埋木帖

政策をテーマにエッセイをつらつら書きます

19歳が選挙に行かないのは19歳のせいなのか?

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18歳選挙権を宣伝するためのポスター、学校を中心に配られたそうですが、一部では広瀬すずさん目的で盗まれたこともあるとかないとか

 低い19歳の投票率

先日の衆院選は、選挙権年齢の引き下げ(18歳選挙権)が行われてから2回目の国政選挙でした。総務省は、24日に18歳、19歳の投票率を速報値として発表しました。

 

www3.nhk.or.jp

 

これによると、18歳の投票率は50.74%、19歳の投票率は32.34%、10代全体では42.51%にとどまったとのことです。

全体の投票率は53.68%だったので、これと比較すると18歳は遜色ない結果ですが、19歳の落ち込み方が目につきます。また、昨年の参院選でも18歳は51.28%であったのに対し、19歳は42.30%で19歳の投票率が低い傾向は同じです。

この時の19歳の低投票率について、読売新聞は

高校などで主権者教育を受ける機会の多い18歳と、大学生や社会人が多い19歳で、差がある傾向が明らかになった。

 

2016年7月11日 読売オンライン

http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2016/news/20160711-OYT1T50218.html

として、主権者教育の有無が投票率を分けたのではないかと分析しています。

しかし、主権者教育を行えば投票率が高くなり、行わなければ投票率が低くなるなら、突然の解散総選挙となり主権者教育を昨年並みに行えなかった18歳の投票率も相当程度下がるはずです。しかし、実際には約50%とほぼ同じ水準をキープしています。

 

昨年投票したうちの4割が棄権した

また、何よりも考えるべきはコーホート(世代)での結果です。

昨年の参院選は2016年7月10日に行われましたが、今回の衆院選はその約1年3か月後の2017年10月22日に行われました。

つまり、昨年18歳で投票した若者のほとんどが、今年は19歳となって投票したわけです。

このことは、昨年の参院選の18歳の投票率と今年の衆院選の19歳の投票率を比較すると同一世代の人たち(この場合、1998年頃に生まれた世代)が、どの程度投票したのか見ることができることを意味します。

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このことを念頭に置いて、もう一度投票率を見てみると、昨年の18歳の投票率は51.28%、今年の19歳の投票率は32.34%と、なんと18.94ポイントも減少しています。これは、昨年の衆院選で投票した人のうち、約37%が今年は投票に行かなかったことになります。

 

この落ち込み方は、やや異常です。

 

確かに19歳になった彼・彼女らは大学進学や就職など18歳の時と同じ水準の主権者教育を受けたわけではないでしょう。

しかし、彼・彼女らは昨年の“はじめての18歳選挙権”を経験した世代、つまり相当の啓発活動が行われ、それを受けた世代です。

主権者教育の効果が1年ももたないという可能性はありますが、それでも昨年投票したうちの4割近くが棄権したことの説明としては、やや説得力に欠けます。

 

これは、彼・彼女ら自身の問題等より、制度的な問題と考えたほうが自然です。

 

最有力仮説は「住民票」か?

では、19歳が低投票率になる制度的問題とは何でしょうか?

4割近くが投票しなかったことの説明として有力なのは、やはり「住民票」の問題でしょう。

18歳なら、多くの場合、まだ高校に在学し、親元で暮らしているでしょう。しかし、19歳だと大学等への進学や就職で親元を離れるケースが少なくないはずです。

この時、住民票を下宿に移さず、親元に残したままにするケースが多いです。この理由としては、手続きの煩雑さや社会保険料の支払いなど様々な要因が考えられます。

私も地方から東京の大学に進学し、下宿していますが、下宿探しの時に不動産業者に「住民票を移すべきか」と聞いたときは「大学生だと、ほとんどの人が移さないですね」と言われた経験があります。

そして、選挙は住民票のある自治体で行うのが原則です。夏休みなどの長期休暇中の選挙なら、帰省して投票ということもありえるでしょうが、10月のような学期中だと、選挙のためだけに帰省するとは考えにくいです。

 

では、データを見ながら、少し検証していきましょう。

下表は、昨年の参院選における18,19歳の投票率都道府県ごとに見たものです。

 

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減少率で色付けされていのは平均よりも減少率が小さい、つまり18歳と比較して19歳も投票した人が多い地域です。これを見てみると、首都圏(埼玉・千葉・東京・神奈川)、名古屋圏(岐阜・愛知・三重)、関西圏(滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山)などの大学が集中している地域および自宅からの通学が可能な地域の減少率は低く抑えられています。

また、自県進学率(出身高校と入学先の大学が同一都道府県にある入学者の比率、平成28年学校基本調査)が高い北海道や沖縄も減少率は低い傾向にあります。

 

出来れば、ここで都道府県ごとに自県進学率と減少率で散布図を作ったり、回帰分析をしたりしたいところですが、大都市圏の越県通学が多いせいか、自県進学率と減少率が思うように関係が見出しにくいです。(いいデータないでしょうか?)

 

しかし、この地域性を見るだけでも、住民票は有力な仮説とは言えそうです。

もちろん、本来は、公共サービスをきちんと受けられるようにするためにも住民票は下宿先に移すべきですし、そうでなくても不在者投票制度などはあります。

しかし、社会保険料の支払いが大きくなったり、下宿先からの不在者投票制度の利用について選管ごとに判断がまちまちだったりするため、現状のままでは19歳の低投票率は改善しにくいでしょう。

 

www.asahi.com

 

今回、唐突な解散総選挙でしたが、2年連続の国政選挙となり、その結果、同じコーホートで1歳の差にも関わらず4割近くが棄権したという事実が白日のもとにさらされました。

(国政選挙は、衆院選だとバラバラ、参院選でも3年ごとで比較がしにくいうえ、20歳以上は細かくても5歳ごとしか年代別投票率が公開されておらず、今回のように1歳ごとの差がデータとして出ることは相当、貴重です。)

もう少し、慎重な検証が必要ですが、住民票が理由で低投票率が起こっているなら、なんらかの制度的対応が必要でしょう。

投票率の問題は、若者のせいだけでは語れないのですから。

 

参考

総務省「第24回 参議院議員通常選挙 発表資料」

http://www.soumu.go.jp/senkyo/24sansokuhou/

文部科学省「学校基本調査」

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kihon/1267995.htm

 

画像出典

https://mainichi.jp/senkyo/articles/20160619/k00/00m/010/025000c

 

「民意」なんて存在しない ~選挙のあとに考える選挙~

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今回の衆院選のポスター。ちなみに、先の参院選広瀬すずちゃんでしたね


昨日10月23日に衆議院議員総選挙衆院選)の投開票が行われました。

今、本投稿を書き始めた時点で、まだ4議席ほど未確定ですが、自公が300議席を上回り大勝しました。

 

小選挙区制だから自民が圧勝する

さて、選挙があるたびに言われるのが「選挙結果は民意を反映していないのではないか」という主張です。

例えば、今回の投票率は53.68%で戦後2番目の低さとなりました

(なお、前回が戦後最低の52.66%です)。

 

www3.nhk.or.jp

また、大勝した自民党ですが比例の得票率を見てみますと、各ブロック29~39%にとどまっています。単純に考えれば有権者全体のうちの自民党得票率は15.6~20.9%(=投票率53.68%×比例得票率29~39%)となり、有権者の2割ほどの支持しか得られていないことになります。しかし、衆議院465議席のうち283議席と60.9%を占めています

 

このような実際の得票率と議席配分の間の大きな差は衆議院465議席のうち約62%の289議席を占める「小選挙区」の性質からくるものです。各選挙区からトップの1人を選ぶ小選挙区制は、各選挙区の多数派の意見を実態より大きく見せてしまいます。

 

例えば、全体でA党支持者50人、B党支持者40人、C党支持者30人の計120人の有権者からなる地域を考えましょう。この地域の議会の議席配分を住民の意見をきれいに反映させるなら、A:B:C=5:4:3になるとよいでしょう。しかし、この地域をそれぞれA党5人、B党4人、C党3人の12人の有権者からなる10小選挙区に分けたらどうなるでしょう。結果は言わずもがな、どの選挙区も最大多数派のA党が勝ち、10の小選挙区すべてでA党が勝ち、A党で議席の100%を占めてしまいます。

 

これは極端な例ではありますが、小選挙区(言い換えれば「多数決」)とは、このように「一番の多数派の意見を実態よりも大きく見せてしまう」という性質を持っているのです。

したがって、現在の選挙制度のもとでは、いくら圧勝したからと言って圧倒的な「民意」で支えられたことを意味しません。

 

民意なんて存在しない!?-マルケヴィッチの反例-

さて、ここまで民意、民意と「民意」すなわち、「ひとつの決まった国民の意見」が存在しているという前提で話を進めてきました。

しかし、性別も年齢も住む場所も何から何まで異なる1億2千万人の意見が一つの決まったものになる訳がありません。

そもそも、「民意」なんてものは存在するのでしょうか?

それを考える面白い例があります。「マルケヴィッチの反例」です。

(以下、坂井2015を参考に話を進めていきます)

 

まずは、下の表を見てください。

 

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これは、A~Eの候補を有権者55人がどのような順番で支持しているかを表したものです。

例えば、いちばん左の列は1番にA候補を支持し、2番目にD候補、3番目にE候補、4番目にC候補、5番目にB候補を支持している有権者が18人いることを表しています。

では、この選挙区で誰をA、B、C、D、Eの誰を当選させることが「民意」を表したことになるのでしょうか?

 

まず、現在の小選挙区制、つまり多数決で決めるとどうなるでしょう。

多数決では、最も支持する人を各有権者が一人選ぶものです。したがって、左から、A候補に18人、B候補に12人、C候補に10人、D候補に9人、E候補に4+2=6人が1票を投じることになり、A候補が当選します。

 

しかし、決め方は、なにも多数決だけではありません。

フランスの大統領選挙や自民党の総裁選で使われている「決選投票付き多数決」という決め方があります。これは、通常の多数決で上位2人を決めたうえで、2人のみで、また多数決を行うという方法です。

先ほど見た通り、まず多数決をするとA候補18票、B候補12票、C候補10票、D候補9票、E候補6票を獲得するので、上位2名であるA候補とB候補で決選投票を行います。

ここで、問題となるのは、1回目の投票でA、Bを選ばなかった人たちが、どちらに票を入れるかということです。今回の場合、18人がA候補を一番に支持している以外は、全員A候補を一番嫌っています。そのため、1回目の投票でC、D、Eの候補に入れていた人たち(25人)は全員、決選投票で、マシなB候補に1票を入れます。その結果、A候補18票、B候補12+25=37票で、B候補が当選します。

そう、最初の多数決の結果と違う結果となりました。

 

もっと見ていきましょう。「繰り返し最下位消去ルール」という決め方もあります。

これは、まず多数決を行い、最下位になった選択肢を消去し、そのうえでまた多数決を行う。そこで最下位になった選択肢をまた消し、また多数決を行うという方法です。面倒な方法ですが、IOC国際オリンピック委員会)で、オリンピック主催地を選ぶ決め方は、この方法です。

(2020年の東京五輪が決まった時は、東京・イスタンブールマドリードの3つの候補があり、最初の投票でマドリードが落ち、イスタンブールと東京で争い、結果東京に決まった、ということを覚えている方も多いのではないでしょうか)

では、この「繰り返し最下位消去ルール」で、この選挙区は誰を選ぶのでしょうか?

まず、1回目の投票で、最も支持を集めていなかったE候補が落選します。

1位指名でE候補を選んだ支持者は、2位指名でB候補、C候補を選ぶ人たちが、それぞれ4人、2人いるので、B候補は1位指名の12に加える形で16票を獲得、C候補も同様に10+2で12票を獲得します。その結果、2回目の投票ではA候補18票、B候補16票、C候補12票、D候補9票で、D候補が落選します。

 

(これを繰り返すので面倒な方は読み飛ばしてください)

次に3回目の投票では、2回目の投票で落ちたD候補を支持していた9人が2位のC候補に流れます。そのため、A候補18票、B候補16票、C候補21票となり、今度はB候補が落選します。3回目の投票でB候補に入れていた人たちは、1位指名でB候補を支持していた12名、1位にE候補、2位にB候補を支持していた4名の2種類いますが、どちらもA候補を最も嫌っているので(どちらの派閥もA候補が5位)C候補に流れます。

 

(読み飛ばした方、ここから)

その結果、A候補18票、C候補37票でC候補が当選します。

 

また、D候補を当選させる決め方として「ボルダ・ルール」があります。

これは、各候補にポイントを与え、その合計ポイントが最も高い人を選ぶ方法です。

この場合、1位=5p、2位=4p、3位=3p、4位=2p、5位=1pを与えましょう。

さて、今回の場合は、A候補は18人から1位、残り37人からは5位の支持を受けているので、(5p×18)+(1p×37)で127p(=90+37)となります。

同様にB候補は、(5p×12)+(4p×14)+(2p×11)+(1p×18)で156p

C候補は、(5p×10)+(4p×11)+(2p×34)で162p。

D候補は(5p×9)+(4p×18)+(3p×18)+(2p×10)で191p。

E候補は(5p×6)+(4p×12)+(3p×37)で189p。

まとめると、A候補127、B候補156、C候補162、D候補191、E候補189でD候補が当選します。

 

また、E候補が当選する決め方として「コンドルセ・ヤングの最尤法」という決め方もあります。(統計的な計算で私も理解できませんので説明はしません)

 

このように、決め方によっては、どの候補を選ぶ可能性があり、いずれの決め方も筋が通っているので「この結果が民意だ」と言うのは難しいです。もはや、民意なんてものが存在するのかと疑いたくなります。

ただ、このマルケヴィッチの反例から言えることは、ある決め方によって出た結果が必ずしも民意を表すわけではないということです。どのような選挙結果であっても、当選した方々には、絶えず国民の声に耳を傾ける努力をしてほしいと思います。

「必ずしも自分は民意の負託をうけたとは限らない」と謙虚に、謙虚に。

 

参考文献

坂井豊貴(2015)「多数決を疑う 社会的選択理論とは何か」岩波新書

※今回紹介したマルケヴィッチの反例は「第2章 代替案を絞り込む」の「3 さまざまな集約ルール」を参考にしました。個人的に選挙を考えるうえで大変参考になる本なので、一度読まれることを強くお勧めします。

 

画像出典:http://www.soumu.go.jp/2017senkyo/gallery/

 

衆院解散の大義「消費増税分の使途変更」って何?

 

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ご無沙汰しております。

ここしばらく忙しかったため、更新をしておりませんでした。

(このへんの事情についても、本ブログの趣旨に近いものがあるので、近いうちにご紹介したいと思います)

ただ、アクセス数を見ると、小さな数ながら毎日誰かにアクセスしていただいていたようです。

おそらく、分からないことがあり、ググった方にアクセスしていたようです。

「今後も、ちょっと丁寧な政策論をご紹介していきたい」と決意を新たにしたところです。

また、よろしくお願いします。

 

 

 

さて、いつの間にか永田町では解散風が吹きはじめ、本日冒頭解散となりました。

「なぜ、このタイミングに解散なのか」「大義がない」「解散権の乱用だ」と各種マスコミや野党から批判されています。

www3.nhk.or.jp

 

安倍首相の主張は「消費増税分の使途変更」について国民の信を問うということらしいです。

しかし、そもそも、この「消費増税分の使途変更」とは、どういうことなのでしょうか?

今回は、安倍さんのロジックに乗って議論を進めてみましょう。

 

これまでの政府の主張:税と社会保障の一体改革

まず、「消費増税分の使途変更」について見ていく前に、日本財政の現状を抑えておきましょう。

ご存知のように、日本は多額の借金(国債)を抱えています。

今年度末には、債務残高は865兆円になる見込みで、これは単年度税収の約15年分に相当します。

しかも、この債務残高は増える一方です。

 

財政規律の指標の一つに基礎的財政収支プライマリーバランス、PB)があります。

これは、国債以外の収支を表す指標です。

例えば、

・収入100万円のうち、50%(50万円)を借入金(借金)で調達し、

・支出100万のうち、25%(25万円)を借金の返済に充てた

・・・としましょう。

このとき、借金にかかわる項目(収入の借入金、支出の返済分)以外の収支は、

・収入が50万円(=100万-50万)、

・支出が75万円(=100万-25万)

・・・になります。

つまり、支出のほうが25万円多い赤字となります。

まあ、借金は返しているけど、返済額以上に借りているから当たり前といえば当たり前です。

この状況、つまりPBの赤字は、債務の増加を意味します。

これでは、債務残高はどんどん増えていくだけです。これでは、いつか限界が来ます。

したがって、PBが赤字なら、債務残高が増加し、逆にPBが黒字なら、借入額以上に借金を返済するので、債務残高は減少します

そのため、政府は2020年までにPBの黒字化を財政目標としてきました。

 

さて、「PBの黒字化を目標としていた」ということは、裏を返せば、「現状、PBは赤字」、つまり、債務残高がどんどん増加するという状況であるということです。

実際、今年度予算を見てみても、国債以外の収入(歳入)は64.7%、国債返済以外の支出(歳出)は75.9%となっており、11.2ポイント分PB赤字となっています。

 

この状況を何とかするには、①国債以外の収入を増やす(税収を増やす)、②国債返済以外の支出を減らす(政策経費を減らす)、のどちらかをする必要があります。

いま、政府は、消費増税によって①国債以外の収入を増やす(税収を増やす)ことを進めようとしているのです。

 

しかし、これには問題があります。

それは、「国民の負担感が強くなる」ことです。

これまで、本来、現役世代の税収によって賄うべきだった公共サービスは、国債という、いわば将来世代の負担によって賄ってきました。

より意地悪い言い方をすれば、将来世代に負担を押し付け、現役世代は負担をせず、利益だけを享受していたことになります。もちろん、これは「タダ乗り」ですから、現役世代にとっては最高の方法です。

しかし、ここで消費増税を行い、今まで将来世代の負担で賄っていた分を自分たちで負担することになりました。すると、今まで負担していなかった分を負担することになるので、当たり前ですが負担感が増えます。しかも、増税分が何らかの公共サービスとして還元されるのであればまだしも、還元されずに、将来世代の負担軽減に使われるのみです。つまり、負担しか発生しないのです。

(まあ、本来、自分たちの受益ですから、自分たちで負担するのが当たり前ですし、その状態に戻っただけですが)

 

これでは、なかなか政治的には合意できません。

そこで、ときの政府は、消費増税分のすべてを将来世代の負担軽減に使うのではなく、その一部を「社会保障の充実」という形で国民に還元し、増税のメリットを感じてもらおうとしたのです。

これが、先の「税と社会保障の一体改革」の概要です。

 

ただ、ほとんどの方は「社会保障の充実」を実感してはいないでしょう。

それもそのはずで、行われた社会保障の充実策というのは、国民全体にメリットがあるものというよりは、「困っている人を支援する」ためのものでした。

代表的な政策が、厚生年金に入ることができる条件を緩和したことです。これにより、今まで定額の基礎年金しかもらえなかった人でも厚生年金に加入することができ、年金受給額が増えることになりました。

この政策は、前々から「必要だ」と言われていた政策なので、素直に評価すべき政策だとは思いますが、やはり、この政策の利益を享受できるのは、国民全体から見れば一部になります。

 

政府としては、「消費増税によって、社会保障を充実して、国民にメリットを感じてもらいながらも、将来世代の負担軽減をしようとした」のですが、ほとんどの人にとっては、「単なる負担の増加」に終わってしまった、ということでしょう。

 

野党や財政楽観論者の主張

政府のざっくりとした考え方は、上記の通りですが、これに異を唱える人も少なくありません。野党や「日本の財政は大丈夫だ」と主張する方々(ここでは、財政楽観論者としましょう)です。

2014年4月に消費増税の第一弾として、消費税が5%から8%に引き上げられました。

これ以降、間違いなく家庭の消費は落ち込んでいます。

これを受け、野党を中心に「10%への消費増税を見送るべきだ」という主張が聞かれます。

(このあたりの議論は、以前、本ブログで書いていますので、そちらをご覧ください)

 

また、財政楽観論者からは、「国債を返済する必要はない、より積極的な財政政策を展開すべきだ」という主張も聞かれます。

彼らとしては、まず今、困っている人たちを助けるために、消費増税を凍結したり、積極的な財政政策を展開したりすべきだと考えているようです。

では、具体的な財政政策とは何でしょうか?よく言われるのが、教育への投資です。

 

今まで、財政政策というと道路整備やダム建設のような公共事業がイメージされていました。しかし、最近では、教育、特に幼児教育(3~5歳児)や高等教育(大学、短大、専門学校など)へ投資をすべきだという主張が増えてきました。

なぜ、最近になって、教育投資の重要性が訴えられるようになってきたのかというと、①日本の教育への公的投資が少ない、②教育投資は投資効果が高い(リターンが大きい)という2つの理由が考えられます。

 

まず、①日本の教育への公的投資が少ないというとは、以前からよく言われていた話ではあります。先日発表されたOECD経済協力開発機構)の統計によれば、日本の教育への公的投資は最下位でした。

www.jiji.com

 

このような状況の中、格差是正などを理由に教育への公的支出を増やすべきだという主張が増えてきたわけです。

 

教育の機会均等という意味では、①の理由はとても重要ですが、政策上より重要視されているのは、むしろ②教育投資は投資効果が高い(リターンが大きい)ということでしょう。

 

どのような教育を、いつ提供するかにとって、投資効果は変化しますが、例えば、幼児教育の投資効果を測った実験として有名な「ペリー就学前プログラム」では、1ドルの費用に対し、17.07ドルの便益があったと計算されています。

ただし、この「ペリー就学前プログラム」は50年以上前にアメリカの貧困地域に住む子どもたちを対象とした社会実験であり、現代日本のようにほとんどの子供たちが何らかの幼保サービスを受けている社会でも、これだけ高い投資効果があるかといえば、そうではないでしょうから、多少差し引いて考える必要はあります。

ただ、多くの人が積極的に教育投資を増やすべきだと考える根拠になっているのは間違いありません。

 

このような理由から、教育の重要性が強調され、先の内閣改造でも「人づくり革命」と題して、積極的な政策転換がされようとしています。

 

ただ、問題はその財源です。

財政楽観論者からは国債発行によって賄うべきだという話や、自民党内からも「こども保険」として、社会保険方式での徴収も案として出ています。

ただ、特に国債発行による財源調達については、さらなる国債の増発を招くとして慎重論も多く出ています。

 

では、「消費増税分の使途変更」とは?

さて、では、いよいよ今回の本丸である安倍首相の主張している「消費増税分の使途変更」とは、どういうことでしょうか。

簡単に言ってしまえば、従来の政府の考え方と財政楽観論者の考え方の間をとった案です。

 

確認しますと、従来の政府の考え方としては、国債発行によって支出を賄っている状況から、税で支出を賄う状況にするため、消費増税を行うという話でした。

一方、財政楽観論者からは、財政問題はたいしたことはないし、消費増税すれば景気に響くから止めるべき。そうではなく、投資効果の高い教育へ積極的に公的支出をすべしという話でした。

 

そこで、安倍さんとしては、教育への公的支出の拡大を、まず進めることにしました。

しかし、その財源を国債で調達するのは、従来の政府の考え方から大きく逸脱してしまいます。そこで、予定されていた消費増税分、つまり借金から税で賄おうとしていた部分の一部を教育財源に充てることで、双方から理解が得られるようにしたわけです。

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出典:

安倍首相 教育・子育てへ2兆円 消費増税分の使途変更表明 (1/2ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)

 

このように見ていくと、今回の「消費増税分の使途変更」が一種の妥協案であることが分かります。

 

この政策変更、間違いなく、教育への公的支出を増やす効果があるでしょうし、それによって助かる人がいるのは間違いない話でしょう。

しかし、決してうまい話ばかりではありません。

 

冒頭、従来の政府の考え方を紹介したときにも説明したように、もともとの消費増税は「今まで将来世代の負担で賄っていた分を自分たちで負担すること」を目的としたものです。しかし、今回の政策変更によって、間違いなく、自分たちで負担しようとしていた分を、また将来世代に押し付けることになります。また、政府が掲げていた2020年までのPB黒字化目標も見送ることになるので、さらにその分、将来への負担となります。

 

日本の財政の持続可能性について検証した慶應義塾大学教授土居丈朗氏の論文によれば、財政再建のための増税を先送りすればするほど、財政の持続可能性を確保するには、将来に過重な負担を押し付けることになると紹介しています。

既に、8%から10%への消費税率引き上げの先送りは2回されており、状況はさらに深刻化しています。私たち自身の利益を重視するか、子どもたちや孫たちの利益を重視するのか。

この選挙は、私たちに利己的になるか、利他的になるかを選ばせる側面もあるのです。

 

参考文献

Schweinhart, L. J.; Montie, J.; Barnett, W. S.; Belfield, C. R. and Nores, N., 2005.  Lifetime Effects: The High/Scope Perry Preschool Study through Age 40. Ypsilanti, Mich., High/Scope Press.

財務省(2017)「日本の財政関係資料(平成29年4月)」

土居丈朗(2008)、「政府債務の持続可能性を担保する今後の財政運営のあり方に関するシミュレーション分析 ―Broda and Weinstein 論文の再検証―」、『三田学会雑誌』100巻4号(2008年1月)、pp.1015(131)-1044(160)、慶應義塾経済学会。

 

画像出典:https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS28H0W_Y7A920C1000000/

 

児童扶養手当2か月ごと支給の意味

先日、このような報道を見つけました。

 

児童扶養手当、2カ月ごとに 支給時期細分化へ(2017年8月14日付 中日新聞

www.chunichi.co.jp

 

低所得のひとり親家庭向けの児童扶養手当について、厚生労働省は十三日、支給方法を見直す方針を決めた。現在は四カ月ごとにまとめて支給しているが、二カ月ごとにすることを検討している。

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つまり、4か月分をまとめ支給していたものを、2か月分のまとめ支給にする、いわば、それ“だけ”の制度変更です。

イメージ図にもあるように支給総額が増えるわけでもありません。

この制度変更に一体どんな意味があるのでしょうか?

 

社会保障の「まとめ支給」問題

児童扶養手当は主にひとり親世帯向けの社会福祉給付の一つです。児童扶養手当は、親の収入によって支給額が変化しますが、子どもが一人の場合、1か月ごとに1~4万円ほど支給されます。

では、児童扶養手当は一般的な給与振り込みのように毎月支給されるかと言えば、そうではなく、記事中でも言及されていたように、4か月に1回、4か月分をまとめて支給されます。

このような数か月分の支給額を一括して支給されることを「まとめ支給」と言い社会保障ではよくとられる手法です。

例えば、年金は2か月に1回、偶数月に2か月分まとめて支給されています。

 

多くの場合、このような社会保障給付は指定の口座に振り込まれる形をとります。

この方式だと手数料や手続きの手間が生じるため、1か月ごとではなく、このように数か月分をまとめて支給し、コストの削減を図るのです。

 

支給する側にとっては合理的な方法と言えます。

 

しかし、この「まとめ支給」、当の支給を受ける側にとっては、なかなか厄介な仕組みです。

 

よくあるケースは、支給された直後に過剰に消費してしまい、次の支給日まで生活が苦しくなってしまうことです。

例えば、8~11月分(4か月分)の児童扶養手当の支給は12月に行われます。

1月あたり4万円の支給を受けている場合、12月に16万円を一気に振り込まれます。

12月は物入りですから、12月だけで4万円より多く使ってしまうかもしれません。

そうすると、当たり前ですが、次の支給月の4月まで、4万円未満/1か月でやりくりをしなければなりません。

イメージとしては、給料日直後に使いすぎて、給料日前に厳しくなる状態に近いでしょう。

1か月のやりくりですら、大変な訳ですから、4か月分のやりくりがもっと大変なのは想像に難くないでしょう。

 

今回の支給時期を4か月から2か月にするのは、このようなやりくりの大変さを軽減する目的があるのです。

 

「計画性」の問題か

しかし、ここまでの話だけだと「そんなの計画性がないだけじゃないか」と突っ込みたくなるかもしれません。

確かに、先ほどの例でも支給月に使いすぎなければいいだけの話で、きちんと1か月ごとに1か月分を使ってやりくりをすれば、支給前でも大変な思いはしなくて済みます

前述の通り、もともと毎月支給しているとコストがかかるから、まとめ支給をしているのであって、支給時期の細分化はコスト増につながります。

「計画性のない人間のためにコストを増やす」と考えると釈然としないでしょう。

 

しかし、人間がそもそも無計画だと考えるとどうでしょうか?

例えば、今すぐに1万円もらえるのと、1年後に1万100円もらえるとしたら、どちらをあなたは選択するでしょうか?

おそらく、多くの人は、今1万円をもらいたいと考えるでしょう。

しかし、額だけ比較しても、1年後の1万100円のほうが多いわけですから、1年後に1万100円をもらった方が、明らかに合理的です。

それでもなお、私たちが目先の利益を優先してしまうのは、1年後の1万100円より、今の1万円に大きな満足を得ているからです。

 

このような、目先の利益を優先してしまう行動特性を「現在バイアス」と言い、行動経済学ではよく知られています。

この社会保障給付と現在バイアスを考える先行研究として、Stephens and Unayama (2011)があります。

この研究では、年金の制度変更を利用し、支給月とそれ以外の月の消費行動を検証しています。

前述のように、現在の年金は偶数月に2か月分まとめ支給がされています。しかし、こうなったのは1990年以降の話で、それ以前は3か月分をまとめ支給していました。

この制度変更を利用して、その前後の月ごとの消費額の変化を見てみます。

季節によって消費額の増減はあるため、その月ごとの変化は均一にはなりません。

しかし、もし、人々が合理的な消費行動をしているなら、月ごとの変化があったとしても、制度変更前後で消費の傾向は変わっていないはずです。

 

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グラフの実線が制度変更前で破線が制度変更後です。

見てみると、制度変更前後で消費の傾向が違うことが分かります。

特に、制度変更前は年金の支給月ではなかった、4,6,10月は制度変更後に消費が増えているのが分かります。

この変化は、統計的にも優位な差であり、この結果から、人々は支給月に消費を増やしていると言え、現在バイアスの存在を確認できます。

 

また、支給時期が細分化されたことにより、消費の変動も小さくなっています。

すなわち、これは支給時期細分化によって支給月前のやりくりの大変さを軽減した可能性も示唆しています。

 

このように、現在バイアスは多くの人が持っている、いわば人間の性(さが)のようなものであり、「現在バイアスがある」ことを前提として制度設計を行ったほうが良いのではないでしょうか。

そういった意味で、今回の児童扶養手当の支給時期細分化は、被支給世帯の生活を安定化させる効果が期待できます。

 

しかし、この知見が、本当に児童扶養手当にも当てはまるかは確定的ではありません。

今後、制度変更前後でどのような変化があったのか検証していくことも必要です。

 

参考文献

大竹文雄(2016)「社会保障制度に行動経済学を活かす」日本経済研究センター

https://www.jcer.or.jp/column/otake/print837.html

厚生労働省「児童手当について」

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/osirase/100526-1.html

宇南山卓(2011)「ライフサイクル・恒常所得仮説の検証とマクロ経済学の発展」社会科学研究第63巻第1号、pp.73-90.

http://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/jss/pdf/jss6301_073090.pdf

Stephens, Melvin, and Takashi Unayama (2011) "The Consumption Response to Seasonal Income: Evidence from Japanese Public Pension Benefits." American Economic Journal: Applied Economics, 3(4): 86-118.

https://www.aeaweb.org/articles?id=10.1257/app.3.4.86

「シン・ゴジラ」で学ぶ行政学 ~第5回 小塚都知事の苦悩 中央と地方自治体~

シン・ゴジラ」を通して、行政学を学ぶ本シリーズ、今回は「東京都」について見ていきます。

 

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実働部隊・地方自治

シン・ゴジラ」の劇中描写は、政府(つまり、中央)が中心でした。

しかし、一部で描写されていた他の行政組織に「地方自治体(地方公共団体)」があります。

その中心が、東京都です。

劇中では、光石研演じる小塚東京都知事が政府の対応にイライラしている描写がありましたが、あまり描かれている場面は多くありません。

しかし、ゴジラへの対応という意味では、むしろ東京都のほうが大きな役割を果たしていたと言っても過言ではないでしょう。

政府が、いわば企画立案機能を主として担うのであれば、東京都のような地方自治体が担うのは実働です。

 

災害対応のメインは自治体

我が国の、災害対応の基本を定める災害対策基本法では、第5条にこのような規定がされています。

 

第5条 市町村は(略)地域に係る防災に関する計画を作成し、及び法令に基づきこれを実施する責務を有する。

 

つまり、災害対応は市町村が実施する責務があると規定しています。

一方、都道府県は「(前略)市町村及び指定地方公共機関が処理する防災に関する事務又は業務の実施を助け、かつ、その総合調整を行う責務を有する」(同法4条)、国については、「地方公共団体、指定公共機関、指定地方公共機関等が処理する防災に関する事務又は業務の実施の推進とその総合調整」(同法3条2項)と規定されています。

つまり、メインは市町村が対応して、それを応援する形で都道府県、さらに必要なら国が出てくるという役割分担をしています。

つまり、災害対応の第一義的責任は市町村が負うことになるのです。

 

実際、災害対応の最前線で活躍する消防は市町村が管轄する業務です。

例えば、横浜市であれば「横浜市消防局」という消防組織を自前で用意しています。

また、昨今の過疎化で、市町村が単独で自前の消防組織を維持することが困難になってきている地域では、「一部事務組合」という形で、周辺の市町村と共同で消防組織を設置しています。

 

ゴジラ災害対応の東京都の役割

では、今回のゴジラへの対応は、どうだったのでしょうか?

1回目の上陸では、大田区・品川区という東京都特別区の地域に被害をもたらしました。

では、大田区や品川区の消防組織が動いたのかといえば、そうではありません。

 

実は、大田区や品川区は消防組織を持たなければならない市町村にはあたらないため、自前の消防組織を持っていません

 

同様に他の東京23区も消防組織を自前で持っていません。これは、特別区を一人前の市町村として法律上見なしてこなかったからです。

 

例えば、通常の市町村であれば、固定資産税の徴税権を持っています。

しかし、東京23区には固定資産税の徴税権はありません。徴税権は東京都が握っています。

 

近年の地方分権改革により、一昔前と比べればだいぶ東京23区も普通の市町村と同じような権能を有するようになってきましたが、通常であれば市町村が持っている権能を東京都に未だ握られています。

 

消防は、その代表例でしょう。

 

東京都の場合、東京23区の消防を担うために、「東京消防庁」という、東京都の組織が設置されており、これが東京23区の消防機能を担います。

劇中、小出恵介が「新たな避難場所の指定を乞う、どうぞ!」と発言しているシーンがありますが、小出恵介東京消防庁の職員、すなわち東京都の職員です。

このような住民の避難誘導や被災後の救援活動は、このような消防という地方自治体の組織によって担われているのです。

 

消防について、東京23区は、いわば「レアケース」でしたが、同じく災害時に地方自治体の組織として重要な役割を果たす組織に「警察」があります。

警察は、すべての都道府県で都道府県が管轄しています。

大阪府警」「福岡県警」というように、通常、その都道府県名が名前に入っています。

ただ、東京の場合は「東京都警」ではなく、「警視庁」という名前の警察組織が警察業務を担っています。

 

この警視庁のトップが、警視総監で劇中でも恩地警視総監が「現場には交通統制を徹底させます」と発言しています。このような交通整理も都道府県警、すなわち自治体の仕事です。

 

このように見ていくと、私たちの身近なところで実際に動いてくれる行政の仕事の多くが地方自治体によって担われているということが、よくわかると思います。

 

自治体を国もサポート

先ほど、災害対策基本法の条文を見たように自治体が災害対応ではメインの役割を果たしますが、国もサポートは怠りません。

たとえば、市町村で災害対応のため、人手が足りなくなると県や国から人を回します。

また、彼らは本来所属している県や国との連絡役としても機能します。

特に、連絡・調整役として派遣される職員を「リエゾン」と呼びます。

 

劇中で、リエゾンが出ていたシーンがあります。

それは、小塚都知事が自衛隊の派遣を求める際に、「治安出動」による派遣か、「防衛出動」による派遣かについて職員が言い争っていたシーンです。

象徴的なシーンなので覚えている方も多いと思います。

あの議論が行われていた場所としては、東京都庁のオペレーション・ルームですが、あの議論をしていたのは、都庁職員ではなく、各中央省庁から派遣されたリエゾンたち、つまり国家公務員です。

リエゾンは、通常、その身元が分かるように派遣元の役所名が書かれたビブスを着用していますが、劇中でもよく見ると「警察庁」とビブスに書かれています。

警察庁」は、「警視庁」などの各都道府県警を所管する中央官庁です。

このシーンの最後、リエゾンの一人が「でも、総理は渋るよな」と嘆息をついていますが、これは日ごろ首相と近い場所で仕事をしている警察庁職員ならではの発言と言えます。

 

このようなリエゾンたちが、派遣先の自治体でその業務について法令解釈に照らし合わせ判断を行ったり、派遣元との連絡調整をしたりしながら自治体の災害対応のサポートを行うのです。

 

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今回で、「シン・ゴジラ」で学ぶ行政学の最終回としたいと思います。

また、ちょうどいい題材が見つかったら随時更新します。

 

画像出典:http://imagenavi.jp/search/detail.asp?id=10018543

「シンゴジラ」で学ぶ行政学 ~第4回 描かれざる“泉ちゃん”の活躍「事前審査制」~

シン・ゴジラ」を通して、行政学を学ぶ本シリーズ、今回は「まずは君が落ち着け」で一躍人気者になった「泉ちゃん」こと、泉修一保守第一党政調副会長(演・松尾諭)を通して、日本の政治・行政の最大の特徴ともいえる「事前審査」を学びます。

 

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ゴジラ対策にも法律の裏付けが必要

劇中で描かれた巨災対自衛隊の働きは、まさに「政策の実施」に他なりません。

後半になると、民有の高層ビルを破壊したり、車両を爆弾代わりに使ったりとだいぶ無茶なことはしていますが、いずれも法律による裏付けがあったはずです。

 

行政が行うことは、すべて法律による規定、またはその解釈によって妥当な範囲で行われます。これが「法律による行政」という近代官僚制の原則です。

 

なぜ、行政の行動に法律の裏付けが必要なのでしょうか。

ポイントは、「民主的正統性」です。

例えば、政治家の場合は、選挙に立候補して、当選しなければ政治家にはなれません。つまり、国民の代表としてふさわしいかを、国民自身が選択しています。

しかし、公務員の場合は、公務員試験を通れば公務員になれます。この採用について、国民がその人が公務員になるにふさわしいかと判断することはありません。

このように試験のみで公務員の登用を決める仕組みを「資格任用制」と言いますが、資格任用制による登用では公務員の民主的正統性は確保されないのです。

しかし、公務員は政策の立案、実施など国民生活に関わる重要な業務を行いますから、なんとかして公務員を民主的にコントロールしなければなりません。

そのための方法の一つが、この「法律による行政」なのです。

法律は、立法機関(国会)で決定されます。

この立法機関の構成員は、民主的に選ばれた政治家です。

民主的正統性が担保された政治家が決めた法律であれば、法律にも民主的正統性があると見なします。

そして、この民主的な法律で規定されたことしか公務員ができないようにすれば、間接的に公務員の民主的正統性が担保される、という考え方が「法律による行政」です。

 

このような観点から、行政は法的根拠がなければ政策実施はできません。

しかし、法律がすべての事態に対処しているかと言えば、そうとも言えません。

「想定外」の事態は、やはり、どうしても起こり得ますし、まして映画のような「ゴジラの出現」への対応策は、法律で十分規定されていないと考えるのが妥当です。

 

では、行政組織は指をくわえて静観しているのかと言えばそうではありません。

対応する法律がないのなら、作ればいいのです。

 

議院内閣制の下での法案提出

法律を作るのが立法で、実施するのが行政なのだから、政府が法律を作るのはおかしいのではないか?」と思う方もいるかもしれません。

確かに、厳密な三権分立を前提とすれば、その考え方は正しいです。

実際、厳格な三権分立を採用しているアメリカでは、行政府の長である大統領に議会への法案提出権はありません。

しかし、日本は、このような厳格な三権分立ではなく、議院内閣制を採用しています。

議院内閣制とは、議会によって首相を指名し、議会と行政(内閣)がともに協力するという形です。議院内閣制は「立法と行政の融合」とも言えます。

議院内閣制の最大のメリットは、円滑な政権運営です。

議会の多数派の支持によって、内閣は成立しているので、基本的には、議会多数派と内閣の間に意見対立は生じません。そうすることで、多数派が必要としている法律を通し、それを実施することが円滑に進めることができるのです。

逆に、厳格な三権分立をとっているアメリカでは、議会と大統領の間で意見対立がおこることはしょっちゅうです。例えば、トランプ大統領は「オバマ・ケア」の見直しを訴えていますが、議会で支持が得られていないため、結局、オバマ・ケアの見直し法案は廃案となっています。

議院内閣制では、このような事態は、まず起こらないのです。

 

議院内閣制の特徴としては、政府提出法案(内閣提出法案、閣法)の割合が高いことです。

日本の場合、法案提出権は、もちろん議員にもありますが、政府にも提出権があります。

そして、提出される法案、そして成立する法案の多くが政府提出法案で、議員提出法案の割合は大きくありません。

これは、議院内閣制下では当たり前ともいえる現象です。

なぜなら、議会の多数派によって内閣が成立しているわけですから、内閣が提出した法案は議会の多数派の意見と同じはずですし、多数派なので可決します。

このような閣法の割合の高さは同じく議院内閣制をとっているイギリスなどでもみられる現象であり、自然なことと解釈した方がよいでしょう。

 

つまり、議院内閣制のもとでは、閣法が、むしろ通常ケースと言えます。

では、閣法はどのように作られるのでしょうか?

基本は、その法案を担当する各省庁の担当課が作成します。

しかし、1つの法案が、1つの担当課の管轄だけで完結するとは限りません。

例えば、ヒアリなどの外来生物の侵入阻止のために新たな法律を作ろうと思ったら、担当する環境省の課だけでなく、港湾関係で国土交通省の担当課や人が被害にあってしまった場合を想定して厚生労働省の担当課とも調整が必要になるでしょう。

また、運輸業界や医療機関、自治体との連携も欠かせませんから、その当事者たる事業者や関係自治体との事前調整も欠かせません。

このような霞が関や利害関係者との調整を経て、最終的に法律案の形としてまとめられ、閣議決定され、国会に提出されます。

 

閣議決定書は、劇中でも描写があったように、総理大臣とすべての国務大臣の花押(サイン)が書かれます。閣議も、「サイン会」と言われるように、この花押を書くのが中心で、大臣間で議論らしい議論は行われません。

首相官邸HPには、閣議の議事録が公開されていますが、見ていただくと分かるように、基本的に報告しかされていません。

これは、閣議前に関係者との事前調整がすべて完了しているためです。

 

ここまでをまとめると、行政は法律によって規定されたことしかできない。しかし、行政として対応が迫られる状況になったときには、議院内閣制の利点を活かし、内閣提出法案をまとめ、国会を通過させ、新たに行政ができることを加えていきます。

内閣提出法案の作成は、中央官庁の担当課が、関係する部署や事業者や自治体など利害関係者と調整をしながらボトムアップ型で作成します。その結果、閣議は事実上、最終確認の場としての機能しか持っていません。

 

このようにして作られた内閣提出法案は国会で、今度は政治家たちによって審議がなされます。しかし、国会中継などをご覧いただければ分かるように、居眠りをする与党議員は多く、野党も中身の審議というよりは日程戦術によって、法案を通過させないようにしているばかりで、実質的な審議はあまり行われていない印象を受けます。

なぜなら、与党議員は、国会で真剣に審議するインセンティブがないからです。

 

事前審査制

 

ようやく、ここで登場するのが「政調」です。

以下では、自民党を想定して説明していきますが、ほかの党でも、同様の仕組みをとっているところが多いです。

 

さて、私は「与党議員が国会で真剣に審議するインセンティブがない」と言いましたが、別にこれは与党議員が怠け者と言いたいわけではありません。

あくまで、「国会で」やる必要がないと言っているだけで、真剣に法案を審議することはしています。むしろ、選挙で応援してくれた有権者や業界団体の考えをできるだけ政策の形に落とし込むため、非常に熱心に法案を見ます。

しかし、その場は「国会」ではなく、「政調」なのです。

 

政調は正式には「政務調査会」と言い、党の正式な会議体の一つです。

政務調査会は、その下に「部会」と言われる、いわば委員会のような会議体があり、「厚生労働部会」「法務部会」「国土交通部会」のように基本的に各省庁と対応する形で設置されています。党に所属する国会議員は、最低2つの部会に所属し、ここで各省庁から提出される法律案の「ご説明」を受けます。

例えば、厚生労働省がたばこの規制法案を提出しようと思えば、この政務調査会の下にある「厚生労働部会」で、担当する官僚が部会に所属する国会議員らに「ご説明」を行います。

しかし、単なる一方的な説明では終わりません。所属する国会議員らは、それぞれの意見や要望を担当者にぶつけます。

そして、あまりに国会議員らの反発が大きければ、法案提出が見送られます。先のたばこ規制法案はまさに厚生労働部会で猛反発をくらった法案です。

もちろん、今回のような例ばかりではありません。担当課も、国会議員の先生方に反発されると分かり切った法案をご説明に行くわけではありませんから、ある程度「忖度」した法案を持っていくはずです。

ただ、部会を通過しても、この次に政務調査会が待っていますので、ここでも同様に国会議員の了承を得る必要があります。

部会と政務調査会は原則、全会一致です。全体的に反発を食らうまでいかなくとも、一部の議員が反発する場合はほどほどにあるでしょう。

このような場合には、部会長や政調会長の腕の見せ所です。

すなわち、政調の役職者が説得にあたるわけです。これが、政調会長が「党内の調整役」と言われる所以です。場合によっては、将来のポストをちらつかせて説得するといったこともあるようです。

 

劇中では、泉ちゃんは政調副会長の任にありましたから、こういった党内調整を行い、ゴジラ関連法の成立に尽力していたのでしょう。

割烹料理屋も、議員の説得のため行っていたのかもしれませんね。

 

そして、このような政調の議論が終わったのちに、今度は総務会に法案はあげられ、ここで了承されると、国会の審議にあたっては、党議拘束がかけられます。すなわち、国会の採決の場で、反対することが許されなくなるのです。

 

このような、国会提出前の与党による調整を「事前審査制」と言います。

つまり、与党の国会議員たちは、この部会や政調といった「事前審査」の場で、意見を既に言って、盛り込んでもらって、あるいは、なんらかの見返りをもって納得しているので、なにも国会でまじめに審議する必要もないのです。

 

しかし、裏を返せば、せっかく国会提出までした法案は、すでに与党の了承をもらっているのですから、廃案になるという事態も避けられます。

事前審査制によって、行政組織も円滑に仕事を進められているのです。

 

しかし、事前審査制は問題があります

それは、審査過程の不透明さです。

国会での審議であれば、議事録は残りますし、今時中継もネットで見られますから、どのような審議を経て、法律ができたかを検証することができます。

しかし、事前審査制の場、すなわち部会や政調会は公開の場ではありませんから、どのような議論が行われたのかは外部の人間が検証することができません。

もしかすると、ある政治家が特定の業界の利益を誘導し、法案を成立させようとした可能性だってありますが、それすら表には出てきません。

 

諸外国でも、このような事前審査制のようなシステムはありませんし、官僚と政治家との接触を規制する国もあるくらいです(イギリスなど)。

むしろ、事前審査制によって利益を被るのは官僚、政治家、そして一部の利益団体のみで、国民全体から見れば、むしろ弊害の方が大きいのではないでしょうか。

 

画像出典:http://www.asahi.com/articles/photo/AS20160830003201.html

 

「シン・ゴジラ」で学ぶ行政学 ~第3回 ヤシオリ作戦の裏側 「グレーゾーン組織」~

シン・ゴジラ」を通じて行政学を学ぶシリーズ、今回は「ヤシオリ作戦」の裏で、劇中では描かれていないながらも活躍したであろう「グレーゾーン組織」について学びます。

 

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巨災対だけでは「ヤシオリ作戦」成功はなかった

巨災対は、ゴジラ対応への専従調査班として首相官邸に設置された機関ですが、彼ら・彼女らが全ての実務作業を担ったわけではありません。(さすがに、人手が足りなさすぎます)

巨災対の仕事の中心は、あくまで「ゴジラ対応プランの企画立案」と「そのための調整」で実際にゴジラのサンプル調査や凝固剤の精製等をしたわけではありません。

しかし、これらは誰かがしなくてはならない仕事です。

では、こういった実務は、巨災対メンバーでない公務員がやったのかといえば、それも違います。

 

例として、サンプルの調査分析を考えましょう。

 

ゴジラが初めて上陸した後、ゴジラの正体を探るため、現場に落ちていた身体組織の一部を採取して、調査・分析することになりました。

ゴジラの弱点は何なのか」を探るためには、生物学的な調査が必要な仕事です。

しかし、このような専門的な調査・分析は公務員しかやれない仕事でしょうか?

確かに、専門的な知識や設備は必要でしょうが、それらさえあれば民間の大学や研究機関でも十分できますから、何も「公務員がやる必要」は、あまりないでしょう。

その一方で、今回のゴジラの分析は機密性の高い仕事とも言えますので、そこらへんの民間研究所に分析を頼むのも気が引けます。

そこで、劇中で調査分析を委託されたのが、「理研」です。

 

公的グレーゾーン組織① 独立行政法人

理研の正式名称は、「国立研究開発法人理化学研究所」です。

この「国立研究開発法人」とは、「独立行政法人」の一種です。

独立行政法人(独法)」は名前だけなら聞いたことがあるかもしれません。

独立行政法人とは、簡単に言えば「公務員がやる必要があるわけではないが、完全な民間組織に頼っては提供されないであろう業務を行うための組織」と言えます。

確かに、理研が行っている基礎的な研究開発は、その成果は大変公益性の高いものですが、すぐにビジネス化できるものではないので、民間企業では行えない業務です。

さらに、研究開発自体は、公務員がやる必要性も特にありません。

そこで、この独立行政法人という形で、基礎研究を行っているのです。

独立行政法人は、純粋な民間組織とも行政組織とも言えません。

いわば、「グレーゾーン」な組織です。

独立行政法人の職員の身分は、公務員ではありません。

(職員の身分が公務員である「特定独立行政法人」という独法もあります)

また、資金調達についても国は保証してくれませんし、納税の義務があります。

しかし、政府が野放しにしているかといえば、そうではありません。

独立行政法人は、法律(独立行政法人通則法)の規定に基づき、所管官庁の大臣から「中期目標」という、独法が達成しなければならない、目標が提示され、各独法は中期目標を達成するための、「中期計画」を作成し、大臣から計画の認可を得ます。

独法は、この認可された計画に基づき、運営を行いますが、計画期間が終われば、今度は官庁からの評価を受けなければならず、場合によっては、独法が廃止されます。

このような組織の存廃のかかった評価がなされるため、独法には効率的な組織運営を求められる訳です。

このように政府は、独法をコントロールしながら、効率的に業務を行っているのです。

 

独法は、理研のほかにも、年金の運用を行っているGPIFや奨学金を扱っている日本学生支援機構など様々なものがあり、現在87法人(2017年4月1日時点)あります。

参考:独立行政法人一覧

http://www.soumu.go.jp/main_content/000408998.pdf

 

劇中では、文部科学省が所管している理研によって、公務員でやる必要性はないが、民間に任せるには気が引ける「ゴジラのサンプル分析」業務が行われたわけです。

独法は、名前こそ「独立」ですが、計画の審査や評価がなされる所管官庁の影響は強くうけざるを得ません。

劇中の裏では、文部科学省理研に「この調査分析を最優先でやれ」と指示したのではないでしょうか?

 

公的グレーゾーン組織② 特殊法人

理研のような独立行政法人は、2001年から始まった比較的新しい組織形態です。

しかし、このような政府とも民間とも言い難い組織、「グレーゾーン組織」は、ずっと昔からありました。

その代表格が、「特殊法人」です。

特殊法人の最も身近な例は、JRではないでしょうか。

そう、ヤシオリ作戦の山場の一つである無人在来線爆弾や無人新幹線爆弾。

あれらは、間違いなくJRの協力がなければ実現できなかったはずです。

 

特殊法人とは、個別の法律に基づき設置された法人のことです。

全ての法人に適用される通則法がある独法とは、やや異なります。

また、運営面は独法よりも、かなり所管官庁の影響を受けます

独法は、言っても所管官庁の影響は中間目標、中間計画の認可、事業評価くらいでした。

しかし、特殊法人の場合は事業計画だけでなく、予算や資金調達、長の任命権まで所管官庁の大臣が持っており、官庁の子会社と言っても過言ではないでしょう。

このように、特殊法人は独法よりも、政府の影響力が強いと言えます。

しかし、影響の強さは、裏を返せば、政府による保護とも言えますので、その運営の効率性については批判が続いていました。

独法は、その批判を受け、評価を通じて効率性を確保しようとした新しいグレーゾーン組織なのです。

この結果、かつては113法人あった特殊法人行政改革や独法制度の開始により、数は減少し、今は33法人(2017年4月1日時点)しかありません。

とはいえ、残っている特殊法人はなじみ深いものが多いです。

NTTやJT日本たばこ産業)、日本年金機構中央競馬会は特殊法人です。

参考:特殊法人一覧

http://www.soumu.go.jp/main_content/000411477.pdf

 

また、前述したJRについても、JR北海道JR四国JR貨物特殊法人です。

一方で、JR東日本JR東海JR西日本JR九州は、もとは特殊法人でしたが、完全民営化を果たし、今は特殊法人ではありません。

しかし、完全民営化したとはいえ、JR東や東海は経営層に旧国鉄出身者も残っていますから、政府とのつながりは深いと言えるでしょう。

在来線爆弾はJR東日本、新幹線爆弾はJR東海の協力なくしては実現しませんでした。

おそらく、国交省関係者が頼み込んだのではないでしょうか。

 

ちなみに、公的なグレーゾーン組織として、独立行政法人特殊法人のほかにも、認可法人と言われる政府が直接やるにはなじまない事業を私企業の形態で行っている法人があり、日本赤十字社(政府がやっては、無差別の救援にはなじまない)や日本銀行(金融政策の独立性を担保するため)などが、その例です。

 

私的グレーゾーン組織・業界団体

ここまでは、政府によって設立されながらも、政府とも民間とも言えない組織を見てきました。

しかし、グレーゾーン組織は、これだけではなく、形としては民間が設立したグレーゾーン組織もあります。

それが業界団体です。

例えば、自動車メーカーの業界団体には日本自動車工業会、電力会社には電気事業連合会があります。これらは、形としては、民間企業が集まってできた組織であり、純粋な民間組織に思えます。

しかし、業界団体の多くは、かつて通商産業省など官庁の指導により設立されたものです。

高度経済成長期、日本は護送船団方式と言われる協調体制で経済を回してきました。

このため、政府は民間企業を指導する(よりハッキリ言えば、コントロールする)必要性がありました。

そこで、逐一各企業に指導するよりも業界団体を作り、そこを通じてコントロールしようとしたのです。

また、反対に民間企業としても、業界団体を通すことで政府に要望を伝えやすくするというメリットがあったので、これに応じる形になりました。

今では、官庁による業界の指導権限は縮小したので、官庁側の「コントロールする」という機能は小さくなったと考えられますが、政策立案に際しては、官庁は業界団体を通すことで関係者の意見を聞きやすいですし、逆に企業が業界団体を通じて意見要望を伝える機能は健在です。

 

シン・ゴジラ」の劇中では、ヤシオリ作戦のために必要になった、血液凝固剤の効用試験は厚生労働省を通じて、民間製薬会社に行ってもらっていますし、効果が確かめられた血液凝固剤の精製には経済産業省を通じて化学メーカーに行ってもらい、その輸送や高圧ポンプ車の確保は国土交通省経済産業省を通じて民間各社に行ってもらっているようです。

おそらく、これらの事業が迅速に行われた背景には、日頃からの業界団体を通じた官庁と民間企業との、いわば“協力関係”があったと考えられます。

 

以上、見てきたようにヤシオリ作戦」の成功の裏には、公務員たちの努力とともに、独立行政法人や業界団体など、純粋な政府組織でも民間組織でもない「グレーゾーン組織」の活躍もあったと推測できます

劇中では、この関係が良い方向につながっています。

現実でも、よい面(例えば、独法による効率的な業務運営)もありますが、その一方で、行政の仕事をグレーゾーン組織の行わせることによって、見かけだけ行政のスリム化をしているという指摘があったり、業界団体との強い結びつきは時に、消費者の利益よりも業界の利益を優先させる政策決定につながる可能性があったりするなど課題が多いのも事実です。

 

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 参考文献:真渕勝(2009)『行政学有斐閣