埋木帖

政策をテーマにエッセイをつらつら書きます

「君の名は。」CM論

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出典:www.tv-asahi.co.jp/kiminona/#/?category=anime

先ほど、地上波で初めて「君の名は。」が放送されました。

2016年に公開され、大ヒット。興行収入は250億円に上り、歴代4位、日本映画に限定すれば史上2位の好成績を収めた映画です。

劇場で見た方も多かったと思います。

 

さて、これを地上波初放送。しかも、1月3日という正月三が日のうちにということですから、これが高視聴率を叩き出さないはずがありません。

各社はCMに相当力を入れていました。

 

例えば、Z会新海誠監督を起用して、CMを作成。「君の名は。」の世界観そのままのCMが流れ、「CMなのか本編なのか」分からなくなった人も少なくなかったようです。

 

www.zkai.co.jp

 

 

また、ソフトバンクも「君の名は。」対応のCMを放映しました。

 

さて、このように各社が相当力を上げてCMプロモーションを展開してきて、これ自体は、さして驚きではなかったのですが、このCMには少し驚きました。

 

 

 

このCMに登場しているのは、「君の名は。」で主人公のひとり・宮水三葉を演じた上白石萌音さん。しかも、設定も田舎の高校生で、「君の名は。」の世界観そのままです。

思わず見入ってしまったという方も多かったと思います。

このCMのテーマは「society 5.0」。意味としては、今後、IoTやAIの技術革新によって起こる第4次産業革命後の社会を指す言葉ですが、いまいち通常のCMのようなメッセージが分かりません。この商品がいいだとか、この企業ブランドのイメージを上げようといった趣旨は見えてきません。

実はこのCM、普通の民間企業が提供しているものではなく、政府が提供している「政府広報」なんです。

政府広報」というと、あまり聞きなれないかもしれませんが、新聞広告やポスター、ネット上にアップされる動画など様々な媒体で、政府からのお知らせを発信しています。

ただ、今どき新聞広告を出しても、新聞購読者層が高齢者だったり、ネットで動画をアップしたとしてもアクセス数につながらなかったりと、いまいち広告効果としては微妙な印象です。実際、「最近の政府広報で、どんなことが発信されているか知っていますか?」と質問したところで誰も答えられないでしょう。

(無駄に広告費用だけかかっている状態とも言えそうです。)

 

そんな政府広報が、「君の名は。」の地上波初放送という視聴率が高そうなところに、上白石萌音を起用した政府広報を流すというのは、今まであまり見られなかった手法で、相当にマーケティングとしてうまいと思います。

また、特にsociety5.0という言葉は若い世代に知ってもらいたかった言葉でもあると思うので、適切にターゲットにリーチする可能性は高いでしょう。

(テレビ放送後に、twitterのプロモーションでも、こちらの動画が流れてきました。SNSでも展開し、リーチを確実なものにしようとする意図が見えてきます。)

実際、このCMのテーマである「society 5.0」はtwitterのトレンド入りを果たしています。

 

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2017年1月4日23:30頃の東京のトレンド



一定の広告効果があったと言えそうです。

 

政府広報は、啓発事業として重要なものではありますが、その費用対効果が見えにくく難しい事業でもあります。しかし、今回、一般の大手企業のようなプロモーション活動を行って、一定の成果を上げたというのは大変興味深い例になったと言えます。

 

「エビデンス」のひとり歩き

あけましておめでとうございます。翠光です。

旧年中はお世話になりました。本年も何卒よろしくお願いいたします。

さて、昨日宣言した通り、今年はコンスタントに投稿をしていきたいと思いますので、早速元日から記事をアップします。

 

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出典:pr.nikkei.com/campaign_event/2017_sangokushi/

今回のテーマは「エビデンス」。

最近、よく耳にする機会が増えたという方もいらっしゃるのではないでしょうか?

ここ数日の間にも、某新聞社の方の「エビデンス? ねーよそんなもん」という言葉が話題になっていました。

www.nikkan-gendai.com

 

実は昨年は、この「エビデンス」という言葉が政策立案の観点から結構、注目された年でもあったんです。

 

ことのはじまりは昨年2月、官邸に「統計改革推進会議」が設置されたことです。

この会議はGDP統計など国の政策のもととなる各種統計の改革等について検討された会議です。この統計改革推進会議がとりまとめた報告書の中で強調されたのが「EBPM推進体制の構築」でした。

EBPM」とは「Evidence based policy making」の略で「エビデンスに基づく政策立案」「エビデンスに基づく政策形成」と訳されます。

つまり、EBPMとはエビデンス(科学的・客観的な証拠)を判断材料として、ある政策案が効果的かどうかを検討しながら政策立案(政策形成)をしていこうという動きのことです。実際の最終とりまとめでは「エビデンス」を「証拠」と訳して「証拠に基づく政策立案」と表記されています。

 

このEBPMを推進していくために具体策として各府省内に新たに「EBPM推進統括官(仮称)」を設置することが決まり、この統括官らがEBPM推進を担うこととなりました[1]。また、まずはやってみようということで、11月には秋の行政事業レビューでは、EBPMを意識した行政事業評価が試験的に行われました[2]

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出典:https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS13H15_T11C15A1AM1000/

このようにEBPMが注目されるようになった背景には、いくつか理由があります。

まずは、諸外国におけるEBPMの普及です。

特にイギリスやアメリカでは、EBPMが積極的に進められており、政権によって温度差はありますが、EBPMの担い手として経済学の専門家を政府スタッフとして登用したり、予算編成の際に高いレベルのエビデンスを要求したりするそうです。

 

また、日本特有の事情としては財政制約の高まりが挙げられます。

ご存知のように日本は多額の公的債務を抱えており、来年度予算でも歳入のうち約3分の1は国債の新規発行によって賄われるような状況です。一方で高齢化の進展にともない社会保障費は増加の一途をたどっています。

そのような状況下では「いかに費用を抑えながら、高い効果のある政策を実行していくのか」という視点が求められるようになっていきます。

このような文脈において、経験や思い込みによる不確実性の高い政策立案ではなく、しっかりと科学的・客観的な証拠に基づいた政策立案が必要ということで、EBPMが注目されるようになってきました。

 

以上ような理由でEBPMが注目されているわけですが、ここで一つ疑問が出てきます。

今になって「エビデンスが大事」と言われていますが、今までは「エビデンスに基づく政策立案」が行われていなかったのでしょうか。

実際、従来から政策立案を担ってきた霞が関の中の人たちに言わせれば「昔からエビデンスに基づいた政策立案を行ってきたのに、なにを今さら」という意見も少なくないようです。

確かに、ある政策を新たに始めようと思ったら、行政組織内部でも相当、慎重な検討がなされますし、それが終わっても国会で取り上げられるわけですから、一切の根拠なしに政策立案ができるわけがありません。

では、従来の政策立案と今、叫ばれているEBPMは何が違うのでしょうか。

 

一言でいえば、「エビデンス」という言葉の定義の違いです。

 

先ほどから、「エビデンス」という言葉は「根拠」や「科学的・客観的な証拠」と訳しています。日本語で「証拠」と言えば、専門家の意見などの文章情報から統計やアンケート調査のようなデータなど広い意味で使われます。しかし、EBPMの文脈で言われる「エビデンス」は、このような広い意味ではなく、データを駆使し科学的な手法によってまとめられた極めて客観性の高い、いわば証拠能力の高い証拠のことを指します。

つまり、「エビデンス」と一言で言っても、その証拠能力にはレベルがあるのです。

 

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出典:三菱UFJリサーチ&コンサルティング資料(www.murc.jp/thinktank/rc/politics/politics_detail/seiken_160212.pdf)より


 

この図は、エビデンスのレベルをまとめたもので、上位に位置するほど証拠能力の高い証拠(EBPMで求められるエビデンス)と言えます。

これを見てみると、専門家の意見などは相当レベルの低いエビデンスとされています。また、省庁の資料でよく使われる比較研究(ある政策を実施した地域とそうでない地域の比較や、ある政策を実施した前後での比較)や相関研究(指標間の相関関係をしらべたもの、相関関係があっても因果関係があるとは限らない)も、エビデンスレベルとしては低いものです。

つまり、今まで政策立案で使われてきた「エビデンス」は、EBPMでいうところの「エビデンス」とは似ても似つかない「質の低いエビデンス」というわけです。

 

一方、EBPMの文脈で言われる「エビデンス」とは、どんなものがあるのでしょうか?

図で一番上位のエビデンスとされているのは「RCTのメタアナリシス、系統的レビュー」です。RCTとはランダム化比較試験の略で、社会実験と捉えてもらえれば、ひとまず大丈夫です。メタアナリシスとは、複数の分析をまとめ、さらに検証を加えたものです。つまり、エビデンスレベルが最も高いエビデンスとは複数の社会実験をまとめたものです。

確かに、いくつもの社会実験で「この政策は効果がある」とされているのであれば、積極的に政策に取り入れてもよさそうです。

 

このように、エビデンス」という言葉は、日常的には広い意味で使われていますが、実際にはレベルがあり、「質の高いエビデンス」と「質の低いエビデンス」とがあるのです。

ここを意識しなければ、「EBPM?もう、うちはエビデンスに基づいて政策立案しているから、大丈夫だよ」と言いながら、質の低いエビデンスに基づき、政策効果もない、コストだけ大きい“意味のない政策”を続けてしまいかねないのです。

 

EBPMは、今後の日本社会にとって大切な取り組みとなっていくのは間違いないことだと思います。そのためにも多くの方に「エビデンス」という言葉を知っていただくこともいいことだと思います。しかし、一方で「エビデンス=証拠」と捉え、本来のEBPMとは違う“なんちゃってEBPM”がまかり通るようになってしまっては元も子もありません。

 

各方面で既に指摘されていますが、日本におけるEBPMは諸外国と比べ大きく遅れを取っています。しかし、日本こそEBPMが重要視されなければならない状況にあります。「エビデンス」という言葉を正確に理解し、EBPMが推進されていく。そんな2018年になることを願っています。

 

[1] https://www.kantei.go.jp/jp/singi/toukeikaikaku/pdf/saishu_gaiyou.pdf

[2] http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/gyoukaku/H27_review/H29_fall_open_review/1.pdf

年末のご挨拶、アクセスの多かった投稿の紹介を添えて

ご無沙汰しております。

卒論などで忙しくて2か月も更新をサボってしまいました。

来年は、もう少しコンスタントに更新できるように努めていきます。

 

今年の7月に本ブログを開設して以来、19の記事を投稿させていただき、12月31日12:00時点で、2,314件のレヴューがありました。このような堅苦しい内容のブログにもかかわらず2000件以上のレヴューがあったことに大変驚くとともに、うれしく思っています。実は、本ブログはリアルの知人に存在が知られていないブログです。

つまり、見ず知らずの人間が書いたブログに2000件のアクセスをしてくださった方々がいらっしゃるということです。

改めてお付き合いいただいた皆様に感謝申し上げます。

 

さて、今回は2017年最後の投稿ということでアクセスが多かった投稿をご紹介したいと思います。

最もアクセスが多かったのが、こちら

 

umoregicho.hatenablog.com

 

先日、テレビ朝日で「シン・ゴジラ」が地上波発放送されて以降、急激にアクセスが伸びました。

この「描かれざる“泉ちゃん”の活躍「事前審査制」」は本ブログへのアクセスのうち28%を占めるほどの状態です。

また、次点以降のアクセス数が多かった記事にも「シン・ゴジラで学ぶ行政学」が並んでいます。流石、シン・ゴジラ効果といったところです。

今後も、こういった面白そうな切り口で政治や経済について解説していきたいと思います。

 

また、シン・ゴジラ以外でも、そこそこアクセス数のあった投稿がこの2つです。

 

umoregicho.hatenablog.com

 

umoregicho.hatenablog.com

 

19歳の投票率については、先日総務省から都道府県別のデータが公表されたので、もう少し検証を加えて追加的な投稿したいと思います。

 

また、児童手当2か月支給についても、最近はやりの行動経済学の視点から解説した記事で、個人的には1番のお気に入り記事ですので、ご覧いただければ幸いです。

 

さて、最後に個人的なご報告ですが、来年度から公共政策大学院という専門職大学院への進学が決まりました。また、せわしい日々が訪れると思いますが、大学院で学んだことを少しずつでも本ブログに反映していきたいと考えています。

面白いブログが書けるよう来年も努力していく所存です。

本年はありがとうございました。来年もまたよろしくお願いいたします。

19歳が選挙に行かないのは19歳のせいなのか?

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18歳選挙権を宣伝するためのポスター、学校を中心に配られたそうですが、一部では広瀬すずさん目的で盗まれたこともあるとかないとか

 低い19歳の投票率

先日の衆院選は、選挙権年齢の引き下げ(18歳選挙権)が行われてから2回目の国政選挙でした。総務省は、24日に18歳、19歳の投票率を速報値として発表しました。

 

www3.nhk.or.jp

 

これによると、18歳の投票率は50.74%、19歳の投票率は32.34%、10代全体では42.51%にとどまったとのことです。

全体の投票率は53.68%だったので、これと比較すると18歳は遜色ない結果ですが、19歳の落ち込み方が目につきます。また、昨年の参院選でも18歳は51.28%であったのに対し、19歳は42.30%で19歳の投票率が低い傾向は同じです。

この時の19歳の低投票率について、読売新聞は

高校などで主権者教育を受ける機会の多い18歳と、大学生や社会人が多い19歳で、差がある傾向が明らかになった。

 

2016年7月11日 読売オンライン

http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2016/news/20160711-OYT1T50218.html

として、主権者教育の有無が投票率を分けたのではないかと分析しています。

しかし、主権者教育を行えば投票率が高くなり、行わなければ投票率が低くなるなら、突然の解散総選挙となり主権者教育を昨年並みに行えなかった18歳の投票率も相当程度下がるはずです。しかし、実際には約50%とほぼ同じ水準をキープしています。

 

昨年投票したうちの4割が棄権した

また、何よりも考えるべきはコーホート(世代)での結果です。

昨年の参院選は2016年7月10日に行われましたが、今回の衆院選はその約1年3か月後の2017年10月22日に行われました。

つまり、昨年18歳で投票した若者のほとんどが、今年は19歳となって投票したわけです。

このことは、昨年の参院選の18歳の投票率と今年の衆院選の19歳の投票率を比較すると同一世代の人たち(この場合、1998年頃に生まれた世代)が、どの程度投票したのか見ることができることを意味します。

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このことを念頭に置いて、もう一度投票率を見てみると、昨年の18歳の投票率は51.28%、今年の19歳の投票率は32.34%と、なんと18.94ポイントも減少しています。これは、昨年の衆院選で投票した人のうち、約37%が今年は投票に行かなかったことになります。

 

この落ち込み方は、やや異常です。

 

確かに19歳になった彼・彼女らは大学進学や就職など18歳の時と同じ水準の主権者教育を受けたわけではないでしょう。

しかし、彼・彼女らは昨年の“はじめての18歳選挙権”を経験した世代、つまり相当の啓発活動が行われ、それを受けた世代です。

主権者教育の効果が1年ももたないという可能性はありますが、それでも昨年投票したうちの4割近くが棄権したことの説明としては、やや説得力に欠けます。

 

これは、彼・彼女ら自身の問題等より、制度的な問題と考えたほうが自然です。

 

最有力仮説は「住民票」か?

では、19歳が低投票率になる制度的問題とは何でしょうか?

4割近くが投票しなかったことの説明として有力なのは、やはり「住民票」の問題でしょう。

18歳なら、多くの場合、まだ高校に在学し、親元で暮らしているでしょう。しかし、19歳だと大学等への進学や就職で親元を離れるケースが少なくないはずです。

この時、住民票を下宿に移さず、親元に残したままにするケースが多いです。この理由としては、手続きの煩雑さや社会保険料の支払いなど様々な要因が考えられます。

私も地方から東京の大学に進学し、下宿していますが、下宿探しの時に不動産業者に「住民票を移すべきか」と聞いたときは「大学生だと、ほとんどの人が移さないですね」と言われた経験があります。

そして、選挙は住民票のある自治体で行うのが原則です。夏休みなどの長期休暇中の選挙なら、帰省して投票ということもありえるでしょうが、10月のような学期中だと、選挙のためだけに帰省するとは考えにくいです。

 

では、データを見ながら、少し検証していきましょう。

下表は、昨年の参院選における18,19歳の投票率都道府県ごとに見たものです。

 

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減少率で色付けされていのは平均よりも減少率が小さい、つまり18歳と比較して19歳も投票した人が多い地域です。これを見てみると、首都圏(埼玉・千葉・東京・神奈川)、名古屋圏(岐阜・愛知・三重)、関西圏(滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山)などの大学が集中している地域および自宅からの通学が可能な地域の減少率は低く抑えられています。

また、自県進学率(出身高校と入学先の大学が同一都道府県にある入学者の比率、平成28年学校基本調査)が高い北海道や沖縄も減少率は低い傾向にあります。

 

出来れば、ここで都道府県ごとに自県進学率と減少率で散布図を作ったり、回帰分析をしたりしたいところですが、大都市圏の越県通学が多いせいか、自県進学率と減少率が思うように関係が見出しにくいです。(いいデータないでしょうか?)

 

しかし、この地域性を見るだけでも、住民票は有力な仮説とは言えそうです。

もちろん、本来は、公共サービスをきちんと受けられるようにするためにも住民票は下宿先に移すべきですし、そうでなくても不在者投票制度などはあります。

しかし、社会保険料の支払いが大きくなったり、下宿先からの不在者投票制度の利用について選管ごとに判断がまちまちだったりするため、現状のままでは19歳の低投票率は改善しにくいでしょう。

 

www.asahi.com

 

今回、唐突な解散総選挙でしたが、2年連続の国政選挙となり、その結果、同じコーホートで1歳の差にも関わらず4割近くが棄権したという事実が白日のもとにさらされました。

(国政選挙は、衆院選だとバラバラ、参院選でも3年ごとで比較がしにくいうえ、20歳以上は細かくても5歳ごとしか年代別投票率が公開されておらず、今回のように1歳ごとの差がデータとして出ることは相当、貴重です。)

もう少し、慎重な検証が必要ですが、住民票が理由で低投票率が起こっているなら、なんらかの制度的対応が必要でしょう。

投票率の問題は、若者のせいだけでは語れないのですから。

 

参考

総務省「第24回 参議院議員通常選挙 発表資料」

http://www.soumu.go.jp/senkyo/24sansokuhou/

文部科学省「学校基本調査」

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kihon/1267995.htm

 

画像出典

https://mainichi.jp/senkyo/articles/20160619/k00/00m/010/025000c

 

「民意」なんて存在しない ~選挙のあとに考える選挙~

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今回の衆院選のポスター。ちなみに、先の参院選広瀬すずちゃんでしたね


昨日10月23日に衆議院議員総選挙衆院選)の投開票が行われました。

今、本投稿を書き始めた時点で、まだ4議席ほど未確定ですが、自公が300議席を上回り大勝しました。

 

小選挙区制だから自民が圧勝する

さて、選挙があるたびに言われるのが「選挙結果は民意を反映していないのではないか」という主張です。

例えば、今回の投票率は53.68%で戦後2番目の低さとなりました

(なお、前回が戦後最低の52.66%です)。

 

www3.nhk.or.jp

また、大勝した自民党ですが比例の得票率を見てみますと、各ブロック29~39%にとどまっています。単純に考えれば有権者全体のうちの自民党得票率は15.6~20.9%(=投票率53.68%×比例得票率29~39%)となり、有権者の2割ほどの支持しか得られていないことになります。しかし、衆議院465議席のうち283議席と60.9%を占めています

 

このような実際の得票率と議席配分の間の大きな差は衆議院465議席のうち約62%の289議席を占める「小選挙区」の性質からくるものです。各選挙区からトップの1人を選ぶ小選挙区制は、各選挙区の多数派の意見を実態より大きく見せてしまいます。

 

例えば、全体でA党支持者50人、B党支持者40人、C党支持者30人の計120人の有権者からなる地域を考えましょう。この地域の議会の議席配分を住民の意見をきれいに反映させるなら、A:B:C=5:4:3になるとよいでしょう。しかし、この地域をそれぞれA党5人、B党4人、C党3人の12人の有権者からなる10小選挙区に分けたらどうなるでしょう。結果は言わずもがな、どの選挙区も最大多数派のA党が勝ち、10の小選挙区すべてでA党が勝ち、A党で議席の100%を占めてしまいます。

 

これは極端な例ではありますが、小選挙区(言い換えれば「多数決」)とは、このように「一番の多数派の意見を実態よりも大きく見せてしまう」という性質を持っているのです。

したがって、現在の選挙制度のもとでは、いくら圧勝したからと言って圧倒的な「民意」で支えられたことを意味しません。

 

民意なんて存在しない!?-マルケヴィッチの反例-

さて、ここまで民意、民意と「民意」すなわち、「ひとつの決まった国民の意見」が存在しているという前提で話を進めてきました。

しかし、性別も年齢も住む場所も何から何まで異なる1億2千万人の意見が一つの決まったものになる訳がありません。

そもそも、「民意」なんてものは存在するのでしょうか?

それを考える面白い例があります。「マルケヴィッチの反例」です。

(以下、坂井2015を参考に話を進めていきます)

 

まずは、下の表を見てください。

 

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これは、A~Eの候補を有権者55人がどのような順番で支持しているかを表したものです。

例えば、いちばん左の列は1番にA候補を支持し、2番目にD候補、3番目にE候補、4番目にC候補、5番目にB候補を支持している有権者が18人いることを表しています。

では、この選挙区で誰をA、B、C、D、Eの誰を当選させることが「民意」を表したことになるのでしょうか?

 

まず、現在の小選挙区制、つまり多数決で決めるとどうなるでしょう。

多数決では、最も支持する人を各有権者が一人選ぶものです。したがって、左から、A候補に18人、B候補に12人、C候補に10人、D候補に9人、E候補に4+2=6人が1票を投じることになり、A候補が当選します。

 

しかし、決め方は、なにも多数決だけではありません。

フランスの大統領選挙や自民党の総裁選で使われている「決選投票付き多数決」という決め方があります。これは、通常の多数決で上位2人を決めたうえで、2人のみで、また多数決を行うという方法です。

先ほど見た通り、まず多数決をするとA候補18票、B候補12票、C候補10票、D候補9票、E候補6票を獲得するので、上位2名であるA候補とB候補で決選投票を行います。

ここで、問題となるのは、1回目の投票でA、Bを選ばなかった人たちが、どちらに票を入れるかということです。今回の場合、18人がA候補を一番に支持している以外は、全員A候補を一番嫌っています。そのため、1回目の投票でC、D、Eの候補に入れていた人たち(25人)は全員、決選投票で、マシなB候補に1票を入れます。その結果、A候補18票、B候補12+25=37票で、B候補が当選します。

そう、最初の多数決の結果と違う結果となりました。

 

もっと見ていきましょう。「繰り返し最下位消去ルール」という決め方もあります。

これは、まず多数決を行い、最下位になった選択肢を消去し、そのうえでまた多数決を行う。そこで最下位になった選択肢をまた消し、また多数決を行うという方法です。面倒な方法ですが、IOC国際オリンピック委員会)で、オリンピック主催地を選ぶ決め方は、この方法です。

(2020年の東京五輪が決まった時は、東京・イスタンブールマドリードの3つの候補があり、最初の投票でマドリードが落ち、イスタンブールと東京で争い、結果東京に決まった、ということを覚えている方も多いのではないでしょうか)

では、この「繰り返し最下位消去ルール」で、この選挙区は誰を選ぶのでしょうか?

まず、1回目の投票で、最も支持を集めていなかったE候補が落選します。

1位指名でE候補を選んだ支持者は、2位指名でB候補、C候補を選ぶ人たちが、それぞれ4人、2人いるので、B候補は1位指名の12に加える形で16票を獲得、C候補も同様に10+2で12票を獲得します。その結果、2回目の投票ではA候補18票、B候補16票、C候補12票、D候補9票で、D候補が落選します。

 

(これを繰り返すので面倒な方は読み飛ばしてください)

次に3回目の投票では、2回目の投票で落ちたD候補を支持していた9人が2位のC候補に流れます。そのため、A候補18票、B候補16票、C候補21票となり、今度はB候補が落選します。3回目の投票でB候補に入れていた人たちは、1位指名でB候補を支持していた12名、1位にE候補、2位にB候補を支持していた4名の2種類いますが、どちらもA候補を最も嫌っているので(どちらの派閥もA候補が5位)C候補に流れます。

 

(読み飛ばした方、ここから)

その結果、A候補18票、C候補37票でC候補が当選します。

 

また、D候補を当選させる決め方として「ボルダ・ルール」があります。

これは、各候補にポイントを与え、その合計ポイントが最も高い人を選ぶ方法です。

この場合、1位=5p、2位=4p、3位=3p、4位=2p、5位=1pを与えましょう。

さて、今回の場合は、A候補は18人から1位、残り37人からは5位の支持を受けているので、(5p×18)+(1p×37)で127p(=90+37)となります。

同様にB候補は、(5p×12)+(4p×14)+(2p×11)+(1p×18)で156p

C候補は、(5p×10)+(4p×11)+(2p×34)で162p。

D候補は(5p×9)+(4p×18)+(3p×18)+(2p×10)で191p。

E候補は(5p×6)+(4p×12)+(3p×37)で189p。

まとめると、A候補127、B候補156、C候補162、D候補191、E候補189でD候補が当選します。

 

また、E候補が当選する決め方として「コンドルセ・ヤングの最尤法」という決め方もあります。(統計的な計算で私も理解できませんので説明はしません)

 

このように、決め方によっては、どの候補を選ぶ可能性があり、いずれの決め方も筋が通っているので「この結果が民意だ」と言うのは難しいです。もはや、民意なんてものが存在するのかと疑いたくなります。

ただ、このマルケヴィッチの反例から言えることは、ある決め方によって出た結果が必ずしも民意を表すわけではないということです。どのような選挙結果であっても、当選した方々には、絶えず国民の声に耳を傾ける努力をしてほしいと思います。

「必ずしも自分は民意の負託をうけたとは限らない」と謙虚に、謙虚に。

 

参考文献

坂井豊貴(2015)「多数決を疑う 社会的選択理論とは何か」岩波新書

※今回紹介したマルケヴィッチの反例は「第2章 代替案を絞り込む」の「3 さまざまな集約ルール」を参考にしました。個人的に選挙を考えるうえで大変参考になる本なので、一度読まれることを強くお勧めします。

 

画像出典:http://www.soumu.go.jp/2017senkyo/gallery/

 

衆院解散の大義「消費増税分の使途変更」って何?

 

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ご無沙汰しております。

ここしばらく忙しかったため、更新をしておりませんでした。

(このへんの事情についても、本ブログの趣旨に近いものがあるので、近いうちにご紹介したいと思います)

ただ、アクセス数を見ると、小さな数ながら毎日誰かにアクセスしていただいていたようです。

おそらく、分からないことがあり、ググった方にアクセスしていたようです。

「今後も、ちょっと丁寧な政策論をご紹介していきたい」と決意を新たにしたところです。

また、よろしくお願いします。

 

 

 

さて、いつの間にか永田町では解散風が吹きはじめ、本日冒頭解散となりました。

「なぜ、このタイミングに解散なのか」「大義がない」「解散権の乱用だ」と各種マスコミや野党から批判されています。

www3.nhk.or.jp

 

安倍首相の主張は「消費増税分の使途変更」について国民の信を問うということらしいです。

しかし、そもそも、この「消費増税分の使途変更」とは、どういうことなのでしょうか?

今回は、安倍さんのロジックに乗って議論を進めてみましょう。

 

これまでの政府の主張:税と社会保障の一体改革

まず、「消費増税分の使途変更」について見ていく前に、日本財政の現状を抑えておきましょう。

ご存知のように、日本は多額の借金(国債)を抱えています。

今年度末には、債務残高は865兆円になる見込みで、これは単年度税収の約15年分に相当します。

しかも、この債務残高は増える一方です。

 

財政規律の指標の一つに基礎的財政収支プライマリーバランス、PB)があります。

これは、国債以外の収支を表す指標です。

例えば、

・収入100万円のうち、50%(50万円)を借入金(借金)で調達し、

・支出100万のうち、25%(25万円)を借金の返済に充てた

・・・としましょう。

このとき、借金にかかわる項目(収入の借入金、支出の返済分)以外の収支は、

・収入が50万円(=100万-50万)、

・支出が75万円(=100万-25万)

・・・になります。

つまり、支出のほうが25万円多い赤字となります。

まあ、借金は返しているけど、返済額以上に借りているから当たり前といえば当たり前です。

この状況、つまりPBの赤字は、債務の増加を意味します。

これでは、債務残高はどんどん増えていくだけです。これでは、いつか限界が来ます。

したがって、PBが赤字なら、債務残高が増加し、逆にPBが黒字なら、借入額以上に借金を返済するので、債務残高は減少します

そのため、政府は2020年までにPBの黒字化を財政目標としてきました。

 

さて、「PBの黒字化を目標としていた」ということは、裏を返せば、「現状、PBは赤字」、つまり、債務残高がどんどん増加するという状況であるということです。

実際、今年度予算を見てみても、国債以外の収入(歳入)は64.7%、国債返済以外の支出(歳出)は75.9%となっており、11.2ポイント分PB赤字となっています。

 

この状況を何とかするには、①国債以外の収入を増やす(税収を増やす)、②国債返済以外の支出を減らす(政策経費を減らす)、のどちらかをする必要があります。

いま、政府は、消費増税によって①国債以外の収入を増やす(税収を増やす)ことを進めようとしているのです。

 

しかし、これには問題があります。

それは、「国民の負担感が強くなる」ことです。

これまで、本来、現役世代の税収によって賄うべきだった公共サービスは、国債という、いわば将来世代の負担によって賄ってきました。

より意地悪い言い方をすれば、将来世代に負担を押し付け、現役世代は負担をせず、利益だけを享受していたことになります。もちろん、これは「タダ乗り」ですから、現役世代にとっては最高の方法です。

しかし、ここで消費増税を行い、今まで将来世代の負担で賄っていた分を自分たちで負担することになりました。すると、今まで負担していなかった分を負担することになるので、当たり前ですが負担感が増えます。しかも、増税分が何らかの公共サービスとして還元されるのであればまだしも、還元されずに、将来世代の負担軽減に使われるのみです。つまり、負担しか発生しないのです。

(まあ、本来、自分たちの受益ですから、自分たちで負担するのが当たり前ですし、その状態に戻っただけですが)

 

これでは、なかなか政治的には合意できません。

そこで、ときの政府は、消費増税分のすべてを将来世代の負担軽減に使うのではなく、その一部を「社会保障の充実」という形で国民に還元し、増税のメリットを感じてもらおうとしたのです。

これが、先の「税と社会保障の一体改革」の概要です。

 

ただ、ほとんどの方は「社会保障の充実」を実感してはいないでしょう。

それもそのはずで、行われた社会保障の充実策というのは、国民全体にメリットがあるものというよりは、「困っている人を支援する」ためのものでした。

代表的な政策が、厚生年金に入ることができる条件を緩和したことです。これにより、今まで定額の基礎年金しかもらえなかった人でも厚生年金に加入することができ、年金受給額が増えることになりました。

この政策は、前々から「必要だ」と言われていた政策なので、素直に評価すべき政策だとは思いますが、やはり、この政策の利益を享受できるのは、国民全体から見れば一部になります。

 

政府としては、「消費増税によって、社会保障を充実して、国民にメリットを感じてもらいながらも、将来世代の負担軽減をしようとした」のですが、ほとんどの人にとっては、「単なる負担の増加」に終わってしまった、ということでしょう。

 

野党や財政楽観論者の主張

政府のざっくりとした考え方は、上記の通りですが、これに異を唱える人も少なくありません。野党や「日本の財政は大丈夫だ」と主張する方々(ここでは、財政楽観論者としましょう)です。

2014年4月に消費増税の第一弾として、消費税が5%から8%に引き上げられました。

これ以降、間違いなく家庭の消費は落ち込んでいます。

これを受け、野党を中心に「10%への消費増税を見送るべきだ」という主張が聞かれます。

(このあたりの議論は、以前、本ブログで書いていますので、そちらをご覧ください)

 

また、財政楽観論者からは、「国債を返済する必要はない、より積極的な財政政策を展開すべきだ」という主張も聞かれます。

彼らとしては、まず今、困っている人たちを助けるために、消費増税を凍結したり、積極的な財政政策を展開したりすべきだと考えているようです。

では、具体的な財政政策とは何でしょうか?よく言われるのが、教育への投資です。

 

今まで、財政政策というと道路整備やダム建設のような公共事業がイメージされていました。しかし、最近では、教育、特に幼児教育(3~5歳児)や高等教育(大学、短大、専門学校など)へ投資をすべきだという主張が増えてきました。

なぜ、最近になって、教育投資の重要性が訴えられるようになってきたのかというと、①日本の教育への公的投資が少ない、②教育投資は投資効果が高い(リターンが大きい)という2つの理由が考えられます。

 

まず、①日本の教育への公的投資が少ないというとは、以前からよく言われていた話ではあります。先日発表されたOECD経済協力開発機構)の統計によれば、日本の教育への公的投資は最下位でした。

www.jiji.com

 

このような状況の中、格差是正などを理由に教育への公的支出を増やすべきだという主張が増えてきたわけです。

 

教育の機会均等という意味では、①の理由はとても重要ですが、政策上より重要視されているのは、むしろ②教育投資は投資効果が高い(リターンが大きい)ということでしょう。

 

どのような教育を、いつ提供するかにとって、投資効果は変化しますが、例えば、幼児教育の投資効果を測った実験として有名な「ペリー就学前プログラム」では、1ドルの費用に対し、17.07ドルの便益があったと計算されています。

ただし、この「ペリー就学前プログラム」は50年以上前にアメリカの貧困地域に住む子どもたちを対象とした社会実験であり、現代日本のようにほとんどの子供たちが何らかの幼保サービスを受けている社会でも、これだけ高い投資効果があるかといえば、そうではないでしょうから、多少差し引いて考える必要はあります。

ただ、多くの人が積極的に教育投資を増やすべきだと考える根拠になっているのは間違いありません。

 

このような理由から、教育の重要性が強調され、先の内閣改造でも「人づくり革命」と題して、積極的な政策転換がされようとしています。

 

ただ、問題はその財源です。

財政楽観論者からは国債発行によって賄うべきだという話や、自民党内からも「こども保険」として、社会保険方式での徴収も案として出ています。

ただ、特に国債発行による財源調達については、さらなる国債の増発を招くとして慎重論も多く出ています。

 

では、「消費増税分の使途変更」とは?

さて、では、いよいよ今回の本丸である安倍首相の主張している「消費増税分の使途変更」とは、どういうことでしょうか。

簡単に言ってしまえば、従来の政府の考え方と財政楽観論者の考え方の間をとった案です。

 

確認しますと、従来の政府の考え方としては、国債発行によって支出を賄っている状況から、税で支出を賄う状況にするため、消費増税を行うという話でした。

一方、財政楽観論者からは、財政問題はたいしたことはないし、消費増税すれば景気に響くから止めるべき。そうではなく、投資効果の高い教育へ積極的に公的支出をすべしという話でした。

 

そこで、安倍さんとしては、教育への公的支出の拡大を、まず進めることにしました。

しかし、その財源を国債で調達するのは、従来の政府の考え方から大きく逸脱してしまいます。そこで、予定されていた消費増税分、つまり借金から税で賄おうとしていた部分の一部を教育財源に充てることで、双方から理解が得られるようにしたわけです。

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出典:

安倍首相 教育・子育てへ2兆円 消費増税分の使途変更表明 (1/2ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)

 

このように見ていくと、今回の「消費増税分の使途変更」が一種の妥協案であることが分かります。

 

この政策変更、間違いなく、教育への公的支出を増やす効果があるでしょうし、それによって助かる人がいるのは間違いない話でしょう。

しかし、決してうまい話ばかりではありません。

 

冒頭、従来の政府の考え方を紹介したときにも説明したように、もともとの消費増税は「今まで将来世代の負担で賄っていた分を自分たちで負担すること」を目的としたものです。しかし、今回の政策変更によって、間違いなく、自分たちで負担しようとしていた分を、また将来世代に押し付けることになります。また、政府が掲げていた2020年までのPB黒字化目標も見送ることになるので、さらにその分、将来への負担となります。

 

日本の財政の持続可能性について検証した慶應義塾大学教授土居丈朗氏の論文によれば、財政再建のための増税を先送りすればするほど、財政の持続可能性を確保するには、将来に過重な負担を押し付けることになると紹介しています。

既に、8%から10%への消費税率引き上げの先送りは2回されており、状況はさらに深刻化しています。私たち自身の利益を重視するか、子どもたちや孫たちの利益を重視するのか。

この選挙は、私たちに利己的になるか、利他的になるかを選ばせる側面もあるのです。

 

参考文献

Schweinhart, L. J.; Montie, J.; Barnett, W. S.; Belfield, C. R. and Nores, N., 2005.  Lifetime Effects: The High/Scope Perry Preschool Study through Age 40. Ypsilanti, Mich., High/Scope Press.

財務省(2017)「日本の財政関係資料(平成29年4月)」

土居丈朗(2008)、「政府債務の持続可能性を担保する今後の財政運営のあり方に関するシミュレーション分析 ―Broda and Weinstein 論文の再検証―」、『三田学会雑誌』100巻4号(2008年1月)、pp.1015(131)-1044(160)、慶應義塾経済学会。

 

画像出典:https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS28H0W_Y7A920C1000000/

 

児童扶養手当2か月ごと支給の意味

先日、このような報道を見つけました。

 

児童扶養手当、2カ月ごとに 支給時期細分化へ(2017年8月14日付 中日新聞

www.chunichi.co.jp

 

低所得のひとり親家庭向けの児童扶養手当について、厚生労働省は十三日、支給方法を見直す方針を決めた。現在は四カ月ごとにまとめて支給しているが、二カ月ごとにすることを検討している。

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つまり、4か月分をまとめ支給していたものを、2か月分のまとめ支給にする、いわば、それ“だけ”の制度変更です。

イメージ図にもあるように支給総額が増えるわけでもありません。

この制度変更に一体どんな意味があるのでしょうか?

 

社会保障の「まとめ支給」問題

児童扶養手当は主にひとり親世帯向けの社会福祉給付の一つです。児童扶養手当は、親の収入によって支給額が変化しますが、子どもが一人の場合、1か月ごとに1~4万円ほど支給されます。

では、児童扶養手当は一般的な給与振り込みのように毎月支給されるかと言えば、そうではなく、記事中でも言及されていたように、4か月に1回、4か月分をまとめて支給されます。

このような数か月分の支給額を一括して支給されることを「まとめ支給」と言い社会保障ではよくとられる手法です。

例えば、年金は2か月に1回、偶数月に2か月分まとめて支給されています。

 

多くの場合、このような社会保障給付は指定の口座に振り込まれる形をとります。

この方式だと手数料や手続きの手間が生じるため、1か月ごとではなく、このように数か月分をまとめて支給し、コストの削減を図るのです。

 

支給する側にとっては合理的な方法と言えます。

 

しかし、この「まとめ支給」、当の支給を受ける側にとっては、なかなか厄介な仕組みです。

 

よくあるケースは、支給された直後に過剰に消費してしまい、次の支給日まで生活が苦しくなってしまうことです。

例えば、8~11月分(4か月分)の児童扶養手当の支給は12月に行われます。

1月あたり4万円の支給を受けている場合、12月に16万円を一気に振り込まれます。

12月は物入りですから、12月だけで4万円より多く使ってしまうかもしれません。

そうすると、当たり前ですが、次の支給月の4月まで、4万円未満/1か月でやりくりをしなければなりません。

イメージとしては、給料日直後に使いすぎて、給料日前に厳しくなる状態に近いでしょう。

1か月のやりくりですら、大変な訳ですから、4か月分のやりくりがもっと大変なのは想像に難くないでしょう。

 

今回の支給時期を4か月から2か月にするのは、このようなやりくりの大変さを軽減する目的があるのです。

 

「計画性」の問題か

しかし、ここまでの話だけだと「そんなの計画性がないだけじゃないか」と突っ込みたくなるかもしれません。

確かに、先ほどの例でも支給月に使いすぎなければいいだけの話で、きちんと1か月ごとに1か月分を使ってやりくりをすれば、支給前でも大変な思いはしなくて済みます

前述の通り、もともと毎月支給しているとコストがかかるから、まとめ支給をしているのであって、支給時期の細分化はコスト増につながります。

「計画性のない人間のためにコストを増やす」と考えると釈然としないでしょう。

 

しかし、人間がそもそも無計画だと考えるとどうでしょうか?

例えば、今すぐに1万円もらえるのと、1年後に1万100円もらえるとしたら、どちらをあなたは選択するでしょうか?

おそらく、多くの人は、今1万円をもらいたいと考えるでしょう。

しかし、額だけ比較しても、1年後の1万100円のほうが多いわけですから、1年後に1万100円をもらった方が、明らかに合理的です。

それでもなお、私たちが目先の利益を優先してしまうのは、1年後の1万100円より、今の1万円に大きな満足を得ているからです。

 

このような、目先の利益を優先してしまう行動特性を「現在バイアス」と言い、行動経済学ではよく知られています。

この社会保障給付と現在バイアスを考える先行研究として、Stephens and Unayama (2011)があります。

この研究では、年金の制度変更を利用し、支給月とそれ以外の月の消費行動を検証しています。

前述のように、現在の年金は偶数月に2か月分まとめ支給がされています。しかし、こうなったのは1990年以降の話で、それ以前は3か月分をまとめ支給していました。

この制度変更を利用して、その前後の月ごとの消費額の変化を見てみます。

季節によって消費額の増減はあるため、その月ごとの変化は均一にはなりません。

しかし、もし、人々が合理的な消費行動をしているなら、月ごとの変化があったとしても、制度変更前後で消費の傾向は変わっていないはずです。

 

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グラフの実線が制度変更前で破線が制度変更後です。

見てみると、制度変更前後で消費の傾向が違うことが分かります。

特に、制度変更前は年金の支給月ではなかった、4,6,10月は制度変更後に消費が増えているのが分かります。

この変化は、統計的にも優位な差であり、この結果から、人々は支給月に消費を増やしていると言え、現在バイアスの存在を確認できます。

 

また、支給時期が細分化されたことにより、消費の変動も小さくなっています。

すなわち、これは支給時期細分化によって支給月前のやりくりの大変さを軽減した可能性も示唆しています。

 

このように、現在バイアスは多くの人が持っている、いわば人間の性(さが)のようなものであり、「現在バイアスがある」ことを前提として制度設計を行ったほうが良いのではないでしょうか。

そういった意味で、今回の児童扶養手当の支給時期細分化は、被支給世帯の生活を安定化させる効果が期待できます。

 

しかし、この知見が、本当に児童扶養手当にも当てはまるかは確定的ではありません。

今後、制度変更前後でどのような変化があったのか検証していくことも必要です。

 

参考文献

大竹文雄(2016)「社会保障制度に行動経済学を活かす」日本経済研究センター

https://www.jcer.or.jp/column/otake/print837.html

厚生労働省「児童手当について」

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/osirase/100526-1.html

宇南山卓(2011)「ライフサイクル・恒常所得仮説の検証とマクロ経済学の発展」社会科学研究第63巻第1号、pp.73-90.

http://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/jss/pdf/jss6301_073090.pdf

Stephens, Melvin, and Takashi Unayama (2011) "The Consumption Response to Seasonal Income: Evidence from Japanese Public Pension Benefits." American Economic Journal: Applied Economics, 3(4): 86-118.

https://www.aeaweb.org/articles?id=10.1257/app.3.4.86