況にあります。「エビデンス」という言葉を正確に理解し、EBPMが推進されていく。そんな2018年になることを願っています。

 

[1] https://www.kantei.go.jp/jp/singi/toukeikaikaku/pdf/saishu_gaiyou.pdf

[2] http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/gyoukaku/H27_review/H29_fall_open_review/1.pdf